日本に蔓延する植松聖を思想的に打倒しなければならない
2016年 10月 01日
日本に蔓延している思想の一つが相模原大虐殺の「植松聖被疑者」に代表される「国や大手企業に役に立たない奴は死ね」的な発想でしょう。
長谷川豊さんの「人工透析患者は殺せ」発言もその代表例です。
麻生太郎さんや石原慎太郎さんや、夫の認知症で最近は反省しているようですが曽野綾子さんもそうした思想をお持ちです。
さらに言えば、安倍政権を批判する左翼・リベラルの中にも「植松聖」は潜んでいる。
「安倍は子どもがいないから平気で戦争をする」
という左翼やリベラルの方による批判の仕方を少なからず見かけます。
これはいかにもまずい。
こうした言動は、子どもがいない=国の役に立たないという突き詰めればこれまた「植松的」な発想を前提に総理を批判しているのです。子どもがいないから戦争をするからけしからん、ではなく、戦争をするからけしからん、で良いじありませんか?
たとえば、非正規雇用が故に、結婚も子どもも夢のまた夢、そういう状況を是正するために共産党や社民党、生活の党などを支持している人たちにとって、「子どもがいないから平気で戦争をする」という言葉は、とんでもない「背後から味方に切りつけられた一撃」になることに何故想像が及ばないのでしょうか?
自民党側にも、左翼・リベラル側にも蔓延する「植松聖」を思想的に打倒しなければならない。
2016年はそのことを突きつけたのではないでしょうか?
by hiroseto2004
| 2016-10-01 21:44
| 思想・哲学
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