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by hiroseto2004

「家族で禁句だった」 山本浩二さんの兄、被爆体験語る

ミスター赤ヘル・山本浩二のお兄さん・宏さんが、被爆体験を勇気を振り絞って語りました。

「ミスター赤ヘル」と呼ばれた元広島カープ監督の山本浩二さん(70)の兄、山本宏さん(79)=東京都江戸川区=が17日、地元の区民館で催された原爆犠牲者追悼式で自身の被爆体験を初めて証言した。「原爆の話は、家族の中で互いに禁句だった。浩二にも語ったことはない」。つらい幼少期を振り返った。

 宏さんは国民学校2年生だった7歳のとき、爆心地から約2・5キロの広島市己斐町(現西区)の自宅近くで被爆した。「朝なのにほこりや煙で夜のようだった」。自宅にいた母や祖父母らは血まみれだった。

 自身も後頭部や首をやけどし、腫れ上がっていた。数日後にはただれ、ウジ虫がうごめいて「筆舌に表せない痛さだった」。髪の毛が生えそろうまでには、4年もかかったという。

 「当時通っていた学校の校庭を、訪ねる勇気はありません。七十数年たった今でも思い出したくない」。大きな穴をいくつも掘って薪を積み上げ、遺体を焼いていた場所だった。白い煙や強烈な臭いが忘れられず、夢に何度も出てきた。

 この日、原爆が炸裂(さくれつ)した瞬間の証言で言葉に詰まり、原稿を代読してもらう場面もあったが、後半は自分の言葉で語った。被爆70年を迎えた2015年夏、勇気を出して被爆した場所を訪ねたが、都市化で特定できなかった。「体験を話しておかないとすべて消えてしまうと思い、発表することにした」という。

 ログイン前の続き弟の浩二さんが生まれたのは被爆から1年あまりたってから。浩二さんは2年前の朝日新聞の取材に、「(原爆について)家で話題になることはなかった。風化させちゃいかんし、継承しなきゃいかん。でもね。犠牲になった人がたくさんいたから、『言いたくない』『話したくない』という人もたくさんいたんでしょうね」と語っていた。

 「浩二も、家族が原爆を避けていたことは分かっていたんだろう」と宏さん。約200人を前に証言を終えた後、近くの原爆犠牲者追悼碑に手を合わせ、娘や孫らが折った千羽鶴を捧げた。「70年前の光景がよみがえってしまった。こんな人間がいる、ということを分かってもらえるなら、話して良かったんだと思う」(岡本玄)


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by hiroseto2004 | 2017-07-20 15:14 | 反核・平和 | Trackback