我々「市民派」は、既成政党批判至上主義という「平成の皇道派」になっていなかったか?
2016年 07月 16日
緑の党・ひろしま 前代表 さとうしゅういち
2009年から12年のいわゆる民主党政権時代は、大日本帝国時代の政党政治に相当すると言えなくもありません。
それにたいして、反原発などの市民派のなかに、「既成政党批判至上主義」とでもいうべき雰囲気がありました。
わたし自身も手を貸したという忸怩たる思いはあります。
現代の「既成政党批判至上主義」は、昭和10年代の大日本帝国における「皇道派」でしょう。
「皇道派」は比較的純粋な想いで当時の政党政治、既得権益に怒りを覚えた青年将校の派閥です。
1936年(昭和11年)に2・26事件を起こしたが、失敗しました。
わたしは「2・26事件」は現実には理想を追求した社会主義暴力革命の失敗に近かったと思います。
2.26事件により、政党政治は完全に終わったが 、代わりに権力を取ったのは、東條英機ら統制派でした。
現代の東條英機は安倍晋三でしょう。
我々「市民派」があまりに戦前の皇道派よろしく、「既成政党批判至上主義」寄りに立ったがゆえに、安倍総理の復権=統制派の権力掌握をアシストしたのではないか?
その自責の念は拭えないのです。
今振り返ると、2011年から13年ころの各選挙は2・26事件だったのではないでしょうか?
市民派は既成政党が乗っかってきたお任せ民主主義が原発事故招いたと、既成政党全般を批判してきました。
おおさか維新なども「右の市民派」といえなくもありません。既成政党、自治労打倒を叫んだ。
その結果、民主党政権は倒れたが、市民派(おおさか維新も含む)も、安倍晋三=東條英機の再登場を後押ししただけだったのではないでしょうか?
そして、その安倍晋三は、2013年に特定秘密保護法を強行、2014年には集団的自衛権の行使容認の閣議決定を強行。さらに。2015年にイスラム国に宣戦布告。平成の翼賛選挙=参院選の最中に平成のドゥーリットル空襲=ダッカテロを招いて現在に至っているのです。
あのとき(3.11後)どうすれば良かったかは難しい。
しかし、ともかく、今は、既に始まってしまったイスラム国との戦争からいかに離脱するか?
これ以上戦線を拡大させないかが至上命題です。