エコでフェアでピースな世界をヒロシマから国政へ!成長戦略から成熟戦略。誰もが置きざりにされない社会を。核兵器も原発もない世界を。役人からヘルパーへ。庶民増税より格差是正。ヒロシマの心活かす市民発・政界再編。


by hiroseto2004

信州中川村の曽我逸郎村長のベーシックインカム論に共感

長野県中川村の曽我逸郎村長は、ベーシックインカムについて、発言されています。

農山村の復興のためにも、ベーシックインカムは有効である。そのような思いも強く伝わってきます。

農業の戸別所得保障や、子ども手当もいいが、面倒な点がでてきているのは皆様もお感じだと思います。

いろいろ審査するのに役人が必要になる。現行の生活保護も同じです。手間がいる訳です。

そうであるならば、思い切って一人一定額以上の収入を保障してしまうベーシックインカムのほうが、簡単です。

サボる人がいる、といわれるかもしれませんが、多くの人は、最低限よりはぜいたくをしたいでしょうからやはり働く。また、そもそも、給料をもらう仕事だけに価値があるわけではないのです。

あと、経済面からいえば、お金をみんなに配って、需要を創出しないと、経済が回らなくなる、という点でしょう。乱暴に言えば、昔に比べて生産性は上がっているから必要な労働力は少ない。ところが、それが雇用減少になってしまう。そしてデフレを招く。だったら政府はお金を刷り、国民に配ればいいわけです。

様々な現金の手当をベーシックインカムに一本化した上で、現物給付を組み合わせたらいいのでしょう。

http://www.vill.nakagawa.nagano.jp/intro/v_chief/063_20100809.html


2010年8月9日 曽我逸郎
http://twitter.com/itrsoga





ベーシック・インカム制度は、閉塞の時代を打破し、自由な生存を可能にする

 『Plan B』という雑誌に声を掛けていただき、ベーシック・インカムについて原稿を書いた。今月発行された第28号「特集=ベーシックインカムの可能性」に掲載されたものを、ここにも掲出しておく。
閉塞時代を打破するベーシック・インカム
1 資本主義市場経済の果ての閉塞

 私の暮らす中川村は、長野県の南部、中央アルプスと南アルプスの間に広く開けた伊那谷のほぼ中央にある。夏も湿度は低く、雪は年に二、三度しか積もらない。平地は少ないが、天竜川(古名:天の中川→天ちう川→天竜川)の両岸の中山間地に果樹園が広がり、リンゴの他、ナシ、モモ、ブドウなど贈答用を中心に栽培されている。伊那谷の三つの市、伊那、駒ヶ根、飯田のいずれへも通勤可能で、兼業農家が多い。電車の便は悪いが、中央自動車道を使って、東京へも名古屋へも日帰りの距離だ。人口は5300人強で漸減しつつあるが、ありがたいことに転出より転入人口の方が多い。高齢化率は28.6で低くはないが、限界集落といわれるような状況までには至っていない。
 このように村としては比較的恵まれているが、シカ、イノシシ、サルの被害はどんどん激化している。農業の高齢化、後継者不足も深刻だ。大型の農業機械か自分の身体が壊れたら農業もそれまで、自分の代で終わり、と多くが考えている。それでも「先祖代々の土地を荒らすわけにはいかない、隣近所に迷惑は掛けられない」という意地だけで、高齢者が草刈や水路の保全に汗を流している。それもそろそろ限界で、管理しきれなくなって伐られてしまう果樹園が目立ってきた。
 農地の荒廃ばかりではない。道普請や消防団などの地区活動も負担が重くなってきた。祭の御輿も担ぎ手が足らず、獅子舞の演目も引き継がれず、笛や舞のレパートリーも減っている。地域の共同体そのものが衰えているのだ。
 ベーシック・インカム研究の第一人者、小沢修司教授は、C.オッフェの「福祉国家の矛盾」論を紹介して、「資本主義経済は、脱商品化領域(共同体)がなければ労働力の再生産ができず、存続できないが、その一方で、市場経済は共同体を一貫して侵食していく」と述べた。(09年12月19日「ベーシックインカム実現を探る会」青山学院)
 地方の窮状を大きな視点で考えれば、家庭や村などの共同体が資本主義市場経済によってだんだんと削り取られて、痩せ細ってきた。その果てが今の状況だ。若者は、家族と村を離れ、自らの労働力を商品として高値で売りやすく、また欲しい商品を買いやすい都市部へ流れていく。農村に残った年寄りは、高齢化による体力不足を補うため、高価な農業機械や農薬・化学肥料に頼らざるを得ない。消費者の安心安全意識の高まりへの対応といった名目で、新たな資材や機械の導入も強いられる。こういったローンの支払いのために農業を続けているような一面さえある。農産物価格は、流通資本の理屈でコントロールされ、出荷時の荷姿まで流通の指示を受ける。老夫婦が電球の下でアスパラやキュウリの太さ・長さをそろえ、決められた本数の束にしているのを見るのは悔しい。市場経済の要求が農山漁村を追いつめていく。
 では、ふるさとを出て、労働商品として自分を有利に売ろうとした若者は、幸せになったのだろうか。ワーキング・プアなど貧困問題については、すでに多くの報道がなされている。例えば、秋葉原で無差別殺傷事件を起こした青年は、本人の個別事情もあっただろうが、二交代勤務で寮と工場を往復し、人との交流機会もほとんど持てず、共同体の慈しみをすべて剥ぎ取られ、剥き出しの孤独な使い捨て労働商品として消費されていたのだと思う。「おにぎり食べたい」…そんなメモを残して餓死した事件があった。生存に最低限必要なニーズさえ満たす事がむずかしい人たちが増えている。おにぎりのような、慎ましくも切実な欲求さえ叶える購買力が持てない。
 貧困を自己責任という人がいる。しかし、完全雇用が空論であることはもはや明白で、その中でいくら競争を強いても椅子取りゲームでしかない。責任は、椅子を取り損ねた人ではなく、普遍的権利である生存権をきちんと保障できない政治・行政にある。
 「ベーシック・インカム世界ネットワーク」のガイ・スタンディング教授は、「プレカリアートは職業的アイデンティティから遮断され、ポピュリスト政治家に取り込まれやすく、ナショナリズム・排外主義に陥りがち」と指摘した(「ベーシック・インカム日本ネットワーク」設立総会。2010年3月同志社大学)。プレカリアートは、いつでも交換可能な消耗品扱いをされ、自尊心を奪われ、未来の展望も持てず、人によっては、安直に民族に埋没し攻めやすい他者を仕立てて攻撃することで、自己の尊厳を修復しようとする。或いは、社会一般への憎悪を高め、自暴自棄の復讐に走るケースもある。秋葉原の事件がその例だ。
 地方の農山漁村の窮状も、プレカリアートの苦しさも、根本は同じ資本主義市場万能経済から派生しているのではないだろうか。
 では、資本の側は高笑いをしているのだろうか。いや、彼らもマーケットの購買力不足によるデフレ、販売不振に喘ぎ、生き残り競争の中でコスト削減に汲々としている。人減らしをし、非正規雇用に切り替え、人件費を減らす。その結果、購買力はさらに痩せ細り、デフレの度は深まる。こういう状況を作っているのは自分達なのに、誰も自分から改め始めることができない。
 この情況は、単なる景気循環ではなく、資本主義市場経済が必然として辿り着いた閉塞ではないのか。
2 現行社会保障制度の限界

 冒頭で触れた餓死の事件は、住民の命より財政を重視して生活保護申請を追い払う「水際作戦」の典型として非難されている。水際作戦は論外としても、行政の一端にいる者として、現行制度の問題点を挙げておきたい。
① 申請主義

 生活保護にせよ母子手当てにせよ、本人の申請による。従って、制度を知らない人は申請しない。申請を恥ずかしいと感じる人も申請しない。鬱などで申請できない人もいる。捕捉率は低くなる(2001年の生活保護捕捉率はわずか16.3%。橘木俊詔他)。逆に、裏では十分な所得があるのに、制度を悪用しようとする人もいる。
② 世帯主義

 「公的救済に頼る前に、身内に頼め」が原則だ。生活保護申請すれば、戸籍の上だけの骨肉相食む係累であっても扶養意向調査の対象となる。それを嫌がって申請しない人もいる。子供手当になって多少改善されたが、児童手当は世帯主給付だったので、子供を連れて別居中の配偶者には届かなかった。
 ついでながら、現在の税制度も世帯主義なので、扶養控除など非常に複雑な計算が必要となり、その分の行政コストも掛かっている。扶養家族でいるために、能力と時間があっても、一定範囲以上の労働を避ける人も多い。ベーシック・インカムが実施されれば、扶養控除はなくなるので、徴税も個人主義へとシフトする。
③ 資格審査

 「あの女性は母子手当(児童扶養手当)をもらっているけど、通ってくる男性がいるようだ」…「善良なる」市民は、巨悪には鈍感でも、身近な「不正」には「過敏」だ。公的扶助を受けている人の個別の事情など知らないまま、「怪しい」と思うと行政に匿名で知らせてくる。行政職員は、不公正・不公平だと非難・追求されることを恐れて、「扶養できる愛人がいるのですか」と問い詰める。本当は職員とて気の向かない仕事だ。
 不正受給を排除するため、資産は、家族の状況は、働く意欲は、健康状態は、…など立ち入りたくないプライバシーまで掘り返さねばならない。これは担当者が悪趣味で意地悪だからではない。税金の公正厳格な使用のためには、そうせざるを得ないのだ。制度の仕組みが、このような互いに不愉快な審査(ミーンズ・テスト)を要求する。
 審査で不正が排除される場合もあるが、受給者の自尊心を踏みにじる場合がしばしばだ。一方、職員人件費など、不正排除のためには膨大なコストが掛かっている。
 現行制度には、制度の仕組みに根ざして、扶助を必要とする人の多くに扶助が行き渡らない、申請者・受給者を傷つける、行政経費が掛かり効率が悪い、という欠点がある。
3 ベーシック・インカム(以下、BI)への期待

 このような状況において、BIが注目を集めている。BIとはどういう制度だろうか。
 ≪BIとは、すべての個人に、条件なく、最低限健康で文化的に生活していくに十分な所得を定期的に給付する制度である。≫
 つまり、最も単純な例で言えば、「生まれてから死ぬまで、毎月8万円を全員に給付する」といった制度だ。きわめてシンプル、不愉快で手間のかかる資格審査はない。運用コストは大変安い。支援を必要としない人にまで支給されるから、捕捉漏れは絶無だ。
 生活に必要な給付を全員に分配するのだから、生存基本ニーズが満たされないまま購買力が枯渇している状況は改善されるだろう。デフレ脱却の端緒となるかもしれない。
 しかも、BIの効果は、福祉制度の改善や経済効果に留まるものではない。人の生き方、人生観まで変える力を秘めている。BIは、生存のために不本意な賃労働に束縛されていることから人を解放する。また、個人への給付だから、生存のために意に副わぬ人間関係を受け入れていることからも、解放する。BIは、生きたい生き方を可能にする。BIは、単なる生存権の保障ではなく、自由と生存権の連結なのだ。
 BIがあれば、ワーキング・プアの若者は、使い捨ての消耗品として消費される事を拒絶できる。働き手確保のため、人の嫌がる仕事の対価は正当に上がる筈だ。それが嫌な雇用主は、働き甲斐を用意せねばならない。働き甲斐のある仕事には人が集まる。
 贅沢を諦めれば、生きたい生き方ができる。シンプルライフが望みなら、物価の安い田舎で半農半Xの暮らしも可能。高齢化が進み後継者不足に悩む地方にとって、新たに地域共同体の一員となってくれる若者が入ってくれるのは、非常にありがたい。ともに資本主義市場経済の被害者である地方と若者が連帯し、互いに補い合う新しい関係が生み出せるかもしれない。都市と地方とのアンバランスは改善されるだろう。芸術、研究、あるいはボランティア活動など、それだけでは食っていけなかったことにも取り組めるようになる。意義あると思うことに挑戦できる。目先の経済効率によって切り捨てられてきた活動が可能になり、社会は奥行きを増すだろう。一方、もし贅沢をしたければ、好きなだけ金儲けに取り組めばよい。老後や万一を心配して蓄財に励んでいた金持ちは、「元気なうちに人生を楽しもう」という考えに変わるだろう。人生の選択肢が増え、やり直しの効く社会になる。将来の展望や誇りを奪われていた若者も、自信や誇りを取り戻すことができる。一人より二人で暮らせばBIは倍になるので、結婚しやすくなる。子供が生まれればさらにBIは増える。BIは少子化対策にもなる。市場経済の効率ばかりが優先されるゆとりのない社会に慈しみが回復し、共同体の思いやりの領域が拡大するだろう。BIは共同体を再生する。
4 BIは万能か?

 勿論、万能ではない。BIが始まったからといって、医療を全額自己負担にはできない。教育も同様だ。BIだけで障害者に自立を迫ることもできない。BIは、生活保護や雇用保険、年金、母子手当、児童手当などの現金給付を統合するが、医療・教育・介護など現物給付の必要性は今と変わらない。
 介護従事者の場合で考えてみよう。先述のように、BIがあればハードな仕事をする人は減るだろう。勿論、福祉の仕事に意義を感じて飛び込んでくる人もいる。しかし、増大する介護ニーズに応えられるだけの人材は集まりそうもない。人を集めるためには給与を上げねばならないが、サービス利用者に追加負担を求めるのは無理だ。介護は行政が提供する現物給付として、適切な額まで従事者の給与を上乗せすることになろう。
 また、BIには警戒すべき一面もある。「生活に必要なだけのBIがあるのだから、ボランティア的な働き方もあり得る」という主張がされ、最低賃金規制がなくなるかも知れない。本当に十分な額のBIであればそれでもいいが、不十分なら生存の為に働かざるを得ず、これまで以上に安い単価で賃労働に縛られることにもなりかねない。生きたい生き方を可能にするのがBIであって、労働者を搾取する自由を雇用主に与えるのはBIではない。十分な額であることが大切だ。例えば、BIの総額をGDPの一定割合として固定するなど、行政が恣意的に変えられない仕組みが必要となろう。
 村岡到氏は、BIを「生存権所得」と呼んでいる。この命名は、BIを憲法が明記する生存権に連結し、生存権を保障しなければBIではないことを意識させてくれる。よい命名だと思う。
5 BIへのありがちな疑問

①「なぜ金持ちにまで支給するのか?」

 BIは、給付する一方ではない。当然その財源分となる税の徴収もある。BIは富の再配分だ。一人暮らしの高所得者なら、BIより税が多く、差し引きはマイナスとなる。大人数の低所得所帯なら、BIの恩恵は大きい。小沢教授は、子供も大人も一人月に8万円の給付、所得税一律45%というモデルでシミュレーションしている。それによると、年収700万円4人家族の場合、若干のプラスだという。
 金持ちにも支給するのは、金持ちを支援するためではない。申請の必要をなくし、不毛で不愉快な審査をなくし、審査に要するコストや給付までのタイムロスもなくし、補足漏れを根絶するためである。
②「なぜ怠け者にまで給付する?BIは怠け者を増やすのでは?」

 「BIがあれば仕事は続けるか」というアンケートが欧州で実施された。6割は今のままの仕事、3割は別の仕事をすると答えた。一方「他の人たちは遊んで暮らすだろう」と考える人は8割に上った。つまり、BIが怠け者を生むという危惧は、他者への不信感の表出にすぎず、9割の人は依然として働き続けるのである。
 もし、どうしても働く意欲のない人を排除しようと思えば、例えば月に一度ハローワークに通って求職相談して判子をもらうというような、またしても不毛で形式的な審査が必要になる。そのための経費も馬鹿にならない。これは「怠け者」の「タダ乗り」が気に食わない「善良なる」納税者を納得させるためだけに必要な手間と費用だ。
 完全雇用を実現できない中、勤労意欲を要求しても、誰かが代わりに仕事を失うことになる。競争を強いてそれに応えない者を切り捨てるのは、政治の責任転嫁だ。
 そもそも、怠け者とはどのような人を指すのか。賃労働をしようとしない人か。外国通貨の売買を繰り返し、莫大な利益を上げれば、働き者なのか。賃金が支払われない重要な仕事は沢山ある。子供や年寄りの世話は大切な仕事だし、農地を農地として維持することも、行政が税金で発注すれば莫大な費用がかかる。中川村には火山灰の研究家がいて、地中に堆積した僅かな火山灰でもどの火山のいつの噴火か判別でき、上下の地層の年代が確定できる。これは暇人の道楽にすぎないのか。寝太郎は3年間の引きこもりを許容した共同体のお陰で大きな仕事ができた。賃労働をしているかどうか、あるいは今見える形で働いているかどうかで、怠け者かどうかを判別する事はできない。そもそも目先の目標達成を強要する社会の狭量さが、引きこもりを生んでいるのではないだろうか。確かに幾許かの人は、BIを手に仕事を辞めるだろう。その人たちの大半は、強い目的があり、そのために贅沢も捨て人生を捧げようとする人たちだ。彼らこそ、新しい何か、大きな何かを社会にもたらしてくれる。
 もし、極少数の真の怠け者が遊んで暮らし始めたとしても、パスカルではないが、退屈はとても辛いものだ。意義を感じない単なる遊びはすぐに飽きられ退屈が始まる。人は、必ずなにかしら自分なりに意義を感じることを始めざるを得ない。
 ただし、気がかりなのは、気散じを繰り返した挙句、安直な「価値」に惹かれて新興宗教や民族主義・排外主義にのめりこむケースだ。意義ある目的を見出せず、BIのもたらす自由に耐えられない人が出てくるかもしれない。これへの対処は私も分からないが、教育の内容を、現在の、定時に集まり指示に従って団体行動ができ、社会の現今の用事に使える人間を作ることではなく、自ら考え工夫して探求していく喜びを教えるものに変えることが対策になるだろう。それが本来の教育だと思う。
③「財源はどうするのか?」

 BIは、年金、雇用保険、児童手当など、福祉の現金給付部分を一本化するので、それらの財源を使える。また、それらのための行政事務経費も浮いてくるので、充当できる。企業においても、年金や雇用保険の負担、事務コストが必要なくなるので、それを税源にできる。まだ足りない分については、多くの論者がさまざまな提案をしている。
 先に触れた小沢教授の提示は、一律45%の所得税で一人月8万円のBIというものだ。但しこれは、分かりやすくBIの実現可能性を示すモデルであって、この方法がベストとしている訳ではない。欧州の論者、ヴェルナーは、すべての税を消費税に一本化し、その中でBIを賄うとする。関曠野氏は、ダグラスの社会信用論を基に、コントロールされた公共通貨によって経済を廻していく一環としてBIを位置づけている。古山明男氏は、減価する電子公共マネーを提案している。国際通貨取引に課税するトービン税など、他にも多くの案がある。あるべき社会、人の生き方に対する各論者の考えを反映して、百花繚乱だ。ともあれ、どれも、BIの実行は可能だと主張している点に変わりはない。
6 終わりに

 BIが計算上実現可能だとしても、現実にどのようにしてそこへ移行していけるのか、道筋は明瞭ではない。現実的なのは、子供手当てのようなBI的施策を拡充して近づいていく、という方法だろう。しかし、この場合、本来のBIとは裏腹に、移行期間中の行政経費は増大し、その間は「大きな政府」になってしまいそうだ。「善良なる」市民の誤解を解き、納得を得るのも至難だろう。
 国レベルでの実施に先立ち、もっと小さな形で実証実験できないだろうか。その舞台に我が中川村がなれるなら、名誉だと思う。村発行の地域通貨(地方政府通貨)によって、例えば農地を守る村民や高齢者を介護している村民から始めて、毎月一定額を支払えないか。専門的に研究しておられる方のアドバイスを頂ければ幸甚である。
 また、私は、BIに加えてもうひとつ別のことにも関心がある。日本も批准しているジュネーブ協定追加議定書の「平時から軍と市民を分離しておく」という考えを生かして、自治体からの軍施設の撤去を求め、自治体への軍の侵入を拒否しようとする「無防備平和条例」運動だ。なし崩しにされている憲法9条の思想を、自治体単位で再生していこうとする取り組みである。条例自治体が増え、海外にも輪が広がり、緊張を高め戦争を誘発する「抑止力」に頼らない平和維持が真摯に模索されるようになり、あわせてBIによる生存権と自由の確保が実現できれば、私にとって、日本はほとんど理想の国になる。
以上 ロゴス社『プランB』第28号(2010年8月)に掲載



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by hiroseto2004 | 2010-09-06 17:51 | ジェンダー・人権(反貧困) | Trackback