備忘録 「文化左翼」と「改良左翼」の端境期が招いた「安倍一強」
2017年 09月 15日
備忘録 「文化左翼」と「改良左翼」の端境期が招いた「安倍一強」
実を言えば、ローティーが批判するところのいわゆる「文化左翼」とは、元々は、結構、若いときは「改良左翼」以上に過激に活動していたが、ポストモダン期(バブル期~1990年代くらい)にそれなり良い生活を経験し、官僚機構とか大手企業など、大きな権力への批判的な視点を取り下げてしまっている人たちが多いと思われるのです。表面的にはリベラルっぽいことは言うけれど、決して官僚機構や大手企業への深い追及はしない。それどころか、「改良左翼」、特に若手の改良左翼が行動しようとするとそれを冷笑し、押さえつける傾向すらある。
「改良左翼」とは、世代を問わず、大きな権力に対して批判的な視点を持ち、システムの改良を求める人たちで、階級格差や権力の暴走を問題視し、共産党や自由党、社民党、民進党左派などを積極的に応援することを通じて、それを是正しようとしている人たちのことになると思います。わたし自身も、当然「改良左翼」に他ならないでしょう。欧米ならサンダースやメランション、コービン支持者が該当するでしょう。
2016年から2017年にかけて起きていることは「文化左翼」の壊滅と「トランプ的なもの(オルタナ右派)」の進出と「改良左翼」の復権(サンダースやメランション、コービンの健闘、日本共産党の都議選善戦)でしょう。
日本の場合は、トランプ的なもの(文化左翼を攻撃し、いかにも庶民の味方を装った政策も打ち出す)が橋下徹さん(教育無償化)とか河村たかしさん(減税)のような感じで、アメリカに先行すること4~5年前にウケていました。安倍晋三さんも第二次政権では、トランプ的な要素を取り入れた。トランプはある意味「4年遅れ」の安倍です。
日本の場合、民主党2009もある種の「改良左翼」だったが、政権運営に失敗してしまった。このことで、トランプ的なものへの期待がアメリカよりも先行して盛り上がったといえるでしょう。
正直、安倍とかトランプが暴走している時代には「文化左翼」的なものは、意味を持たない。
ここは、勇気を出して、権力の暴走を止めなければ、暴走は続き、「文化左翼」の人たちにも被害が及ぶ。
若いとき、過激なことをしていて、いまは、だんまりを決め込んでいる文化左翼的な人が結構おられるのは残念である。
「どうせ変わらない」とか・・。冗談ではない。いまや、政権交代をして、悪法を廃止することをしないと、まずいところまで追い込まれている。
他方、改良左翼、特に我々比較的若手の改良左翼(的な人たち)の中には、運動経験が、年配者から継承されていないが故の「暴走」「迷走」の危険もあるのも確か。
また、年配の「文化左翼」への反発の勢い余って、橋下さんとか、トランプとかを持ち上げてしまう人もちらほらいる。女性の比較的有名な若手の左翼論客で、格差是正に期待して、トランプを持ち上げてしまった人がいたのは、気持ちとしては分かるがやはり不味かろう。
あるいは、安倍晋三側の過激な言葉による挑発にのって、必要以上に下品な言葉遣いになる例もちらほらある。これはこれで、問題ではある。
ともあれ、現代日本は、格差拡大を背景に没落する「文化左翼」と、格差拡大を背景に復権しつつあるが、十分ではない「改良左翼」の端境期にあり、その隙を突いて、安倍的なものが独走している。