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by hiroseto2004

「島国・ムラ社会のポストモダニズム」という大問題

「島国・ムラ社会のポストモダニズム」という大問題


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2016年、ポストモダンの崩壊を宣言し、「近代の復権」(大正デモクラシーくらいからの再出発)を提唱する


「あれ、さとうしゅういち、前(2011年から2013年前半頃)に言っていたことを最近、言っていないな?」
とお思いの方もおられるかと思います。


これは、理由があります。

一見立派に見える思想も、ニッポンというシマグニ、村社会に入ったとたん、猛毒に転化するからです。

そのために、従前の主張の一部を「ニッポンがせめて大正デモクラシー程度にモダン(近代、立憲主義、人権)を消化しきった段階」まで戦略的に抑制することとしました。

従って、当面は、モダンの消化=個人の尊厳や立憲主義の回復=最大の目標として前面に押し出します。






具体的には、どういうことか?

その前に、第二次世界大戦中のことを思い出しましょう。

当時、大流行だったのが京都大学の哲学者の一派による「近代の超克」という思想でした。

また、政府は「一億火の玉」「ほしがりません、勝つまでは」
という標語を流し、国民を扇動していました。


翻って現代ニッポンはどうでしょうか?

モダン(ここでは敗戦後から冷戦・バブル崩壊くらいまでの時代)は確かに、諸々の問題はあった。
冷戦崩壊後に主流となったポストモダニズムは、それまで日の当たらなかった問題に光を当てた功績はあったでしょう。


しかし、今、2016年現在どうでしょうか?


安倍総理が戦争関連産業中心に金儲けをする国家を目指す中で、一般庶民が「脱成長」や「清貧」をことさらに目指せば、総理は大助かりです。


そうです。国が強制せずとも「ほしがりません、勝つまでは」を国民がやってくれるのですから。

本来、教育や福祉に回るべき資源が、軍事関連なり、あぶく銭で儲けている企業などに行ってしまうわけです。


あるいは、日本人がお金を使わなくても、その分はアメリカ国債購入に回り、結局アメリカによる戦争を支えるという結果になりかねないのです。


実際、イラク戦争時に大量の米国債を購入し、イラク派兵を強行し、現在の海外派兵に先鞭をつけた小泉総理が、「日本はアフリカよりはマシなのだから」という発言をして、格差の拡大を肯定したことがありました。


あるいは、「もう、進歩しなくて良い」という退嬰的な方向に向かいかねない。


現実に、戦時中のニッポンは、米英から学ぶことを拒否していたわけです。現代の日本でも、一九九〇年代の極端なアメリカ猿まねの時代が終わると、むしろ「ここは日本だ」と開き直り、他国に学んで改善をしようとしない流れが出てきたように思えます。


一見高邁に見えるポストモダニズムがもたらした気風や思想も、「村社会、シマグニ」であるニッポンでは悪用されてしまう。そうした危機感をわたしは持っています。


「新しい政治を」という運動も、一九九〇年代には一世を風靡しました。

しかし、次第に、ただただ単に既成政党や既成組織への憎悪をあおるだけで、「市民派」を名乗る政治家も増えていった。


日本の既存組織に問題がありまくりなのは承知しています。しかし、日本という村社会で、新しい組織も既存組織以上に排他的になるということは日常茶飯事です。


 わたし自身、いたずらに既成組織との違いばかりを強調するやり方には違和感があります。

2016年現在では、「新しいものを立ち上げる」よりも「市民も既存組織も対等に協力していく」路線を追求しているのです。


 既成政党、既存組織への憎悪をあおるだけでは、単刀直入に申し上げて、組織が強い自民党を利するだけになるのです。


 こうしたことから、現在では「せめて大正並みに、立憲主義や個人の尊厳を守ろうという運動が盛んになる」までは、ポストモダニズム的な主張は、逆効果になりかねないと判断。戦略的に封印しているのです。


 どうぞ、ご理解ください。


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by hiroseto2004 | 2016-06-14 08:37 | 思想・哲学 | Trackback