エコでフェアでピースな世界をヒロシマから国政へ!成長戦略から成熟戦略。誰もが置きざりにされない社会を。核兵器も原発もない世界を。役人からヘルパーへ。庶民増税より格差是正。ヒロシマの心活かす市民発・政界再編。


by hiroseto2004

2015年 09月 01日 ( 4 )

【フクシマよりひどいことに道を開くのか?・・繰り返される度に深刻化する原子力災害の歴史】

日本の原子力はつい、二十年前までは、安全神話で塗り固められていました。
しかし、二十年前から原子力災害は、繰り返される度に深刻化していきます。そして、ついにはフクシマが起きてしまいました。しかし、安倍総理は、喉元過ぎて熱さ忘れるというべきか、川内原発を再稼働し、さらに原発輸出にご執心です。
正直に申し上げると、二十年前までは、原子力に反対する政党や政治勢力でもまさか大事故が本当に起きるとは思っていなかったのではないでしょうか?
それが証拠に、反原発を掲げていた日本社会党は、1994年に村山政権ができると、あっさり原発を容認してしまっていた。
しかし、皮肉にも、その翌1995年、高速増殖炉もんじゅがナトリウム漏れを起こします。(この事件を巡っては当時の調査担当幹部の西村成生さんが自殺に見せかけて暗殺されたとの疑惑もあり、遺族による裁判闘争も行われました。)
1997年春には、茨城県の東海村の動燃で火災爆発事故が発生しました。それを契機に動燃は改革されました。
そして、1999年9月30日、東海村のJCOで臨界事故が発生。後に二名の労働者の命が奪われました。日本共産党の不破委員長が原子力の推進機関と規制機関が諸外国では別れていることを党首討論で指摘したことを契機に原子力保安院ができました。
しかし、2007年、新潟中越沖地震が発生。東電柏崎刈羽原発も被害を受けました。大事故は免れたが、運転ができない状態に追い込まれました。
それでも、原子力から脱却しようという動きにはならなかった。
そうしたなかで、2011年3月11日、東日本大震災が発生し、フクシマの惨劇となりました。
自民党でさえ「脱原発依存」を掲げるようになった。しかし、です。
政権を奪回した自民党は、原発をベースロード電源とし、外国にも原発を輸出。ついに、2015年、川内原発を再稼働しました。
繰り返される度に原子力災害は深刻化しています。
フクシマより深刻な原子力災害が起きたら日本はどうなるのか?フクシマへの対応だけで手一杯なのに。
しかし、フクシマより深刻な原子力災害が起きる可能性を安倍総理は高めてしまったのです。
by hiroseto2004 | 2015-09-01 22:07 | エネルギー政策 | Trackback
by hiroseto2004 | 2015-09-01 21:58 | 本社出版物 | Trackback
【災害は忘れぬ頃にやってくる!】
本日は防災の日です。
昔は「災害は忘れた頃にやってくる」と言われたものでした。
しかし、いまや「災害は忘れぬ頃にやってくる」という表現が適切でしょう。
正確には「まだ、前の災害の記憶は生々しいから、まさか災害は起きないだろう」と油断しているところに災害は起きるということでしょう。
日本で、自然災害による犠牲者が一番少なくなったのは、1992年でした。
この頃、バブル崩壊はあったにせよ、日本は一番おごりたかぶっていた時代でした。
しかし、翌年1993年には、7月12日の奥尻大震災(北海道南西沖地震)や、台風・豪雨・大冷害に見舞われます。さらに1995年には、阪神淡路大震災が発生。太平洋ベルト地帯が戦後初めて、大地震に見舞われました。以来、日本周辺の地震や火山活動は活発化の時代に入ったとされています。2011年の東日本大震災を筆頭に、2004新潟中越大震災、2007新潟中越沖地震、2014御嶽山噴火など枚挙に暇がありません。また、気象災害も「過激」になる一方です。広島県内も、1999年の6・29と2014年の8・20土砂災害と大惨事に見舞われました。まさに「災害は忘れぬ頃にやってくる」なのです。
by hiroseto2004 | 2015-09-01 21:19 | 事故・災害・事件 | Trackback

大雨警報です!警戒を!

9月がスタートしました。
防災の日です。1923年の今日起きた関東大震災にちなんでいます。
その、防災の日に、広島市に大雨警報です!
早めの避難を呼びかける防災無線が、午前5時過ぎ、流れました。
警戒しましょう。
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by hiroseto2004 | 2015-09-01 06:16 | 歳時記 | Trackback