共闘は「いざ鎌倉」でよい!
2007年 12月 15日
今回は主筆批判にあたる記事を掲載します。
過去、弊社主筆のさとうは、いわゆる「社共共闘」ないし「統一戦線実現」を夢見て走り回ったことがあります。
平和運動では、原水禁・原水協の対立。
選挙では、野党候補共倒れ。
これらを憂えてのことでした。
しかし、はかばかしい成果はなかったと断定せざるをえなかったと考えます。
1、いわゆる左翼だけを視野に入れた共闘はうまくいかない。
選挙に関していえば、今、衆院選では、民主党の候補を国民新党・社民党が推薦し、共産党も一部を除き候補を立てないことで側面支援しています。
古い言葉でいえば、「ブリッジ共闘」が民主党を媒介に、共産党、社民党支持者はもちろん、国民新党的な伝統保守も含め成立したのです。
その一致点は「とりあえず飯を食わせろ」「自民党案での改憲は反対」でしょう。
それで十分です。無理に目をつり上げて社民共産の共闘を、と叫ばなくても、よかった。
むしろ、小泉・安倍政治の矛盾に人々が気づき、それを察知した民主党が、経済では社会民主主義、露骨な改憲は押さえる路線に転換。社民党や共産党も首班指名で民主党の「小沢一郎」の名前を書いたのです。
それぞれ、普段は政党も、無所属の市民も、持ち場で頑張る。
そして「いざ鎌倉」というときだけ、一致点で共闘できる関係をつくる。
多様性を認めつつの自発的な共闘が威力を発揮します。
過去のさとう主筆のやり方では、逆に「共闘しないからお前らだめ」ということになりかねないのです。
また、左翼の「えらい人」だけをオルグしようとして失敗する。
そうではなく、野党第一勢力の民主党が、無視できなくなるまで、多くの人々が「野党は自民党に対抗してきちんと貧困撲滅を!」と声を上げたことが事態を結局動かしたのです。さとう主筆も二年前以降は完全にこの路線に転じました。
肩の力を抜き、いざ鎌倉というときには、一緒に闘えるようにしたいものです。
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過去、弊社主筆のさとうは、いわゆる「社共共闘」ないし「統一戦線実現」を夢見て走り回ったことがあります。
平和運動では、原水禁・原水協の対立。
選挙では、野党候補共倒れ。
これらを憂えてのことでした。
しかし、はかばかしい成果はなかったと断定せざるをえなかったと考えます。
1、いわゆる左翼だけを視野に入れた共闘はうまくいかない。
選挙に関していえば、今、衆院選では、民主党の候補を国民新党・社民党が推薦し、共産党も一部を除き候補を立てないことで側面支援しています。
古い言葉でいえば、「ブリッジ共闘」が民主党を媒介に、共産党、社民党支持者はもちろん、国民新党的な伝統保守も含め成立したのです。
その一致点は「とりあえず飯を食わせろ」「自民党案での改憲は反対」でしょう。
それで十分です。無理に目をつり上げて社民共産の共闘を、と叫ばなくても、よかった。
むしろ、小泉・安倍政治の矛盾に人々が気づき、それを察知した民主党が、経済では社会民主主義、露骨な改憲は押さえる路線に転換。社民党や共産党も首班指名で民主党の「小沢一郎」の名前を書いたのです。
それぞれ、普段は政党も、無所属の市民も、持ち場で頑張る。
そして「いざ鎌倉」というときだけ、一致点で共闘できる関係をつくる。
多様性を認めつつの自発的な共闘が威力を発揮します。
過去のさとう主筆のやり方では、逆に「共闘しないからお前らだめ」ということになりかねないのです。
また、左翼の「えらい人」だけをオルグしようとして失敗する。
そうではなく、野党第一勢力の民主党が、無視できなくなるまで、多くの人々が「野党は自民党に対抗してきちんと貧困撲滅を!」と声を上げたことが事態を結局動かしたのです。さとう主筆も二年前以降は完全にこの路線に転じました。
肩の力を抜き、いざ鎌倉というときには、一緒に闘えるようにしたいものです。
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by hiroseto2004
| 2007-12-15 22:30
| 新しい政治をめざして
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