実は「失われた三十年」
2008年 05月 26日
小泉純一郎さんに人々が期待した原因として、「バブル崩壊後の失われた十年から脱却させてくれる」という幻想があったと思います。
しかし、実際には小泉純一郎さんは、国民へのサービスはカットする一方、腐敗は温存した。
おかげで、日本はもう十年失うはめになりつつあります。
そもそも、バブルまでは良かったというのも幻想ではないか?
すでに中曽根政治・いわゆる土光臨調行革路線で、
1、格差を拡大し、内需を低迷させる経済政策
2、官僚による財政を通じた地方へのコントロール強化(本来脱却すべき開発独裁をあべこべに強める)
がされていた。
さらに外交でいえば
3、いわゆる不沈空母発言のようにアメリカ従属化は進んでいた。
1によりすでに輸出依存が強まり、その後、アメリカにより、プラザ合意による円高による反撃を招きます。
2により地方は官僚によるコントロールを強く受け、活力を失っていったと思います。
ただ、バブルがいわば目隠しとなり、中曽根政治の矛盾を一時期ごまかしていました。
しかし冷静に考えると、土光臨調行革路線が始まった1981年ないし、東京・京都・大阪の三都に官僚知事が揃った1979年以降は、まさに失われた三十年だといえます。
革新自治体が、不況により限界に突き当たってはいた。
しかし、すでに1980年代はじめにはしかしいい加減、官僚統制の時代でもないだろう、と思われますがそこから脱却しなかった。
さらに、その上、とくに橋本龍太郎内閣以降、小渕内閣以降はとみに、アメリカへの屈服が進みました。
アメリカにとり、都合がよい制度改変が多く行われました。
さらに「セーフティーネットなき雇用破壊」というむちゃくちゃな政治がとくに小泉純一郎さん以降進みました。
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おかげで、日本はもう十年失うはめになりつつあります。
そもそも、バブルまでは良かったというのも幻想ではないか?
すでに中曽根政治・いわゆる土光臨調行革路線で、
1、格差を拡大し、内需を低迷させる経済政策
2、官僚による財政を通じた地方へのコントロール強化(本来脱却すべき開発独裁をあべこべに強める)
がされていた。
さらに外交でいえば
3、いわゆる不沈空母発言のようにアメリカ従属化は進んでいた。
1によりすでに輸出依存が強まり、その後、アメリカにより、プラザ合意による円高による反撃を招きます。
2により地方は官僚によるコントロールを強く受け、活力を失っていったと思います。
ただ、バブルがいわば目隠しとなり、中曽根政治の矛盾を一時期ごまかしていました。
しかし冷静に考えると、土光臨調行革路線が始まった1981年ないし、東京・京都・大阪の三都に官僚知事が揃った1979年以降は、まさに失われた三十年だといえます。
革新自治体が、不況により限界に突き当たってはいた。
しかし、すでに1980年代はじめにはしかしいい加減、官僚統制の時代でもないだろう、と思われますがそこから脱却しなかった。
さらに、その上、とくに橋本龍太郎内閣以降、小渕内閣以降はとみに、アメリカへの屈服が進みました。
アメリカにとり、都合がよい制度改変が多く行われました。
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