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by hiroseto2004

「近代合理主義・立憲主義を乗り越えた」という思い上がりの果てに・・ポストモダン・ジャパンが落ちた「安倍夫妻」という罠(わな)

「近代合理主義・立憲主義を乗り越えた」という思い上がりの果てに・・ポストモダン・ジャパンが落ちた「安倍夫妻」という罠(わな)

「近代合理主義」とか「近代立憲主義」に代替して、他の先進国(たとえば北欧あたりの先進国)はともかく、「日本」で機能するシステムなり哲学なりは、残念ながら現時点では存在しない。

「近代」を乗り越えた、と思っても、実はそれは思い上がりに過ぎず、実際には、前近代への壮絶な逆噴射を招くだけであった。

3.11以降、安倍夫妻による事実上の独裁政治となっている現状に至るまでの日本を観察すると、そのように感じざるを得ないのである。

特に、総理としての実務上、そうはいっても国内外に浸透している「近代」と向き合わざるを得ない夫の晋三よりも、妻の昭恵にこそ、日本の哲学的問題点を強く感じる。ある意味、安倍昭恵こそ、2017年の日本の「哲学的ラスボス」と言っても良いと思う。

安倍昭恵は、家庭内野党と称して、脱原発を唱える一方で、夫の晋三顔負けの極右イデオロギー称揚をしていたことについては、改めて詳しく繰り返す必要もあるまい。
しかし、単純明快に考えると、安倍昭恵の思考回路とは、「近代、特に、後期近代(戦後)の否定」であり「前期近代(明治憲法的立憲主義)」すら乗り越えて時代を逆戻りさせるものである。

ここでは以下のように定義する。

前期近代は日本に於いては、伊藤博文とか、西園寺公望、牧野伸顕あたりの穏健な欧州志向の立憲主義に代表されよう。
この前期近代が、2.26事件で青年将校の「天誅」で打倒され、その隙を突いて東條英機ら統制派が権力を掌握し、前期近代を終了させ、日本を一度崩壊させた。後期近代はいわゆる戦後民主主義とセットであると定義したい。

安倍昭恵に話を戻す。冷静に考えると、大昔は庶民、特に女性に人権はない一方で確かに原発もない。安倍昭恵は女性に暴行した(ヤルやったことはヤッタと山口本人も認めている)山口敬之の言い逃れにいいねをして女性の人権を否定しつつ、脱原発にも理解を示す。

要は、この人は、良くも悪くも前近代の人なのである。
夫の晋三は、良くも悪くも総理として、近代が一応は浸透している現実社会と実務的に妥協しなければならないので、思想性が後退するが、妻の昭恵の場合は、それが露骨に現れる。

そして、昭恵が脱原発を唱えることで、脱原発派の一部も安倍夫妻への追及の手は確かに緩んだ。
3.11以降、近代への疑問を持つ人は増えた。

たしかに西欧の白人キリスト教国家を中心とする「近代」~「ポストモダン」といわれる現在に掛けて主流となってきたシステムも、「問題ありまくり」ではある。

原発は当然、その大きな問題のひとつであろう。

先進国が人権、民主主義を守ると称して、途上国を空爆しまくっているのも近代の欺瞞性の一つである。ハッキリ言って、あんなに白人キリスト教国がイスラム諸国を蹂躙していたらテロが起きない方がおかしいくらいだろう。難民が押し寄せてきても、それがそれらの欧米先進国(と言う名の帝国主義諸国)が招いた結果である。それは事実として認めよう。

また、いわゆる既得権益の問題もこれは、近代国家共通の悩みではある。

しかし、原発批判の勢い余って、近代合理性一般まで放棄してしまうような論調が、特に2011年の3.11以降、反体制側でも目立ったのではないか?

そうした時代状況を巧妙に突いたのが安倍夫妻ではないのか?

夫の晋三は、自民党改憲草案にみられるような、近代西欧の人権や民主主義なんぞくそくらえ、という人々を取り込み、妻の昭恵は、原発を入り口に近代を否定した人たちを取り込んだ。夫婦で巧妙に役割分担をした。

安倍夫妻は、セットとして「近代合理性」「近代立憲主義」総体を否定するヒーロー&ヒロインとなった。

反体制側も、いわゆるポストモダニズムが主流となっており、何でもかんでも「相対化」する傾向があった。その結果、権力側の暴走に甘くなっていた。

また、「既成政党に天誅!」方向に走る傾向もとくに「我々」団塊ジュニアくらいには強かった。「純粋市民主義」とでも言うべきものの勢い余って、既存物を過剰に否定し、その結果として、実際にはがっちりした組織が相対的にある安倍一派を押し上げる結果になったのである。

そうした中で、安倍夫妻は大手を振って暴走したのである。

しかし、冷静に考えると、近代立憲主義を逸脱して上手くいった例は残念ながら、日本ではない。残念ながら、近代立憲主義を上回るパフォーマンスを得られる社会システムとか哲学とか言うものは日本では存在しない。

原発は大問題だが、そうはいっても、これについても合理主義的、立憲主義的アプローチで脱原発を進めるしかあり得ない。言い換えれば、立憲主義を踏まえつつ、時代状況に合わせた合理主義を編み出していかなければならない。

ただ、ついつい、勢い余って、自分たちが、既存ないし、既存物とセットになっていた近代合理主義、近代立憲主義を簡単に乗り越えた気になっていた人も体制派・反体制派問わず、少なくなかったのではないか?

だが、その結果は、戦前どころか封建時代に日本を戻すという安倍夫妻の暴走に歯止めが掛からない状態だった。

立憲主義を踏まえた時代状況に合わせた合理主義の復活。

具体的には、当面は、個人の尊厳を守る生活再建策、そして、権力の暴走を押さえる仕組み(選挙制度・人事制度含む)の再構築あたりが柱になろう。

戦時中、日本は「近代の超克」を成し遂げた、と酔いしれていたが、結果は、焼け野原であった。一度目は悲劇だが二度目は喜劇である。繰り返してはならない。

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by hiroseto2004 | 2017-05-31 18:32 | 安倍ジャパン | Trackback