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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004

命日に思うこと(田口まゆさん)

http://ameblo.jp/mira1105/entry-11940187572.html

10月14日は父の命日だった。


私は、このブログで何度も何度も

同じことを書いてしまっているかもしれない。


でも、どんなに長くなっても

こういうとき自分の想いを自由に綴れる

ブログっていいなと思うし好きだ。


父のことはいつも考えているけれど、

命日はやっぱり特別だ。



あれから28年も経った。


父がこの世からいなくなって四半世紀以上経った。

振り返るとあっという間だった。


必死に生きていたらもうこんなに年月が経ってしまい

私は父が亡くなった年齢を超えてしまった。


父と一緒に過ごした時間よりも

父がいない人生の方が私にとっては長い。


父の声も父の匂いも父との思い出も

どんどん忘れてしまっている。


父がいなくなったことも悲しいが

父の事をもうあまり憶えていない

自分も悲しかった。


悲しいけれど、人間は生きていくために忘れる

ということで生きていられることもあるのだとも思う。


以前、他の自死遺族の方が、

「時々、(自死した家族を)忘れて笑っている時があって、そんな自分に罪悪感を感じる」

と話されているのを聞いたことがあって、

とても共感した。


私も長年、幸せになってはいけないと

自分を苦しめていたように思う。


でも、それって父は喜ぶんだろうか。


自分の娘が自分が自死したことで

幸せになったり、笑ったりすることに

いつまでもいつまでも

罪悪感を感じて苦しんで生きていることを。


父の年齢を超えて今、思うことは


私は父を自分が殺してしまったんじゃないか。

と子ども心にずっと苦しんていたのだが

そうじゃないってことを改めて思った。


私は子どもの頃、父を必死で見ていたし

父に好かれたいと思っていたけれど


でも、39歳の父には、家族の借金問題、仕事のこと、

母とのこと、自分の親とのこと。

私のこと以外にたくさん抱えていた問題があった。


外では静かで穏やかな父だったが、

私と母の前ではいつも不機嫌だった。


それは全部自分のせいだと思っていた。

だから、父に可愛がられたいと思い必死だった。


大好きな父に。

でも父が亡くなる直前、私は思春期だったのもあるが

父のことが猛烈に嫌いになり

あからさまに父に冷たくなり、距離を置くようになった。


父はその後自死した。

それは私が父に冷たくしたからだ・・・と思った。


大人になって「そうじゃない」って頭で分かっていても

それでも深いところではずっと自分を責めていた。


私がどんなに活動を頑張っても、父は生き返らない。

父とはもう二度と会えないし話せない。


私の活動の原点は


父が何故、ある日私たちの家族の前から

突然いなくなってしまい

寂しく家から遠く離れた他県で

車の中での一酸化炭素中毒死を選んだのか。


何故なのか。

それがただ知りたいだけだった。


ただ、それだけだった。


そして今、

父の自死を通して

色んな人と出会ったり

色んな経験をすることで


父が何故自死したのか、

それは自分のせいじゃなかったんだと

自分で自分を許せるようになることが

生きている私にとっての、

これからも生きていく私にとっての

ほんの少しの救いでもある。


by hiroseto2004 | 2014-10-21 20:47 | 田口まゆさんを励ます | Trackback