エコでフェアでピースな世界をヒロシマから国政へ!成長戦略から成熟戦略。誰もが置きざりにされない社会を。核兵器も原発もない世界を。役人からヘルパーへ。庶民増税より格差是正。ヒロシマの心活かす市民発・政界再編。


by hiroseto2004

ビキニ・デーに考える・・「自分が被害者になるまで気づかない」から「万人への平和的生存権の保障」へ

1954年3月1日、ビキニ環礁における水爆実験(ブラボー実験)では、15ktの水素爆弾が炸裂し、第五福竜丸を含む1000隻の漁船が被曝しました。
さらに、240km離れたロンゲラップ環礁が被曝し、住民は避難を余儀なくされました。
当時は「第五福竜丸事件」と言われましたが、実際には、多くの船が被曝したので、現在では「第五福竜丸事件」という言い方はしないのが一般的です。
ビキニ環礁では1946年にも原爆実験が行われました。そして、1954年には4回の水爆実験が行われたのです。

核兵器というのは戦争で使われたことは、広島・長崎が最初で最後ですが、核実験という形で多くの被爆者を出したのです。

日本では、マグロの放射能汚染の問題から、多くの主婦が立ち上がり、反核運動が全国に広がっていったのです。
これに対して、広島で被爆した作家の大田洋子は「ざまあみろ」という気分になってしまったそうだと伝えられています。
自分に危害が及ばないと、立ち上がらないのか?
そういう日本人全体に対する苛立ちが大田にはあったのではなかったか?

そもそも日本という国の平和意識というのは、主には被害体験に基づいたものであって、
加害経験そのものは後景に隠れているのではないか?
現実には、海外派兵しまくりの果てに、東京大空襲や広島、長崎もあったということは意識されてこなかったのではないか。
そういうこととも関連して、考えさせられることはたくさんあります。
「とりあえず、戦争を止める」「とりあえず、原発を止める」には「被害者になりたくない」意識も有効でしょう。
最低限、それは大事だと思います。

けれども、自分たちが加害者にもなっていることを忘れたり、現実に被害者になってしまうまで
気づかないでいたり、というのは如何なものか?

そんなことを考えさせられます。

他方、ヒロシマの心というのは、一般的には「このような思いを他の誰にして欲しくない」というものだと思います。
これはこれで、他者への視線があると思うのです。自分だけが被害を受けたくない、でもなく、加害者への報復でもないのです。これはこれで大事だと思います。

最終的には、各人がどのような思考回路を取るにせよ、「ひとりひとりに平和的に生存する権利を保障する。」ことが、一番大事なのではないでしょうか?

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by hiroseto2004 | 2017-02-28 20:09 | 反核・平和 | Trackback