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by hiroseto2004

<75年放影研改組>被爆者調査、「反米解消」へ共同運営 【歴史】

ABCCは間違いなくアメリカのための機関でした。
ただし、日本完全移管っていうわけにもいかなかったのは日本側のこだわりだったのですね。

◇外交文書に4案が示される

 米国の主導で広島と長崎に設置された「米原爆傷害調査委員会」(ABCC)を1975年に日米共同運営の財団法人「放射線影響研究所」(放影研)に改組する際、日本政府が他に世界保健機関(WHO)など国際機関への移管や日本単独運営を含む3案も検討していたことが明らかになった。今年公開された外交文書に記されていた。ABCCは活動初期の被爆者への対応が人権侵害と批判された経緯がある。日米関係を重視し、米国への反感を解消させる狙いで共同運営に決定していた。

 公開されたのは、外務省所蔵の72年1月〜74年12月の文書ファイル。74年1月9日付で厚生省(当時)が作成した文書「原爆傷害調査委員会の改組について」も添付され、4案が示されていた。このうち、米政府が求めた費用分担に応える日米共同運営案には「米国政府機関が戦後もそのまま居つづけているということに対する反感の消滅」が望めるという記述があった。

 ABCCは原爆投下を命じたトルーマン米大統領の指示で、47年に原爆放射線の影響調査を始めた。調査には日本の国立予防衛生研究所(予研)も参加したが、相手の同意を得ずに調査したことや治療を原則しない姿勢に被爆者が反発。さらに、68年の運営費は設立当初の25倍に及ぶ10億円を突破したが、日本側の負担は5%未満で、米国人所長が改組の必要性を訴えていた。米政府が当時、ベトナム戦争の戦費負担に苦しんでいた事情もあった。




検討された4案は、(1)新たな国立試験研究機関(2)国内法に基づく日米共同運営の法人組織(3)予研の拡充(4)WHOなど国際機関。保健事業の指導に重点を置くWHOへの移管は「実現不可能」とし、(1)と(3)も日米共同で研究してきた経緯から「日本単独では困難」などとした。日本の負担を増額する(2)が「法人の執行機関に対等で参加するため日本側の意向が反映される」として採用され、74年6月の日米交渉で合意に至った。

 ABCC史料に詳しい名古屋大の高橋博子研究員(米国史)は「日本側が共同運営にこだわった背景には、日米同盟の存在がうかがえる。日本側にとって米国との良好な関係を示す意図があった」と指摘する。放影研の米側トップ、ロバート・ウーリック副理事長は「加盟国間の政治的思惑が絡む国連機関だったら、独立した研究を続けることは難しかっただろう」と話している。【平川哲也竹下理子
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by hiroseto2004 | 2017-07-31 10:16 | 歴史 | Trackback