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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004

「大震災で「格差」を忘れた日本人」

「大震災で「格差」を忘れた日本人」。極めて鋭い問題提起です。
そのことは、本社社主・さとうしゅういちも痛感します。

左派・リベラルと言われる人たちの関心が一挙に、脱原発に向かったのは事実です。
それも、その当時は、選挙で脱原発政党を押し上げると言うよりは、デモ・集会中心でした。
さらに、脱原発でなら票を一定程度取れるというもくろみも、特に日本共産党と自公以外の野党勢力(2012年時点では民主党が与党)には
根強くありました。
こうした中で、「既成政党に天誅!」「既成組織に天誅!」というムードが盛り上がった。
「市民に政治を取り戻す」というかけ声だけは勇ましかった。
しかし、その結果はどうだったか?
2012年衆院選においては、「日本未来の党」と「民主党」が共倒れし、安倍総理率いる自民党が復活しただけでした。
2013年参院選においては、「緑の党」「みどりの風」「生活の党」などが乱立し、またまた、共倒れしてしまいました。

そもそも、リベラル陣営内部においても、2011年の4月以降、脱原発以外のテーマに取り組むことがタブー視された、特に格差や貧困に取り組むことにはタブーが強かった。
1,脱原発に3.11以降、参加してきた「新しい層」を遠ざけるのではないか?
2,原発事故の被害に比べたら格差などどうでもいい。
こういう雰囲気が、特に「市民派」の中に充満していたように思えます。

そもそも、2008年以降の反貧困・格差是正「ブーム」にしても、リーマンショックを経て、日本人の尻にようやく火が付いたから注目された面はあります。
ですから、ちょっとしたことで、下火になる危険と隣り合わせでした。
そう。「貧困は自己責任である」という日本人のデフォルトな考え方に戻ってしまう危険と隣り合わせでした。
もっと過激に言ってしまうと、植松被疑者のような「弱者は死ね」的な考えは、潜在的には、メジャーな思想であったのでしょう。
しかし、リーマンショック後の状況を見て、さすがにその考え方を改めかかっていた人も多かった。
ところが、3.11以降、原発問題に関心が集中することで、再び、「植松的」な考えが盛り返してきたとも言えます。
心の中では「そうはいっても、貧困は自己責任ではない」と思っている人も、職場や、家族や、場合よっては脱原発運動、市民運動内の仲間の中にいる「植松聖」に遠慮し、「反貧困、格差是正」を声高に言えなくなってしまった。

そして、多くのリベラルな政治家も、支持者の中にも伏在する「植松聖」に屈し、脱原発へ「逃げた」のではないか?
そのほうが「ムラ社会の意思」に反抗しないで済むから。

その結果、保育園の問題にせよ、介護の問題、下流老人の問題にせよ、注目されるのは、大幅に遅れたのです。

そうこうするうちに、安倍総理の方がむしろ、「経済を強くして生活を良くする」イメージを振りまき、票を固めていった。
そうして固めた「独裁体制」を背景に、原発を再稼働しまくり、輸出しまくりという方向へ暴走したのです。

本社(広島瀬戸内新聞)としても、貧困や格差の問題への言及が、特に3.11以降、2013年夏の参院選の手前辺りまで、少なくなっていたのは事実です。本社の「戦争責任」も軽くはないと考えています。

しかし、いわゆる市民派も「楽な方に流れた」結果として、「脱原発」に偏り、社会保障、教育と言った問題を放置したことの責任は重い。やはり、歯を食いしばってでも、「植松」的な思想に対して反撃していくべきではなかったか?

だが、いわゆるポストモダニズム(脱構築、相対化)を経てしまった市民派にはそれだけの覚悟もなかったのでしょう。

冷静に考えると、原発問題だって、地域間「格差」問題でもあるのです。
福島から避難したくても避難できない人がいるというのは、住宅政策の貧困でもあるし、雇用政策も含むセーフティネットの貧困でもあるのです。平時から福祉が充実していれば、もっとたやすく避難を決断できた人も多かったと思います。

そういうことも考えると、今後、日本において必要な政治家は「腰を据えてアホと言われようがバカと言われようが、格差是正を突き進む」政治家ではないでしょうか?別の言い方をすると、日本においては、脱原発とか、反戦運動についてはそれなりに充実しているが、「階級闘争(格差是正)」が絶対的に不足している、ということではないでしょうか?おそらくそれは20年から30年は続くと思うのです。



東日本大震災から、6年が過ぎた。この震災の前後で、日本の社会は大きく変わった。それとともに、人々の関心も大きく変わった。災害と原発の問題に人々の関心が集まるようになった反面、忘れられがちになった問題も少なくない。
そのひとつが「格差」の問題である。
思えば震災前は「格差社会」が流行語となり、「格差社会論」と呼ばれる言説が世に満ちあふれていた。毎月何冊もの本が出版され、中身は玉石混淆だったとはいえ、それぞれに一定の読者を獲得していた。格差と貧困が現代日本の解決すべき課題だということが、共通認識となりかけていた。
ところが震災の後になると、さっと潮が引いたように、「格差社会」という文字を見かけなくなった。どうでもいいことだが、震災前には私のもとにも格差社会に関する本を書いてくれという依頼が続々と舞い込んだのに、最近ではさっぱりで、こちらから提案しても渋い顔をされることが多い。
震災で格差を忘れた日本人
人々の意識に大きな変化があったことは、世論調査の結果からも明らかだ。一例として、内閣府が毎年行っている「国民生活に関する世論調査」の結果を見てみよう。
この調査は、「お宅の生活の程度は世間一般からみてどうですか」という設問を設けていることでよく知られている。回答は「上」「中の上」「中の中」「中の下」「下」の5つから選ぶことになっていて、マスコミなどでは「中の上」「中の中」「中の下」の合計が「中流意識」と呼ばれることが多い。
真ん中3つを合計するのだから比率が高くなるのはあたりまえで、これを「中流」とみなすのは問題だが、それでも人々の意識の変化をみるのには役に立つ。
たとえば「上」「中の上」と回答するのは自分を「人並み以上」、「中の下」「下」と回答するのは自分を「人並み以下」と考えているわけだから、その比率は格差の動向を反映する。実際、1990年代後半以降には、「中の中」が減少して、「人並み以上」と「人並み以下」がともに増加した。格差拡大が人々の意識にも表われたのである。
ところが震災後になると、「中の中」の比率が跳ね上がり、その分「人並み以下」が減少した。もちろん、震災後に格差拡大が縮小して低所得者が減ったわけではない。
2014年夏に行われた「所得再分配調査」によると、日本の経済格差は震災前の2008年に比べ、年金の支給額が増えたことなどから中高齢者の一部でやや縮小したものの、非正規労働者と失業者の増加を反映して若年層で明らかに拡大したため、全体としては高水準のまま横ばい状態にある。
それでは、何が起こったのか。
国民生活に関する世論調査によると、現在の生活について「満足」と答える人の比率は、21世紀に入ってから低迷を続けていたが、震災のあった2011年から顕著な上昇傾向を示し、2013年には70%を越えた。
震災があり、不景気も続いているのに、人々の生活満足度が上がったというのか。人々の政府への要望をみると、「防災」が大幅に増えた反面、「高齢社会対策」「雇用・労働問題への対応」が大幅に減っている。
どうやら震災は、日本人の意識に次のような変化をもたらしたらしい。
震災で命を落としたり、家を失ったり、避難生活を余儀なくされている人々に比べれば、自分たちはまだまだマシだ。自分を「下」だなどとは考えないようにしよう。老後の生活や雇用、そして格差の問題などは、震災復興と防災に比べれば二の次だ、と。
格差社会論が広く受け入れられる素地は、こうして失われたのである。
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Tracked from 広島瀬戸内新聞ニュース(.. at 2017-03-14 21:55
タイトル : 日本型ポストモダニズムを生き返らせ、反貧困・反格差を後退..
「大震災で「格差」を忘れた日本人」 3.11以降の「新しい社会運動」について、いろいろな側面はあると思います。 ただ、いえるのは、3.11後の新しい社会運動の中には、実際には「新しくない」部分もあったと思います。 むしろ、1990年代のポストモダニズムが復活しただけのような部分もあったと思います。 1990年代のポストモダニズムは、主に都会在住のインテリ(グローバルインテリとも重なる)を担い手とし、環境や情報公開と言った「意識高い系」の話題には食いつきはいいが、格差是正には冷淡と...... more
by hiroseto2004 | 2017-03-12 15:12 | ジェンダー・人権(反貧困) | Trackback(1)