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by hiroseto2004

本日、可部線可部ーあき亀山区間が復活、全国紙やITメディアでも大きく取り上げ

JR可部線の可部ーあき亀山間が、2003年の廃止以来、13年3ヶ月ぶりに運転を再開しました。
小泉政権下の規制緩和を背景に、廃止されてしまった可部線の可部以北。
その一部を電化して復活した形です。

全国紙やビジネスオンラインなどでも大きく取り上げられています。


JR廃線、初の復活 広島・可部線で運行再開
2017/3/4 12:30
保存 印刷その他 広島県のJR可部線の可部―あき亀山(1.6キロメートル)が4日、営業運転を再開した。2003年12月、乗客減により可部―三段峡(46.2キロメートル)が廃止になったが、地元の要望に加え、周辺の人口も増えてきたためだ。廃線になったJR路線が復活するのは全国初。
JR可部線再開区間の新駅「あき亀山駅」で行われた出発式(4日午前、広島市安佐北区)=代表撮影
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JR可部線再開区間の新駅「あき亀山駅」で行われた出発式(4日午前、広島市安佐北区)=代表撮影
 4日午前5時すぎ、あき亀山駅を列車が出発。「一番列車」を一目見ようと、多くの住民が集まった。角村紀美枝さん(64)は娘と一緒に列車を見送り「朝早くはバスがなかった。便利になってうれしい」と顔をほころばせた。延伸区間では1日計99本が運行される。
 同駅で開かれた記念式典で、松井一実広島市長は「(再開に向けた)地域の皆様の尽力に敬意を表したい」とあいさつ。JR西日本の吉江則彦副社長は「地域の足として役立ち、まちづくりにつながることを期待する」と述べた。
 可部線はかつて、国の特別名勝の観光地「三段峡」まで運行していたが、乗客が年々減少。赤字に陥り、可部駅までを残し、廃線となった。13年に広島市とJR西が運転再開で合意。再開にかかる費用27億円は市と国が負担した。









月曜日の朝のテレビニュースに“今週の主な動き”を紹介するコーナーがある。しかし今週2月27日の朝、3月4日の欄に“ダイヤ改正”という見出しがなかった。さびしかった。

【廃止の約1カ月前の三段峡駅。お別れ乗車と観光客で混雑】

 さかのぼれば、2016年は北海道新幹線が開業した。2015年は北陸新幹線が金沢へ延伸開業し、寝台特急北斗星の定期運行が終わり、トワイライトエクスプレスが廃止された。2014年は秋田新幹線がすべてE6系になり、北陸新幹線(長野新幹線)にE7系が登場。寝台特急あけぼのの定期運行が終わった。2013年は東京メトロ副都心線を介した東急と西武、東武の直通運転が始まった。最後は東京ローカルの話題かもしれないけれども、ニュースでは注目の動きとして取り上げられた。

 これ以上さかのぼってはキリがないけれど、確かに、今までのダイヤ改正に比べれば今年は地味だ。それでも注目すべき案件はある。本連載の新春特別編でも紹介したように、山陽新幹線が新しい自動列車制御装置となり、所要時間が最大7分短縮される。広島県で可部線の廃止区間が一部復活する。JR東日本とJR九州が蓄電池電車を本格稼働させる。

 今回はこの中で、可部線の廃線復活、延伸開業を掘り下げたい。過去の路線廃止の失敗を受け止め、新路線建設という新たな案件として取り組んだ。その姿勢は、鉄道以外のビジネスのヒントにもなりそうだ。過去を肯定し、新たな未来へ挑戦するという意味で。

●可部線の末端区間が廃止された理由

 JR西日本の可部線は広島県広島市の中央を南北に結ぶ路線だ。起点は山陽本線の横川駅。現在の終点は可部駅。単線ながら全線が電化されている。横川駅は広島駅から2つ目で、列車はすべて広島駅を発着する。広島市中心部と郊外の住宅地を結ぶ、通勤通学路線である。

 しかし、現在の区間になる前、2003年11月までは、可部駅から約46キロメートルも先の三段峡駅まで通じていた。しかも計画はこれで終わりではなかった。三段峡駅から先、中国山地を貫いて、山陰本線の浜田駅に達する路線だ。広島と浜田を結ぶ“陰陽連絡線”の役割が期待されていた。経由地の名をとって今福線と呼ばれ、建設工事も行われていた。しかし、1980年の国鉄再建法によって建設中の国鉄路線のほとんどが工事凍結。今福線も例外ではなかった。

 稼働していた可部~三段峡は非電化区間で運行本数も少なかった。平行するバスの便が多く、可部線の乗客数は伸びなかった。可部線自体も国鉄再建法によって廃止対象となった。しかし電化区間の横川~可部間は住宅開発が進み乗客も多く、全線で廃止基準の旅客輸送密度4000人を超えていたため、国鉄時代の廃止は逃れた。

 国鉄が分割民営化され、1987年にJR西日本が発足した。JR発足の条件として、国土交通大臣より“新会社が配慮すべき指針”が示された。そこには「日本国有鉄道の改革の実施後の輸送需要の動向その他の新たな事情の変化を踏まえた現に営業している路線の適切な維持及び駅その他の鉄道施設の整備に当たっての利用者の利便の確保に関する事項」とある。ざっくり要約すると「国鉄再建法によって、利用者数の少ない赤字路線は整理したから、JRが引き継いだ残りの路線はなるべく維持しなさいよ」ということである。

 この指針を順守し、JR西日本は可部線を維持してきた。しかし、利用者減少と赤字は看過できない事態となって、1998年9月、JR西日本は非電化区間の可部~三段峡の廃止を表明する。根強い反対運動もあり、列車の増発実験も行われた。しかし営業成績は上がらず、2003年11月に廃止となった。

●今となっては痛恨のミスだが……

 可部~三段峡間の廃止決定は、振り返ってみれば問題があった。廃止区間の決定方法だ。横川~可部は電化区間、可部~三段峡は非電化区間。この2つの区間を比較して、非電化区間を切り捨てれば区切りがいい。これはJR西日本の列車運転の都合に過ぎない。本来は、区間ごとの輸送密度や需要予測を行い、本当に乗客がいない区間、乗客が見込める区間を見極めるべきだった。

 廃止された約46キロメートルの沿線は、観光の拠点となる三段峡駅もあれば、可部駅の隣の河戸駅のように住宅が多い地域もある。もちろん、乗降客がほとんどいない駅もある。河戸駅付近の人々は、もとより電化区間の延伸と増発を求めていた。廃止反対運動にも力が入っていた。JR西日本の大ざっぱな廃止区間決定によって乗客が見込める区間も廃止してしまった。

 しかし、河戸駅周辺の人々はあきらめなかった。可部~河戸間の電化延伸の希望は継続し、粘り強く交渉を続けた。そして、とうとうJR西日本から「広島市から要望があれば検討する。ただし費用は地元負担」という条件を引き出した。残念ながら費用の捻出が叶わず、この区間も含めて廃止されてしまう。しかし、広島市と住民との検討会は継続した。

 2003年の廃止から4年。住民に追い風が吹いた。2007年に「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」が施行された。自治体による地域公共交通総合連携計画の作成と事業認可の特例を定めた法律だ。この法律に基づいて、2008年にJR可部線活性化協議会が設置された。メンバーは住民代表、広島市、JR西日本、競合となるバス事業者だ。オブザーバーとして国土交通省も参加した。

 協議の結果、2013年に新線として可部線の延長区間を整備することで合意した。総工費は約47億円。広島市と国が建設費の大半を負担して建設。JR西日本は無償で借り受ける。

 合意まで5年を費やした主な理由は、新線として建設する場合の踏切の扱いだった。休止路線であればもっと手続きは簡易だったかもしれない。しかし、廃止してしまった路線の復活は新線建設に当たる。道路法、踏切道改良促進法では、鉄道と道路の平面交差を原則禁止している。認可に当たっては、廃線時に4つあった踏切は3つに減らし、そのうち1つは自動車通行不可とする案でまとまった。

 2003年に非電化区間という大ざっぱなくくりで廃止しなければ……。せめて再開の可能性のある区間だけでも廃止ではなく休止にすれば……。新線建設という大変な手続きは不要だったかもしれない。しかし、廃止は現実だ。そこであきらめてしまったら、そのままJR西日本を責め恨み続けるだけだったら、この区間の復活はなかった。

 廃止された現実を受け止め、気持ちを切り替えて新線建設に取り組んだ。だから可部線は延伸できた。振り返れば過去の決定は過ちだったかもしれない。しかし、過去の当事者も熟慮の末の判断だった。そこは責めても仕方ない。過去の決定について、責めたり悔やんだりしても現実は変わらない。「今、これからどうするか」を考えよう。

(杉山淳一)
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by hiroseto2004 | 2017-03-04 13:57 | 環境・街づくり | Trackback