エコでフェアでピースな世界をヒロシマから国政へ!成長戦略から成熟戦略。誰もが置きざりにされない社会を。核兵器も原発もない世界を。役人からヘルパーへ。庶民増税より格差是正。ヒロシマの心活かす市民発・政界再編。


by hiroseto2004

カテゴリ:思想・哲学( 196 )

西部邁さんの光と影

西部邁さんが亡くなった。まずは故人の冥福を祈りたい。
西部さんだが、「ブント」の創始者であり、東大駒場時代、自治会の委員長選挙で不正を行ったことは有名である。
いわゆるボルシェビキ選挙である。

その後、保守へ転向。核武装論者でもある。そういう意味では、思想的には本社社主とは相容れない。

他方で、1990年代半ば、世の中は規制緩和一色で、日本共産党と新社会党以外、全ての政党が新自由主義的な
法案に賛成していた時代があった。そうした中で、西部邁さんと内橋克人さんだけは、主要論客の中では
規制緩和とか価格破壊の風潮に警鐘を鳴らしていた。

主要雑誌だと、西部さんの「発言者」、そして、社会主義協会の機関誌「社会主義」くらいなものだった。
「価格破壊は賃金破壊につながる」という西部さん。
「物価が安くなっても公務員の自分は大丈夫、というわけにはいかない。」という内橋さん。
その警告は当たった。

買い物難民の問題なども、規制緩和一辺倒の風潮が産み出したと思う。
そして、橋下徹さんらが没落した中小企業者らの支持を得てバカ受けし、公務員に襲いかかったのだ。

この点については、もっと考えないといけないと思う。







by hiroseto2004 | 2018-01-23 11:20 | 思想・哲学 | Trackback
トランプ就任1周年、「西側の液状化」進む

トランプが大統領になって一年。

アメリカ自身及び西側先進国はますますグダグダになってきている。

トランプだからグダグダになっているというより、アメリカがグダグダになっているからトランプのような男が大統領になた、と言うべきだろう。

ソビエトを中心とする東側に遅れること30年。今度は西側先進国がグダグダになってきた。
その原因の一つは、東側が潰れたことで調子ぶっこいた西側の自滅(新自由主義)というのは多分にあるだろう。

今後は、世界が完全に多極することが確実である。そうした状況に如何に対応するかが日本も問われる。

むろん、アメリカは実を言うと、民衆の抗議活動はもちろんのこと、ティラーソン国務長官ら政府幹部も「殿ご乱心を」ととばかりにトランプの暴走を止めている。そういう意味では、日本よりは権力へのチェックは働いている。本当に深刻なのは我が日本ではないのか?日本こそが、「西側液状化」の先頭を走っているとも言える。


  • 抗議集会がアメリカの各都市で実施
    抗議集会がアメリカの各都市で実施

アメリカの各都市で、トランプ氏の大統領就任1周年に際して、彼の政策に抗議する大規模な集会が行われています。

AP通信によりますと、20日土曜に行われたこの抗議集会の中で、抗議者はスローガンを唱え、トランプ大統領の行動に不満を示す内容が書かれた横断幕を手にして、その政策を非難しました。

抗議集会がアメリカの各都市で実施

元外交官のニコラス・バーンズ・ハーバード大学教授は、ツイッターでトランプ大統領はアメリカ史上最悪の大統領候補だとしました。

抗議集会がアメリカの各都市で実施

また、アメリカの数十万人の女性も、抗議集会を行い、アメリカにおける女性へのセクハラの増加に抗議しました。

抗議集会がアメリカの各都市で実施

アメリカ民主党のティム・ケイン上院議員は、女性の抗議集会の中で、アメリカの女性の政府の要職への就任は、世界的な平均、そしてイラクやアフガニスタンなどよりも低いことを認めました。

抗議集会がアメリカの各都市で実施

イタリア・ローマでも、多くの人々が、アメリカでの、特に映画産業や政界における、女性に対するセクハラに抗議しました。






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by hiroseto2004 | 2018-01-21 18:58 | 思想・哲学 | Trackback
電車内出産に「おめでとう」も言わないどころか「バッシング」ーー精神的内戦状態にある日本

電車の中で子どもが生まれたことに対して、ネット上に、「おめでとう」、とか「よかったね」ではなく、罵声を浴びせる人も多くてどん引きした。

「予定日に備えて入院しておけ」に類するコメントもあったが、予定外のことなんてざらにある。わたしの職場の同僚も、孫が生まれる予定が半月前倒しになったことがある。そんな簡単なことも想像が及ばないで脊髄反射的に叩くという。

絶対に迷惑をかけてはいけないという価値観を振り回し続ければ、最後は、自分に返ってくる。迷惑を他人にかけないなんて無理な話なのだから。

しかし、1990年代以降、徹底的に「自己責任」を煽ってきたことと、古来の「他人に迷惑をかけるな」のムラ社会が結合し、こんな殺伐とした不寛容社会になった、といえるだろう。ムラ社会に新自由主義を導入したらどうなるか。

凄まじい人口減少社会は当然の帰結であろう。武器こそないけれど、日本は「精神的」内戦状態であろう。

by hiroseto2004 | 2018-01-21 06:18 | 思想・哲学 | Trackback
ポストモダニズムの相対主義+ムラ社会→安倍ジャパン+ダウンタウン的ないじめ・暴力容認の気風↑

ポストモダニズムの相対主義は、結局の所、日本というムラ社会では、陰湿ないじめとか暴力容認とかそういうものを甘やかす結果になったと思う。

「虐められる方も悪い」
「村八分にされる方にも落ち度」
とか、そういう屁理屈がまかり通るようになった。間違いなく、そういう屁理屈を振り回す人たちにポストモダニズムは相対主義という武器を与えてしまった。

1990年代以降、「世の中の建前と反対のことさえすればウケる」的な流れが、次第に勢力を増していった。

「建前と反対のことをする俺格好いい」的な勘違いである。
そして、そういう人たちや流れを、ポストモダニズムも甘やかしたのだ。

その結果が、昨年の吉本隆明による慰安婦像を巡る恥ずかしい発言であり、ダウンタウンによる「ベッキーへのタイキック」事件である。

もちろん、繰り返し、わたしも主張しているように、他方で、相対主義と日本のムラ社会の風土の結合は、「権力批判はダサい」という気風も生んだ。相対化に便乗して、権力批判を怠ることは、日本というムラ社会の中では楽な道である。楽な道であるが、別の言い方をすれば堕落だ。その堕落の先頭にマスコミが立っている。その結果は、安倍ジャパンであることは言うまでもない。

by hiroseto2004 | 2018-01-12 23:57 | 思想・哲学 | Trackback
以下の投稿を社主の個人FBでさせていただきましたところ、多くのご反応をいただきました。
ありがとうございます!

日本の「国技」はいじめでは?
いじめ自殺「いじめられる方も悪い」
性暴力「被害者にも落ち度」
米軍機の落下物「そんなところに学校があるのがいけない」

by hiroseto2004 | 2018-01-04 19:56 | 思想・哲学 | Trackback
たかだか部長や課長が「会社」をアイデンティティーとすることに代表される現代日本の政治文化【思想・哲学】

イランやインドネシアといった国の人たちはそうはいっても、日本人より平均で見れば所得も低く、労働環境的にはそうはいっても忙しいはずだが日本人よりはデモに行く。他方で、欧州人は日本より豊かだが日本人よりはデモに行く。この差はなんなのか?ちなみに日本でも、戦後直ぐは、腹を空かせつつも、これから日本がどうあるべきか、あちこちで人々は議論したのである。

どうも、現代日本の問題は単純な「豊かさ」とか「忙しいから」の問題ではないようだ。

どうやら以下のあたりに原因がありそうだ。

失礼な言い方になるのを承知で申し上げる。日本ではたかだか部長や課長が「会社」をアイデンティティーとしてしまっている。

そのあたりの気風に原因があるのではないか?
部長や課長でも、経営に裁量を及ぼせない限り、「労働者」だろう。


ちなみに、欧州も階級格差はある。身分制度が残る国も多い。しかし、そういう国では「俺は労働者だから左翼支持」と開き直っているわけだ。

それと関連して日本においては、武士道的なものが庶民に求められてしまうのもおかしな話だ。だいたい武士だって本当のことを言えば江戸時代はただのサラリーマン、それ以前は(武装した)農民だったわけだ。

たかだか部長や課長が会社をアイデンティティーとしたり、庶民にまであったかどうかさえ疑わしい武士道を求める気風に漬け込んで、安倍総理とお仲間たちがやりたい放題の面があると思う。

逆に言うと人々に
「「あんな人たち」と俺らは違うから押しつけられる筋合いはない」
と開き直られたら困るのは安倍総理らであるのは間違いないだろう。


by hiroseto2004 | 2018-01-03 20:03 | 思想・哲学 | Trackback
【思想・哲学】個人が確立していない国でポストモダニズム(相対化)を導入すると、「近世」が復活するという社会実験に成功しつつある日本

今年2017年は「近代の超克」75周年でもある。現代で言う「近代の超克」は差し詰め「ポストモダニズム」であろう。

今年の日本は、個人が確立していない国で「近代の超克(ポストモダニズム)」を導入すると、「近世」が復活するという仮説が証明されてきた、と言って良いだろう。

一番、日本人にとって有害なのは「相対化」ではないか?

安倍総理一派の暴走に対して眉をひそめながらも、「野党も情けないから」ということで、事実上、許してしまう風潮もあった。一昔前なら「お灸」を据えて、多少なりとも与党議席を減らさせるくらいのことは起きただろうに。少なくとも政権交代までは行かずとも、与党議席が減った2000年あたりの衆院選などは絶妙なバランス感覚を発揮していた言える。「現に権力についている人の暴走」と「野党の頼りなさ」を同列に扱うのは如何なものかと思った。

全国各地のいじめ事件では「いじめられる方もわるい」と言わんばかりの報告を、教育委員会が出すなどしたのは記憶に新しい。

年末の沖縄・普天間基地周辺での落下物事故でも、米軍でさえも謝罪しているのに「やらせ」だとか、「学校があるのが悪い」などという心ないバッシングが相次いだ。

弁護士会も対応に乗り出した大分の村八分事件では、「若い人(といっても60代だが)」に対して「やられるほうにも問題がある」と言わんばかりで加害者が接したことが読み取れる。

東芝の原発がらみでの事実上の経営破綻。神戸製鋼所。最後は「JR」(新幹線)の重大インシデントで幕を閉じようとしている。

「まあ、堅いことは言うなよ。」
「この程度のことで、騒いでも仕方がないか」
こんな風に済ませてしまった結果の積み重ねが、社運や人命を左右しかねない重大な結果を招いた。

怒るときは怒って良いのだ。
何でもかんでも相対化してしまうことは、堕落しか招かない。
そもそもポストモダニズムというのは、西洋の帝国主義諸国が、自分たちのやり方を他国に押しつけすぎたことへの反省としては有効であったのだ。日本のような状態で、ポストモダニズム的な「相対化」を導入しても、近世のような状況への堕落しか招かないのである。

それにしても、日本の現状は哲学的な考察の対象としては非常に興味深いと思う。誰か、東大教授あたりが本を書いたら
良いと思うのだが。

by hiroseto2004 | 2017-12-23 20:24 | 思想・哲学 | Trackback
2017年は、ポストモダニズムが完全自滅した年と言える。

日本におけるポストモダニズムの最期の残り火は「小池百合子」「都民ファースト」「希望の党」だったと思う。
ふわっとした「風」に頼る勢力、と言ったらよいだろう。
1990年代でいえば前原誠司さんら民主党右派、そして2000年代前半の小泉純一郎さんらも「風」に頼る手法であった。
小泉さんについていえば自民党が前原さんらのお株を奪った形である。それが、安倍晋三さんら主導になって「古い自民党」に回帰した、ともいえる。

前原誠司さん、小池百合子さんらが、1990年代以降のいわゆるポストモダニズムの時代、小選挙区制、そして保守二大政党制を進めてきたことも特筆しておきたい。
世界においては、階級格差には冷淡である一方「多様性尊重」は一定程度掲げる。他方で民主主義と人権の名のもとに、中東は空爆しまくり。こういう人たちを広島瀬戸内新聞では「ポストモダニスト」と呼んできた。具体的にはクリントン夫妻やシュレーダー、ブレア、キャメロンといった政治家らである。こうした政治家たちも、極右と極左の挟み撃ちで苦境に立っている。

そんなポストモダニズム勢力は、日本においても、2017衆院選において、「近代立憲主義」を綱領とした「立憲民主党」の後塵を拝した。当選者も、民進党出身の小選挙区地盤が固い人が多く、小池直系のポストモダニズム色が強い新人候補は全滅した。

そもそも、ポストモダニズムの「相対化」というのは、西洋において、西洋人自身が過去、自分たちのやり方をアジアやアフリカ、ラテンアメリカ諸国に押し付けてきたことへの反省としては「それなりに」有効だったと思う。
しかし、そんなポストモダニズムも、例えば安倍晋三とか、レジェップ・タイイップ・エルドアンら、「確信をもって暴走する」権力者相手に対しては無力である。ポストモダニズムが、相手への批判を躊躇(ちゅうちょ)しているうちに、安倍やエルドアンは調子に乗って、やりたい放題しつつ、権力基盤を固めてしまうのである。

さらに、ポストモダンをムラ社会が残存する日本へ導入した結果、一般社会でも「いじめられる奴も悪い」的な開き直りを助長してしまった。

今の安倍総理の暴走というのは、ポストモダニズム自滅のあと、自民党に対抗する思想の再興(近代立憲主義なり、欧米のサンダース的な民主的な社会主義なり)が十分にできていない「端境期」であるがゆえに起きているといえる。

2017年の日本ではポストモダニズム勢力が完全に没落した。その代償として、内政的には古く(金丸的利権政治)、外交的にはタカ派のハイブリッドの安倍政権の暴走継続、という結果になったといえる。安倍自民党に対抗する思想の再興(近代立憲主義なり、欧米のサンダース的な民主的な社会主義なり)が十分にできていない「端境期」をいかに脱するかが今後問われる。



by hiroseto2004 | 2017-12-11 23:48 | 思想・哲学 | Trackback

価値観が多様化した状態でムラ社会が残るとどうなるか、という社会実験

日本は、現在、
「人々の生き方や価値観が多様化した状態で、ムラ社会的思考が残るとどうなるか?」
社会実験になっていると思う。
あるいは、
「ムラ社会が残存した状態でポストモダニズムを導入するとどうなるか?」
という社会実験でもあると思う。

人々の生き方が多様なのに、「他人に自分と同じ生き方」を強制する「ムラ社会」を維持すればどうなるか。
人々は衝突しあう。
若者と年配者。子どもがいる人といない人。雇用形態。いろいろなことで、激しく衝突しあう。お互いに「無理ゲー」を強いあう。
ただ、いろいろ口うるさくは言うけれど、「何かしてくれる」わけではない。
だから余計にたちがわるい。
他方で、ムラ社会の特徴として権力者に対しては甘いというのがある。
ポストモダニズムは、西欧ではアジアやアフリカに西欧のやり方を押し付けてきた西欧自身のの自己批判としては一定程度有効だったと思う。
しかし、日本においてはどうか?
ポストモダンの影響で「何でもかんでも相対化してしまう」風潮が広がった。その結果、権力(政府、大手企業など)の暴走に対する批判・監視を弱めただけではないのか?
その結果が「安倍政権」である。

日本で行われた社会実験
1、「ムラ社会が残存した状態でポストモダニズムを導入するとどうなるか?」
2、「人々の生き方や価値観が多様化した状態で、ムラ社会的思考が残るとどうなるか?」
は、1は安倍政権を招き、2は、「不寛容社会」を、招いた。2については、少子~無子化が加速。それはそうだ。これだけ、人々が衝突しあうぎすぎすした社会では子どもがいたら面倒だから。そして、外国人労働者にとっても「アジアで最も働きたくない国」に転落してしまった。
後世の世界史の教科書に「国の衰退例」として、載る可能性は高いと思う。
これだけ、急速に発展して急速に落ちた国というのも珍しいから。


by hiroseto2004 | 2017-12-08 09:27 | 思想・哲学 | Trackback
日本は米英仏の良い点(民主主義)に学びつつも悪い点(戦争)は反面教師に

米英仏には、そうはいっても民主主義という点で日本は引き続き学ぶべきだろうと思う。
たとえばアメリカはトランプがパリ協定を離脱してもパリ協定の精神に則った取り組みを粛々とする地方政府(州や自治体)も多い。
トランプがイランに因縁を付けても、ティラーソン国務長官らは「大統領、ご乱心を」と諫める姿勢だし、議会の多数派もそうだ。

他方で、過去においては植民地支配、今日でも「テロ対策」と称して、気に入らない国、たとえばアフガンやイラクやシリアなどを空爆しまくってきたこと(帝国主義)は、全く学ぶ必要はないどころか反面教師とすべきだ。
ロシアも含めて、これらの「白人キリスト教主導の大国」がテロに見舞われているのは、まさに、過去の植民地支配やテロ対策と称した空爆が恨みを買っているからではないのか?
アフガンでは当初はアメリカの傀儡とすら言われていたカルザイ前大統領ですら、「民間人死亡の原因」とアメリカ軍を厳しく批判している。
日本が憲法を変えて同じような「リング(土俵)」に上がったら同じような結果を招くであろう。

第二次世界大戦中の日本というのは、国内では「近代の超克」などとかっこつけて、実は単純に人権や民主主義をないがしろにし、他方で、アジアに対しては近代の英米仏露がやってきたのと同じような帝国主義で対応した。日本の悪い点と英米仏露列強の悪い点をハイブリッドしたような最悪の状態になった。

戦後の日本というのはアメリカ従属に見えて、以外と、恨みを買わないように幅広く仲良くし、振る舞っていた面もあった。たとえばイラン・イラク戦争では中立を保っていた。圧倒的多数の国(アメリカ、ソ連、イギリス、フランスなど)がイラクを支持する中である。それは商売上の部分も多々あったとは言え、である。

しかし、最近の日本は再び、戦時中のベクトルに戻りつつあるのではないのか?

 もはや、いろいろな国と幅広く仲良くする、と言う意味では、日本は中国やロシアやインドやイラン、イスラエルあたりにお株を奪われている。中国もアメリカをうまくなだめたり、イスラエルと軍事協力するなどしたたかさもある。イランもトランプには反発しつつもロシアだけでなく、EUや日本、東南アジア、中南米など幅広く味方を付ける努力をしている。イスラエルもアメリカ一辺倒ではなく中露双方ともバランス良く軍事協力もしている。インドも、中国とさえ、領土で紛争を抱えつつも経済的には交流を強めている。

総理が憲法を変えたいのはもちろん総理が「戦争というリング」に再び乱入したいからである。総理は、やりたい放題出来なくて面白くないのだ。

アメリカ従属といっても、朝鮮問題ではむしろ日本の安倍総理の方がアメリカ軍幹部よりも強硬なくらいである。
ペリー国務長官も戦争による犠牲を懸念しているし、アメリカ軍の統合参謀本部も「戦争をするなら、核兵器・化学兵器を陸軍で草の根を分けてでも一発残らず探し出さないといけない」(そうでないと、イスラム過激派などに危険物が渡る可能性がある)と戦争には慎重だ。

米英仏の民主主義を国内では否定しつつ、外交面ではアメリカの意図さえ乗り越えて戦争を煽る。冷戦期の日本独自の「意外とバランスが取れていた」外交政策も失われた。極めて危険な状態に日本はある。

経済面でも日本は「外国に学ぶ謙虚さ」と「新時代に合わせた技術・社会進歩を追求する心意気」双方が失われている。日本はかつてのような爆発的な成長は見込めないが、体力が落ちてるなどのハンディキャップがあっても社会に参加しやすいような技術や仕組みの開発では先頭に立つべきだろう。ところが、実際には介護機器などの面では中国に負けていると思う。ブラックな労働環境も相変わらずだ。これらを改めないと高齢社会には対応できないし、結局優秀な外国人労働者も来ないから余計にヤバい。
過去の栄光にこだわって外国を見下す一方、新時代に合わせた心意気もない、ではお先真っ暗である。日露戦争に勝って油断しまくっていたかつての日本も連想される危機にある。

日本は、民主主義では米英仏などに学ぶべきは学ぶ。そして、経済面では中国などにも謙虚に学びつつも日本の現状に合わせた技術・仕組みの進歩を追求する。外交面では、バランスを取り戻すべきであろう。

国や組織がヤバイときというのは、絵で描いたように「悪い面のハイブリッド」ばかりになってしまう。そして、それが不味いこととさえ気づかず「ポストモダン」だの「近代の超克」だの「日本凄い」だの「あーあー聞こえない」だのに陥るのだ。
まずは、現状の危うさに気づくのが第一。そして、現状の「悪い面のハイブリッド」を反転させなければならない。

by hiroseto2004 | 2017-12-03 22:38 | 思想・哲学 | Trackback(1)