エコでフェアでピースな世界をヒロシマから国政へ!成長戦略から成熟戦略。誰もが置きざりにされない社会を。核兵器も原発もない世界を。役人からヘルパーへ。庶民増税より格差是正。ヒロシマの心活かす市民発・政界再編。


by hiroseto2004

カテゴリ:歴史( 52 )

日本人にも難民の子孫は多いはずだが

日本人にも難民の子孫が多いはずである。

百済滅亡時の難民。
高句麗滅亡時の難民。
そして、南宋滅亡時の難民。
明滅亡時の難民。

多くの日本人に何分の一かわからないが、多かれ少なかれ、過去の難民の遺伝子が受け継がれていると思われる。

そういう歴史的な事実は、一応踏まえておきたい。

by hiroseto2004 | 2017-09-25 21:09 | 歴史 | Trackback
なんとういうことだ!!
しかし、これは、単純に「悪ガキのいたずら」と言うことも出来ないのではないか。
被疑者も一応16歳から19歳と言うことで、最低でも義務教育は終了したそれなりの年齢(19歳は参政権もある)です。
教育なども含め、歴史を風化させた大人の責任もありますね。


石原昌家・沖縄国際大名誉教授(平和学)は「今回の事件は常識ではありえない行為で、死に対する畏れが欠如している。犠牲となった住民らは集団死に追い込まれ、1987年にもガマは荒らされた。今回で3度『殺された』ことになる。教育の現場で沖縄戦の実態や歴史が伝わっていないのではないか」と指摘した。チビチリガマのある読谷村の石嶺伝実(でんじつ)村長は「容疑者が少年だったことに衝撃を受けている。歴史の風化が叫ばれているが、それがここまで来たのかという思いだ」と話した。


by hiroseto2004 | 2017-09-16 13:12 | 歴史 | Trackback
ナチスと組んだ挙げ句最後まで殉じるという愚挙

昨日・9月2日は、日本がミズーリ号で連合国への降伏文書に調印した日でした。

日本は、第二次世界大戦において「何をとち狂ったか」ナチスと組んでしまった。

「とち狂った」というのは、そもそも、ヒトラーは日本人を劣等民族として扱っていたから。しかも、ナチス・ドイツは、日中戦争では、長年、中国国民党軍を支援していました。ドイツから買った武器で中国軍は日本軍を苦しめていました。日本は日清戦争のイメージで楽勝だと思い込んだのが計算が狂ったわけです。

いろいろな意味で、ドイツと組むというのはあり得ない選択肢だったのに、組んでしまった。

日本が国連憲章の敵国条項を今も外されていないのは、要は日本が「ナチスサイドで参戦し、最後まで戦ってしまった」ということに尽きるでしょう。(同じ枢軸国でもイタリアとかルーマニア、ブルガリアなどは、途中で連合国に寝返っているため、敵国ではないという解釈が普通です)。

ヒトラーが自殺してナチスが降伏した後も日本は徹底的に戦い、「(ヒトラーに)殉じて」しまった感がある。印象がなんとも悪い。

もちろん、米英豪にだって人種差別はあったし、今でもある。しかし、より露骨な差別主義者と組むというのはあり得ない選択だったでしょう。

 日本が「アジア解放」云々を言っても、ナチスと組んでしまった時点で完全にアウト。これが、戦後の世界秩序であると言うことはきちんと押さえておかねばならないでしょう。

by hiroseto2004 | 2017-09-03 16:32 | 歴史 | Trackback
民進党の代表選挙は前原誠司さんが下馬評通り圧勝でした。

前原さんの路線は、どちらかといえば、1980年代の日本社会党の社公民路線に近いといえます。
この場合、日本社会党が民進党、公明党はそのまま公明党、民社党は連合右派に入れ替わるだけです。
だが、1980年代の社公民路線は、うまくいかなかった。
日本社会党は1980年にいわゆる社公合意で、共産党を切捨て、公明、民社との連合政権をめざした。
公明、民社は、当時自民党の大物だった小沢一郎さん、さらには金丸信(個人)らの方ばかりを向いていた。
結局、小沢さんらが自民党を割ってつくった保守系の新党と、公明、民社で主導する新進党が1990年代半ばには第二党に躍り出て、日本社会党は崩壊、と言う結果になりました。
ここでは、「小沢さんらの保守系の新党」は、もちろん、都民(小池)ファーストを思い浮かばされます。
しかし、民進党の議員の皆様も、冷静に考えて頂きたい。そして、ぐっと踏ん張って頂きたい。

小池ファーストも、中身はボロボロ。都議にしゃべらせないというていたらく。こんな所にすり寄ってもいいことがあるのですか?

むしろ、辛抱して、
自民党=安倍友土豪政治+旧型企業
小池ファースト=東京のお金持ちインテリ+新型企業
野党市民連合=庶民福祉重視、立憲主義
の三国志に持ち込んだ方が良いのではないか?


民進党代表選 新代表に前原元外相

民進党代表選挙は臨時党大会で国会議員らによる投票が行われ、いわゆる「地方票」と合わせて開票された結果、前原元外務大臣が新しい代表に選出されました。

前原元外務大臣と枝野元官房長官によって争われた民進党の代表選挙は1日午後、東京都内で臨時党大会が開かれ、2人が最後の演説を行いました。

前原氏は「大切なのはどのような社会を作り、実現するための具体策はどうなのか、そして未来をこじ開ける覚悟がわれわれにあるかどうかだ。荒波の先頭に立たせてほしい」と訴えました。

枝野氏は「次の選挙に勝って、その先のステージへと歩みを進めようではないか。私はリアリズムに徹し、バランス感覚をもって、みんなのために進むリーダーになる。政治の流れを変えていくために先頭に立って戦っていく」と訴えました。

代表選挙では地方議員と党員・サポーターのいわゆる「地方票」440ポイントのうち、前原氏が252ポイント、枝野氏が188ポイントで、前原氏が過半数を獲得しました。

このあと、国会議員と国政選挙の公認候補予定者による投票が行われ、有効投票の394ポイントのうち、前原氏が250ポイント、枝野氏が144ポイントでした。

この結果、全体では前原氏が502ポイント、枝野氏が332ポイントとなり、前原氏が新しい代表に選出されました。

前原氏は衆議院京都2区選出の当選8回で55歳。党内ではみずからが会長を務める議員グループを作っています。松下政経塾の出身で平成5年の衆議院選挙に、当時の日本新党から立候補して初当選し、野党時代の民主党では43歳の若さで代表となり、民主党政権で国土交通大臣や外務大臣などを務めました。

また、去年の代表選挙では蓮舫氏に敗れ、今回2度目の立候補となりました。前原氏の代表としての任期は、再来年9月末までの2年間です。




More
by hiroseto2004 | 2017-09-01 17:00 | 歴史 | Trackback
小池ファーストの支持基盤というのは、結局の所、階層で言えば大都市の中間層以上の比較的インテリの人たち+新興企業でしょう。
そのひとたちは、
ネトウヨ=高須院長のような人たち
ポストモダンなリベラル=階級格差には冷淡だが、多様性尊重には理解。人権は口にするが、権力や資本への批判には尻込み。大手企業正社員や正規公務員でもある連合の組合員とも重なる。

というタイプに分けられる。

ネトウヨは実際には、平均年齢38歳で、平均年収も高く、高学歴、というのがネトウヨ研究の第一人者・古谷経衡さんの調査結果である。

後者のポストモダンなリベラル、アメリカの「リチャード・ローティ」などが言うところの「文化左翼」も、小池知事を圧倒的に支持している状況がある。

クリントン的なポストモダンと、「日本スゲえ」のネトウヨ。これをサンドイッチしたのが、小池ファーストである。
これは、実は、戦前にも例があり、立憲民政党がこれに該当する。
大都市のハイカラなインテリ受けする社会政策と、ネトウヨ的な親軍派(永井柳太郎らが該当)をサンドイッチしたのである。

なお、戦前の「近代の超克」は結局の所、軍部の暴走を後押しすることになったのは言うまでもない。

他方、安倍自民党は、田中義一とか森恪に代表される立憲政友会が近い。
田舎のお金持ちと、旧型企業が支持基盤である。

なお、三菱は戦前は民政党で、今は安倍自民党だが、これは、戦前の三菱は「新興企業」の範疇に入るということに注意されたい。戦前に於いては三井とか住友が江戸時代からある旧型企業、三菱が明治以降の新興企業である。

安倍自民党は、積極財政や、国政の私物化という面では田中義一・森恪を思い起こさされる。

正直、どちらも、圧倒的多数の「東京圏以外に住む庶民」にとっては、不毛な選択肢である。
安倍でも小池でもない、立憲主義に基づき、庶民の暮らしに寄り添う経済政策を取る勢力の結集。
これが野党+市民の共闘であるべきだ。


by hiroseto2004 | 2017-08-28 14:33 | 歴史 | Trackback

バブル時代って、確かにフツーのサラリーマンの給料(30代半ば)※は今の二倍くらいあった。

だけど、首都圏では土地の値段はべらぼうに高く、フツーのサラリーマンは東京近郊では住む場所に困っていたからなあ。それを忘れてはいけません。

リゾート法とやらで、乱開発が進み、環境破壊と自治体の負債だけが残った。

「イッキのみ。」

「過労死。」

今よりひどかった。

日本人観光客はハワイや東南アジアで大暴れ。ひんしゅく買いまくっていました。

竹下蔵相~総理が消費税減税に先行して金持ち減税を進め、今の貧困の背景につながっています。

きちんとあの頃に企業福祉から個人向けの社会福祉に重点を切り替えれば今起きているような問題も少なかったでしょう。

大学の授業料は安かったが、学生運動はバブル期には衰亡しており、学費値上げへの抑止力がなくなっていました。それは、現在の若者の奨学金地獄につながっています。


国鉄分割民営化も、現在の高齢化時代の交通確保の上でも禍根を残しました。


今起きている問題の背景を作ったバブル時代って罪は重い。


但し、その後の1990年代の橋本龍太郎(自社さ政権)や、2000年代の小泉純一郎さんなど、経済的新自由主義を取りつつ、文化的にはリベラルな面を持つ人たちの政治が、人々を疲弊させきってしまった。


民主党政権が期待を集めたものの、失望された。

そして、2010年代後半の今、人々が30年前のバブルが懐かしくなって、「日本を取り戻す」安倍とか、カジノ・万博バブル狙いの松井一郎が一定の支持を受ける、ということになった。

だけど、

「バブルって本当に良かったのか?」

冷静に総括すべきでしょう。

その上で、今後、日本がどう進むべきか?

それを考えるべきです。


(※バブル最盛期からかなり過ぎた1997年の男性平均30代後半=589万円弱。2010年代=平均400万円台だが、ばらつきを考慮すると300万円台でもマシな方で、一部上場でも300万円切る企業もある。非正規雇用も増えていることも考慮すると、バブル最盛期から半減というのは大げさではないと思う。)


by hiroseto2004 | 2017-08-27 19:58 | 歴史 | Trackback

「日本の優位」の終焉を象徴する「明治維新150年」に


日本という国は、そもそも、遣隋使や遣唐使、「日宋貿易」(平清盛)とか、「勘合貿易」(足利義満~大内義隆)とかいって、中国から文化を取り入れて来たのが長きにわたる伝統である。


明治維新以降は、欧米のものをいち早く取り入れることで、アジアの中では「優位」を保ってきた。


しかし、その優位は完全に崩れている。


本当のことを言えば、1930年代には、日本は中国を日清戦争頃のイメージで捉えていて、舐めまくっていた。しかし、戦争をふっかけたものの、意外と中国軍も近代化していて、苦戦をしたのだったが、そのことを指摘する人は少ない。


そして、現在。日本の一人あたりGDPは、シンガポールや香港はもちろん、イスラエルにも抜かれたし、大卒初任給で言えば韓国にも抜かれた。日本の場合、大手企業の年配男性正社員が昔の名残で高給をもらっているが、彼らが退職すれば、全体でも韓国に抜かれるのではないか?結局、「アジア一」から「ミドルパワー」に戻る、ということだ。


ハッキリ言ってしまうと、明治維新から150年になる2018年は、「日本凄い」と言っている場合ではなく「150年経って、元の地位(アジアの中のミドルパワー)へ戻りつつある」ことを直視する年にすべきだろう。


以下の高野孟さんの論考も参考にされたい。





by hiroseto2004 | 2017-08-22 20:07 | 歴史 | Trackback
井手英策先生の議論の難点

「緊縮財政リベラル」浜口雄幸への反動としてのファシズム

浜口雄幸という昭和初期の首相(立憲民政党)。

立憲民政党というのは、今で言う多様性尊重のスタンス(現代で言うところの市民派っぽさ)を取る一方で緊縮財政主義だった。凄まじい緊縮財政を取った結果、「大学は出たけれど」という状況を招いた。
(ちなみに、立憲政友会=田中義一は、いまの安倍総理に似て、積極財政だが、中身が大手企業、軍拡に偏っている、という感じであり、主に地方を基盤としている点も似ている。)

そのことへの反動が、1930年代の青年将校(いわゆる「皇道派」)らによる「天誅!」の動き、さらには、「天誅!」で既成政党政治家や元老が排除されたことを背景とした「統制派」(東條英機)の権力掌握とその後の暴走につながったのは間違いない。

現代で言う立憲民政党は、1990年代の橋本龍太郎(故人、権力基盤は、自社さ連立で、今よりは「リベラル」だった)や小泉純一郎さん(女性閣僚を多く任命)、あるいは、民主党右派という感じだろうか。多様性尊重や一定の「市民派っぽさ」の一方で、緊縮財政主義という感じである。

その時期に、特に団塊ジュニア世代以下の困窮も進んだ。
「既成政党に天誅!」のノリの大阪維新などが台頭。反自民票が割れ「平成の東條英機」とも言える安倍晋三が返り咲いた。

安倍晋三の政治というのは、要は人々の「バブル期への郷愁」に便乗しつつ、自分自身の理想である「戦前どころか、封建時代を取り戻す」ということである。

もちろん、バブル期と今では条件は違いすぎる。大型ハコモノよりは、老朽インフラの更新、災害復旧(原発の廃炉も含む)であり、介護や保育、教育、さらにはエネルギーシフトに重点を置くべきだろう。労働力不足になっている現在では、より必要なところに労働力や資源が行くように工夫すべきであり、おそらく五輪をやっている余裕もなければ、今後、原発を動かしている余裕もない。

社会福祉については、企業に依存するこれまでの福祉から、個人を尊重する福祉へ切り替えないといけない。2009民主党政権の「国民の生活が第一」はおおむね「個人を尊重する福祉」という趣旨であったと思うし、大筋では間違いなかった。

ただ、前原誠司さんがもし代表になった場合、井手英策先生の指導の下、民進党が消費税大幅増税という方向に舵を切ることになるのではないか?

そして彼が総理になった場合、浜口雄幸や橋本龍太郎と同じ誤りを犯すことになりかねないと思う。

なるほど、経済成長は高度成長期ほどはないだろう。他方で、財政を黒字化しないとすぐ破綻するかのようなイメージに囚われると、逆に危ない。繰り返すが、たとえば日本政府(年金も含む)は、大量の外国証券を持っている。

 昔のアルゼンチンのような政府信用の失墜=大幅円安が万が一、起きたとしよう。だが、その瞬間に大幅円安により、日本政府所有の外国証券の価値は円ベースでは暴騰し、債務と資産のバランスは大幅に改善されることになる。(国債は円建てで発行しているので政府債務の円ベースでの価値に変化なし。)

 財政破綻のリスクを過大評価して、消費税の大幅増税を含む緊縮財政を行えば、その打撃は特に庶民を直撃する。

 しかし、実を言うと、薄々と多くの国民はそのことを感じている。何度も消費税増税がされても、福祉が良くなっていないことを実感しているからだ。井手先生がいくら、福祉の充実を力説しても、国民は納得しないだろう。

 消費税増税をいきなり掲げる政党に投票するほど、国民は愚かではない、とわたしは確信している。

 ただし、その「愚かでない」結果として、安倍総理が万が一「消費税減税」でも掲げた場合には、自民党をまたまた勝たせてしまうことになる。

 そして、その結果、総理の国家私物化は無罪放免とされ、暴走は続く結果になるだろう。

 パナマ文書でも明らかになったが「違法ではないが大手企業やお金持ちがセコい方法で税金を逃れている」実態がある。

 確かに、北欧の福祉国家の消費税率は高いが、日本の場合は、人口規模も違いすぎる。

現実的には、これまでも、日本がお手本としてきた英独仏が比較対象であるべきだろう。独仏よりも食料品にかかる消費税率は日本は高い。イギリスの場合はそもそも食料品と本(さすが教養を重視する国!)などは非課税だ。

こうしたことを踏まえ、消費税率、とくに食料品のそれへの引き上げは現実的ではない。むしろ、空洞化した大手企業や大金持ちへの課税の「強化」というより「再建」が必要だろう。

敢えて民進党が打ち出すなら、「消費税よりは国際連帯税」の議論をむしろした方が良いと思う。グローバルな金融取引などに課税し、貧困や疫病、環境対策に充てると言う方向である。

結論として
1,財政再建至上主義に陥らないこと
2,個人を重視した福祉への移行(これは井手先生とわたしで一致する点)
が必要であり、
・消費税率引き上げよりは、大手企業・大金持ち課税の「再建」
・消費税率引き上げよりは国際連帯税
であろう。

民進党が浜口雄幸・立憲民政党の誤りを繰り返さないことを願う。 

by hiroseto2004 | 2017-08-15 17:45 | 歴史 | Trackback(1)

関連リンク

75年の時を経て復活した「西田幾多郎」としての「三浦瑠麗」・・「近代の超克」から「ポストモダン」へ


「人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)~四五年のせいぜい二年間ほど」という三浦瑠麗さんの発言を契機とした「三浦・米山」論争。米山知事によるの総括です。


「終戦の日に当たり我々が再度認識すべき事それは,我々の社会は戦争の失敗を今なお持ち続けているという現実を直視することであり,それを克服する手段は,決して戦前の賛美や郷愁ではなく,的確な現状認識に基づいた,現代の社会にふさわしい,現代の解決策を模索する事だと,私は思います。」

全く同感です。この点が最も大事だと思います。


付け加えるなら「バブル期への郷愁を超えて」ということも申し上げたいと思います。



東京新聞が「気分はもう戦前? 今の日本の空気」と題する特集を組み,「今の社会に、戦前のかおりがしないか。」との問いかけをしたところ,論者の一人である政治学者の三浦瑠麗氏が「大日本帝国が本当の意味で変調を来し、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)~四五年のせいぜい二年間ほど」「『今は、あの二年間に似ていますか』と聞かれたら、私は「全然似ていない」と答えます」とされました( http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/hiroba/CK2017081202000195.html )。これに対する私とのやりとりが多少巷間に流布しましたので,この問題について,地方政治の現場の実情も踏まえて,私の考えを述べたいと思います。

 まず,三浦氏は恐らくそういう文脈で語っていると思われるのですが,「現代がそっくりそのままの形で戦前に似ているか」という問いがなされたら,私も「全然似ていない。」と答えると思います。
 あまりに当然ですが,戦前と戦後では憲法が違います。取り巻く国際情勢も違います。それ以前に,戦前には携帯電話もインターネットもありません。天皇を元首とする大日本国憲法の下で政治が行われ,日本を含む帝国主義列強に世界の富が集中し,数少ないマスコミと国家が情報を独占し,国民は国際情勢は愚か国内情勢さえ知る手段が限定され,国民からの情報発信の手段に至ってはほぼ皆無という時代と現代をダイレクトに比較して「全然似ていない」というのは,繰り返し,当たり前で言うまでもありません。
 我々が問うべきは,そのようなダイレクトな比較ではなく,様々な時代の変化を超えて,戦前と現在に,共通の傾向,共通の空気が無いか,それこそ今起こっていることの構造分析だと思います。

 そういう視点で見た時,地方政治の現場には,「戦前との共通項」―日本が自らの客観的実力を見失い,国際情勢を無視して,およそ不合理な戦略に基づいて戦争を始め,敗北が明らかになって尚,それこそ2年もの間,国民の権利を徹底的に抑圧して戦争を維持した「失敗の原因」-が相当数散見されます。
 どこの国でもお国自慢は当然ですが,今なお均質で閉鎖的な日本社会は,そのお国自慢を他者との客観的比較をすることなく「絶対の真実」捉えがちです。またコミュニティが内向きになると,外の世界の情勢の変化-特に自分たちではない集団の実力-を正当に評価することを軽視しがちになります。自慢や評価の対象は異なりますが,地方政治の現場においても,同様の事例は正直散見されます。
 さらに,集団の意思決定プロセスが明確でない上に一旦何かの意思決定がなされるとそれに異を唱える事がタブーとされがちな日本社会では,はるか昔に立案されすでに合理性を失っている計画が,誰も異を唱えることができないまま遂行されることが多々あります。そしてその合理性に欠く計画を無理に遂行する負担は,多くの場合「現場の頑張り」に押し付けられます。規模や計画は異なりますが,こちらも似た事例は,今なお地方政治の現場で散見されます。

 おそらくこれらの「失敗の原因」は,戦前と戦後断絶することなく,明治期にさかのぼって日本社会に通底する問題であろうと思います。
 そういったある種「民族性」ともいえる問題を抱えながら,しかし日本社会は恐らく,明治維新から日露戦争に至る明治期は集団主義的傾向が強く,大正期には自由主義的空気が花開き,戦前の昭和期には再び集団主義が強調され,戦後の昭和期には自由主義が開花しという変動を経てきたのだと思います。
 その変動の中で地方政治の現場から日本の現在を見た時私は,率直に,過度に内向きで,過度に外部を軽視し,内部の論理が合理性に優先し,そのしわ寄せを現場に押し付けて当然とする,悪しき集団主義の復活が懸念される状況であると思います。

 そしておそらく,「悪しき集団主義の復活」の原動力の一翼を担っているのが,「戦間期(第一次世界大戦と第二次大戦の間)の日本」は,「国家観、歴史観を持ち、理念を掲げられる日本人」を育てることができたが,戦後の日本はそれを育てることができていないという氏の意見に代表される,「戦前への郷愁」(氏は自らが戦前への郷愁を持っている事を否定するでしょうが,氏の文章を見る限り,そう取られて仕方ないものと思います。)ではないかと,私は思っています。
 戦前,日本が多くの偉人を輩出したことは一日本人として私も大いに誇りに思いますし,それ以前に,戦前の国際社会において日本がたった4か国の国際連盟の理事国の一つであり,世界第3位の海軍国であり,アジアにおいては断トツのリーダーであったことにはある種の喜びすら感じます。世界におけるプレゼンスは,戦前の日本の方が戦後の日本よりはるかに高かったことは,事実として疑いようがありません。
 しかしその主因は,日本が,45億人しかいない世界人口の中で1億を占め,数少ない帝国主義列強の一員として世界の富の独占の一翼を担っていたという当時の世界情勢によるところが極めて大きく,決して戦前の教育が戦後の教育より優れていたからでも,戦前の社会が戦後の社会よりも豊かであったからでもないと,私は思います。
 何より,どれほど戦前の社会・教育が優れ,「『国家観、歴史観を持ち、理念を掲げられる日本人』を育てることができた」としても,それはあくまで当時の国際情勢において優れていたという事なのであって,当時の教育そのままに,教育勅語を暗唱することにエネルギーの大半を使い,英語も,IT技術も,世界の多様性も教えない教育をしたところで,人口が86億人に膨らみ,新興国を含む多くの国にすむ人が瞬時に世界最新の情報・技術に触れ,それを自ら作り,発信できる現代の世界において,日本をリードするのにふさわしい「国家観、歴史観を持ち、理念を掲げられる日本人」を輩出できるわけではありません。

 終戦の日に当たり我々が再度認識すべき事それは,我々の社会は戦争の失敗を今なお持ち続けているという現実を直視することであり,それを克服する手段は,決して戦前の賛美や郷愁ではなく,的確な現状認識に基づいた,現代の社会にふさわしい,現代の解決策を模索する事だと,私は思います。


by hiroseto2004 | 2017-08-15 16:24 | 歴史 | Trackback
ABCCは間違いなくアメリカのための機関でした。
ただし、日本完全移管っていうわけにもいかなかったのは日本側のこだわりだったのですね。

◇外交文書に4案が示される

 米国の主導で広島と長崎に設置された「米原爆傷害調査委員会」(ABCC)を1975年に日米共同運営の財団法人「放射線影響研究所」(放影研)に改組する際、日本政府が他に世界保健機関(WHO)など国際機関への移管や日本単独運営を含む3案も検討していたことが明らかになった。今年公開された外交文書に記されていた。ABCCは活動初期の被爆者への対応が人権侵害と批判された経緯がある。日米関係を重視し、米国への反感を解消させる狙いで共同運営に決定していた。

 公開されたのは、外務省所蔵の72年1月〜74年12月の文書ファイル。74年1月9日付で厚生省(当時)が作成した文書「原爆傷害調査委員会の改組について」も添付され、4案が示されていた。このうち、米政府が求めた費用分担に応える日米共同運営案には「米国政府機関が戦後もそのまま居つづけているということに対する反感の消滅」が望めるという記述があった。

 ABCCは原爆投下を命じたトルーマン米大統領の指示で、47年に原爆放射線の影響調査を始めた。調査には日本の国立予防衛生研究所(予研)も参加したが、相手の同意を得ずに調査したことや治療を原則しない姿勢に被爆者が反発。さらに、68年の運営費は設立当初の25倍に及ぶ10億円を突破したが、日本側の負担は5%未満で、米国人所長が改組の必要性を訴えていた。米政府が当時、ベトナム戦争の戦費負担に苦しんでいた事情もあった。


More
by hiroseto2004 | 2017-07-31 10:16 | 歴史 | Trackback