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by hiroseto2004

「神奈川県北多摩郡千歳村」という感覚


本社社主・さとうしゅういちは、1979年から1989年初めまで、神奈川県北多摩郡千歳村(23区に地方自治体が存在しないという違憲状態を放置している日本政府によると、東京都世田谷区上祖師谷)で過ごしました。小学校は千歳小学校に入学から卒業まで通いました。






千歳小学校では結構、「千歳村民族主義」的な教育を受けました。
千歳村の歴史も習いました。

そして、なにより、小さい頃は親に、神奈川県の川崎市や横浜市、鎌倉市にばかり遊びにつれてもらいました。

自分が住んでいる地域よりも、横浜中華街や川崎市中心部ははるかに「都会」でしたよ。鎌倉市はもちろん、古都。「古くからの都会」です。

だから、小学校に上がるまでは東京が田舎で神奈川県が日本一の都会だと思い込んでいました。千代田区とか新宿区とか頻繁に連れて行ってもらうようになってから、ショックを受けたのを覚えています。

はっきり言って、住宅もそれなりにはあったが近所には教育大農場跡地である大草原が広がり、さらにブドウ畑や栗林、桑畑に田んぼまであちこちにあるのですから、広島市中区や南区、安佐南区祇園あたりよりよほど田舎でしたよ。

別に「北多摩郡千歳村で良いじゃん」というのが小学校時代のわたしの素直な感覚でした。

そして、1936年に近衛文麿が北多摩郡だったこの地域を世田谷区に編入したことを学校で習い、近衛への憎しみは極めて強いものになりました。わざわざ、合併の式典に近衛自ら乗り込んできた写真も見ました。
中国侵略はもちろん、悪かったが、当時のわたしにとっては千歳村侵略の悪魔でした。南京大虐殺と並ぶ近衛の悪事でした(実際は、当時の帝国陸軍において総理が司令官ではないことは中学校に入ってから理解しましたが。)

わたしに言わせると、「近衛文麿の千歳村・砧村侵攻」ですね。

そして、東条英機による「自治権剥奪」。

わたしの中での近衛と東條のイメージは「戦争のA級戦犯」というよりは、「地方自治蹂躙のA級戦犯」というイメージでした。

だけど、結局、大学を出て、広島県で役人も経験し、民間でも仕事をしている今、地方自治の蹂躙こそ、戦争と表裏一体だと実感しています。


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by hiroseto2004 | 2016-06-17 22:13 | 東京都政 | Trackback