エコでフェアでピースな世界をヒロシマから国政へ!成長戦略から成熟戦略。誰もが置きざりにされない社会を。核兵器も原発もない世界を。役人からヘルパーへ。庶民増税より格差是正。ヒロシマの心活かす市民発・政界再編。


by hiroseto2004

カテゴリ:反核・平和( 514 )

繰り返す。
そもそも朝鮮戦争は法的には終わっていない。
「戦争」はずっと続いていたのだ。
戦争を法的に終わらせる点は朝鮮も望んでおり、「平和条約」「非核地帯」で米朝両者が決着するよう後押しすることが大事だ。
米朝平和条約とともに、アメリカが朝鮮に、露中が日韓に核を使わないことを確約すればOKである。

by hiroseto2004 | 2017-08-13 16:50 | 反核・平和 | Trackback
by hiroseto2004 | 2017-08-10 11:08 | 反核・平和 | Trackback
イランでも長崎原爆の日は大きく報道されました。
イランは核兵器禁止条約賛成国です。


  • 長崎の平和祈念式典

長崎市の田上市長が、長崎の原爆の日に際し、世界の核兵器の廃絶を求めると共に、日本政府が、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を批判しました。

フランス通信によりますと、田上市長は、アメリカによる長崎への原爆投下から72年となった9日、平和祈念式典で演説し、「長崎市が原爆の被害を受けた最後の場所となるべきだ」と強調しました。

また、「核兵器が再び使われるのではないかという強い不安が世界に広がっている」としました。

また、AP通信によりますと、田上市長は、「安全保障上、核兵器が必要だといい続ける限り、核の脅威はなくならない」としました。

さらに、日本政府に対し、核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも拘わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しないことを批判しました。

田上市長はまた、政府に対し、核の傘に依存する政策の見直しを進めるよう求めました。

長崎の平和祈念式典は、朝鮮半島の核・ミサイル問題によって朝鮮半島の緊張が高まっている中で開催されました。


by hiroseto2004 | 2017-08-09 21:00 | 反核・平和 | Trackback
トランプ大統領がこの長崎原爆の日に、「北朝鮮は炎と怒りに見舞われる」と発言しました。

おいおい。一瞬、金正恩の発言かと思いましたよ。

ICBM開発に踏み切った(金氏)朝鮮の最終的な狙いは、体制維持のため、アメリカと国交を結ぶことです。

それを考えると、トランプ大統領が、「金正恩ばり」の発言をすることは、どういう結果を招くか?

金正恩に
「それみろ、アメリカは朝鮮にとって現実的脅威だ。先制攻撃してくるぞ。」
と、核開発の正統性を与えることになりかねません。
クリントンやブッシュらアメリカのエスタブリシュメントの主流を占めているいわゆる「ネオコン」ないし
「ポストモダニスト」が良い政治家だとは毛頭思いませんよ。
格差拡大しまくり、空爆しまくり、という罪は重い。

ただし、ブッシュのアフガン戦争にしても、イラク戦争にしても一応、911テロへの個別的自衛権
発動という大義名分がありました。ただし、テロの黒幕はサウジアラビアだったわけで、ブッシュの罪は
もちろん重いですが。

しかし、現時点で朝鮮側から先制攻撃もなければ先制攻撃の動機もないときに、わざわざ挑発的な言辞を弄する。
トランプはクリントンやブッシュと違い、露骨に人種差別的なことをするのが怖い。

「黄色人種の地域がどうなろうが知ったことではない。」そんな考え方でトランプに暴走されてはたまったものではありません。
トランプが暴走→捨て鉢で朝鮮がグアムへの核攻撃や原発へのテロ(日本や韓国についてはこっちのほうが可能性は大きいと思う)
という事態を憂慮します。

ともかく、「戦争が終わっていない」ということが、核軍拡競争を招くのは1998年頃の「インドーパキスタン」にしても、1980年頃の「イスラエルーイラク」にしても、歴史的な教訓です。
最終的に朝鮮における戦争を法的に終わらせる。そのことへ向けた各主体の努力を!


【ワシントン=黒瀬悦成】米紙ワシントン・ポストが8日、「北朝鮮が小型核弾頭の製造に成功した」と報じたことは、事実とすれば北朝鮮が米本土を直接脅かす核戦力を確保するという、トランプ政権が恐れていた「悪夢」がついに到来したことを意味する。

 しかしこの日、米国内でそれ以上に大きな波紋を広げたのは、トランプ大統領が「北朝鮮は炎と怒りに見舞われる」などといった、金正恩(キム・ジョンウン)体制顔負けの言辞で軍事行動に踏み切る意思を明言したことだ。

 米国の大統領が、他国から軍事攻撃を仕掛けられたというのでなく、「脅し」をかけられたことへの報復として戦争に言及するのは極めて異例だ。

 トランプ政権は、国連安全保障理事会が5日採択した北朝鮮制裁決議を踏まえ、ティラーソン国務長官らを中心に、中国やロシアも巻き込んだ国際的な対北包囲網の強化に取り組んでいる。最終目的は「外交を通じた北朝鮮の核放棄」だ。

 しかし、トランプ氏の発言は、北朝鮮問題の平和的解決に向けた国際連携の動きに逆行するものだ。むしろ、北朝鮮による「グアム島攻撃」の警告からも明らかなように、北朝鮮を無用に刺激し、米軍の攻撃は「現実の脅威」であるとの宣伝材料を差し出し、核開発を進める口実を与えることになりかねない。


by hiroseto2004 | 2017-08-09 20:27 | 反核・平和 | Trackback
本日は長崎の72回目の原爆の日
長崎市長も被爆者代表も力ある訴え
田上・長崎市長の平和宣言は、核兵器国政府や安倍総理に力強く迫る訴え方でした。安倍総理(日本政府)には「条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できない」と批判しました。
被爆者代表の深堀さんは、「フクシマ」にも言及し、「原発偏重社会」からの脱却、「唯一の戦争被爆国」としての義務を強く訴えました。
安倍総理の挨拶には拍手はまばらでした。

国連事務総長代理の中満泉・軍縮担当次長には満場の拍手でした。

長 崎 平 和 宣 言

「ノーモア ヒバクシャ」この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える 122 か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000 発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

日本政府に訴えます。
核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

私たちは決して忘れません。1945 年8月9日午前 11 時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15 万人もの人々が死傷した事実を。
あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして 72 年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。
遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の 7,400 の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

被爆者の平均年齢は 81 歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。
2017 年(平成 29 年)8月9日 長崎市長 田上 富久

【平和への誓い(長崎)】 
 原爆が投下された1945年8月9日、私は16歳。爆心地から3・6キロ離れた長崎県疎開事務所に学徒動員されていました。11時2分、白い閃光(せんこう)と爆発音を感じ慌てて机の下にもぐり込みました。夕方、帰宅命令が出て、私は学友と2人、金比羅山を越えて帰ろうと山の中腹まできたところ、山上から逃げてくる多くのけが人に「山の向こうは一面火の海だから…」と制止され、翌朝、電車の線路に沿って歩き始めました。長崎駅の駅舎は焼け落ち、見慣れた町並みは消えてなくなり、別世界に迷い込んだようでした。ようやく辿(たど)りついた山王神社近くの親せきの家は倒壊していました。その中で家の梁(はり)を右腕に抱きかかえるような姿で18歳の姉は息絶えていました。あの時、私が無理をしてでも家に帰っていれば、せめて最期に声をかけられたのではないかと、今でも悔やまれてなりません。そのあと大学病院へ向かい、さらに丘を越えると眼下に浦上天主堂が炎上していました。涙があふれ出るとともに怒りを覚え、「ああ、世界が終わる」と思いました。ここ平和公園の横を流れる川には折り重なって死体が浮いていました。私は、三ツ山に疎開していた両親に姉の死を報告し、8月12日、母と弟と3人で材木を井桁に組み、姉の遺体を荼毘(だび)に付しました。その日は晴天でした。頭上から真夏の太陽が照りつけ、顔の正面からは熱気と臭気がせまり目がくらみそうでした。母は少し離れた場所で地面を見つめたまま、ただ祈り続けていました。
 たった一発の原子爆弾は7万4千人の尊い命を奪い、7万5千人を傷つけました。あの日、爆心地周辺から運よく逃げ延びた人々の中には、助かった喜びも束(つか)の間、得体(えたい)のしれない病魔に襲われ多くが帰らぬ人となりました。なんと恐ろしいことでしょう。私は「核は人類と共存できない」と確信しています。2011年3月、福島第一原子力発電所の事故が発生し国内の原発は一斉に停止され、核の脅威に怯(おび)えました。しかし、リスクの巨大さに喘(あえ)いでいる最中、こともあろうに次々と原発が再稼働しています。地震多発国のわが国にあって如何(いか)なる厳しい規制基準も「地震の前では無力」です。原発偏重のエネルギー政策は、もっと自然エネルギーに軸足を移すべきではないでしょうか。
 戦後「平和憲法」を国是として復興したわが国が、アジアの国々をはじめ世界各国から集めた尊敬と信頼は決して失ってはなりません。また、唯一の戦争被爆国として果たすべき責務も忘れてはなりません。
 私は1979年、原爆で生き残った有志6人で原爆写真の収集を始め、これまでに様々な人たちが撮影した4千枚を超える写真を収集検証してきました。原子雲の下で起きた真実を伝える写真の力を信じ、これからも被爆の実相を伝え、世界の恒久平和と核廃絶のために微力をつくすことを亡くなられた御霊の前に誓います。
 
 2017年8月9日
 被爆者代表 深堀好敏

by hiroseto2004 | 2017-08-09 11:47 | 反核・平和 | Trackback
by hiroseto2004 | 2017-08-09 10:58 | 反核・平和 | Trackback
本日は長崎の72回目の原爆の日です。心から哀悼の誠を捧げます。

日時

平成29年8月9日(水曜日) 午前10時35分開式(開場 午前8時)

場所

長崎市松山町 平和公園内平和祈念像前広場(※荒天時は長崎ブリックホール)

※次の屋内会場で、平和公園で行われる式典の模様を映像でご覧になれます。

  • 長崎ブリックホール大ホール(長崎市茂里町2-38) 開場 午前9時30分
  • 長崎原爆資料館ホール(長崎市平野町7-8) 開場 午前9時30分

この2箇所の屋内会場では、午前9時30分からハンドベル演奏、朗読を行います。

式次第(予定)

  • 午前10時35分 被爆者合唱
  • 午前10時40分 開式 原爆死没者名奉安
  • 午前10時42分 式辞
  • 午前10時46分 献水
  • 午前10時48分 献花
  • 午前11時2分 黙とう
  • 午前11時3分 長崎平和宣言
  • 午前11時13分 平和への誓い
  • 午前11時18分 児童合唱
  • 午前11時23分 来賓挨拶
  • 午前11時38分 合唱 千羽鶴
  • 午前11時43分 閉式

式典の模様をインターネットで同時中継(日本語・英語対応)します!

日本語、英語それぞれにチャンネルURLを設けてます。
(URLは日本語、英語それぞれ一つ)

日本語 https://www.youtube.com/channel/UC07CRa3uXbLvjHAZIgoahlQ (新しいウィンドウで開きます)
英語  https://www.youtube.com/channel/UCDNGH88Z8fcQ-OH5VA6yIVg (新しいウィンドウで開きます)



by hiroseto2004 | 2017-08-09 08:58 | 反核・平和 | Trackback(2)
8月6日の平和祈念式には、イランの芸術関係者も多数参加されました。
広島に来ていただき、誠にありがとうございました。感謝申し上げます。
ちなみにイランは核兵器禁止条約賛成国です。
  • 広島の平和記念式典にイランの芸術界の関係者が参加

広島で実施されたアメリカ軍による原爆投下72周年にあたる平和記念式典にイランの映画や文学部門の関係者が参加しました。

(ファールス通信によりますと、)6日日曜、広島市でアメリカによる原爆投下記念日に当たる「原爆の日」の平和記念式典が開かれ、イランから文学や映画の関係者を含む芸術家らが、イランの化学兵器による負傷者と共に、この式典に参加し、8年にわたるイラン・イラク戦争の事実を世界の人々に伝えました。

広島の平和記念式典にイランの芸術界の関係者が参加

広島での今回の平和記念式典には、イランの代表として、イランの有名な映画監督キャマール・タブリーズィー氏、女優のファーテメ・モータメドアーリヤー氏やメリラー・ザーレイー氏、ドキュメンタリー制作者スィヤーヴァシュ・サルマディ氏、テヘラン平和博物館のモハンマドレザー・ソルーシ氏などが参加しています。



by hiroseto2004 | 2017-08-08 19:47 | 反核・平和 | Trackback

核兵器禁止条約には「対案」がないじゃん、自民党政府

自民党はいつも野党を「対案がない」と批判しています。

しかし、核兵器禁止条約については、具体的な対案もないまま反対しています。「非核兵器国と核兵器国の橋渡し」なんて言っていますが何か具体的にしてましいましたっけ?


そもそも最初の被爆国が米露中英仏など核兵器国に核廃絶を迫らなかったらどこが真面目に核兵器をなくそうとするでしょうか?

それこそ、朝鮮だってしまいには

「世界で最初に被害に遭った日本でさえ核兵器禁止条約に反対なのだから、俺達が核兵器を持って何が悪い」

と開き直りかねないのではありませんか?


「野党は対案がないまま批判ばかり」

という自民党の常套句。

核兵器禁止条約に対して具体的な対案もないのに反対する自民党に、そのままお返しします。




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by hiroseto2004 | 2017-08-08 18:12 | 反核・平和 | Trackback

広島瀬戸内新聞も賛同させていただいた「被爆72周年原水爆禁止世界大会」。

昨日、広島大会が閉幕しました。秋葉忠利さんのブログより。



被爆72周年原水爆禁止世界大会

――事務局長によるまとめ――

被爆72周年原水爆禁止世界大会が終りました。その全体像を理解して頂くために、大会の事務局長である藤本泰成さんの「まとめ」をアップします。昨年に続いて感動的なまとめです。私は第二分科会に参加しましたが、スペースの関係だと思いますが、私の発言への言及はありません。次回手短に補足をさせて頂きたいと思います。

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写真は開会総会のものです

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原水爆禁止世界大会・広島大会まとめ

被爆72周年原水爆禁止世界大会実行委員会

事務局長 藤本泰成

 核禁止条約に対する日本政府の態度が問題になっています。第2分科会の湯浅一郎ピースデポ副代表は、オバマ政権の8年間を総括しながら、「核なき世界」をめざす米国では、核兵器への巨額投資が続き、核戦力の近代化が続いた、今後10年間で核の近代化に800億ドル、運搬手段の近代化に1000億ドル、全体で1800億ドル、約18兆円が支出されることになったと指摘しています。オバマ大統領がプラハ演説で述べた「この目標は、私の存命中には実現しないかもしれない」と言う言葉は、米国社会に染みついた核依存態勢を象徴し、このことを変えるのは至難の業との思いの表れでは無いでしょうか。

 第1分科会で発表した、米国の平和NGOピースアクションのポール・マーチン代表は、米国で様々な問題を起こしているトランプ新大統領が、守っている唯一の公約は、軍事中心主義と軍事費の増額であると述べました。貧困層対策のプログラムの予算を削減し、軍事費を大幅に増額している事実を指摘しています。トランプ政権は、核の近代化政策においても、オバマ政権の方向性を支持しています。ただし一方で、イランとの間の核開発放棄の合意と北朝鮮の金正恩政権との対話の姿勢は保ち続けるとしています。

 北朝鮮は、核実験を繰り返し、ICBM・大陸間弾道弾の実験に成功し、米国内の全てを射程に入れたと主張しています。米国の核兵器とは規模も違いますが、核のにらみ合いとも言える状況が続いています。北朝鮮を対象とした、米韓軍事演習は規模を拡大し、日本を含む日・米・韓の軍事同盟強化はこれまで以上に進んでいます。米艦防護や後方支援など米国との軍事同盟を強化するために、安全保障関連法が成立しました。

 第1分科会で、軍事評論家の前田哲男さんが、43の民放70の新聞を使い、3億円以上をかけたと言われる「弾道ミサイル落下時の行動について」という政府公報を紹介しています。「できる限り頑丈な建物や地下街などに避難する」「物陰に身を隠すか、地面に伏せて頭を守る」「窓から離れるか、窓の内部屋に移動する」と書かれていますが、前田さんは、原爆投下の直後に大本営の「防空総本部」が出した新型爆弾に対する「対策心得」に書かれている「待避壕はきわめて有効、頑丈なところに隠れること」「普通の軍服や防空ずきんおよび手袋でやけどから保護できる」「伏せるか 物陰に隠れる」と比較し、全く変わらないとして、政治が言う安全保障のキャンペーンが、いかにむなしく、いかに危険かと述べています。

 小野寺五典防衛大臣は、自民党の「弾道ミサイル防衛に関する検討チーム」の座長を務め、「敵基地反撃能力」が必要として、2017330日に「弾道ミサイル防衛の迅速かつ抜本的な強化に関する提言」を総理に提出しています。安部首相は、すでに日本の自衛隊の役割を「抑止力」から「対処力」へと変貌させようとして、安全保障の議論を進めています。前田さんは、高高度ミサイル防衛システム(サード)や巡航ミサイルトマホークの導入などを通じた「敵基地反撃(攻撃)能力」の確保に議論が進み、安全保障政策は「憲法解釈上の議論」のレベルではなく、実際的な「防衛上の政策論」まで進んでいると警鐘をならしています。

 「日本が『核の傘』依存をやめること」これが、東北アジアの冷戦構造と安全保障のジレンマを解消することにつながっていく。東北アジアの非核化の問題を、第2分科会で議論していただきました。第3分科会では、核兵器の材料であるプルトニウムを創りだす核燃料サイクルの議論がありました。原子力資料情報室の伴さんからは、「再処理は崖っぷち」との報告がありました。サイクルの一翼を担う高速増殖炉もんじゅは、廃炉になっています。計画通りの実施が困難となった今こそ、核燃料サイクル計画からの脱却を実現しなくてはなりません。そのことこそが、東北アジアの平和のために、東北アジアの非核化そして共通の安全保障の道へつながっていくのです。原水禁運動が、この間主張してきた東北アジア非核地帯構想とその実現のための、日本を、プルトニウム利用政策から脱却させるためにがんばらねばなりません。

 事故を起こした福島第一原発は、6年を経過してもなお、事故処理の作業が全く進んでいません。政府は、除染によって避難指示区域の解除を進め、帰還を強要するかのように、これまでの支援の打ち切りを進めています。ヒロシマ・ナガサキの被爆者がそうであったように、フクシマのヒバクシャの生活再建にも、支援の手を自ら伸ばすことはありません。これまでの原水禁運動の経験に学び、福島県民と周辺県で放射能汚染を強いられた人々の健康不安、特に子どもの健康にしっかりと向き合い、生活再建・生業再建を目途に、「被爆者援護法」に準じた法整備を、国に求めていかなくてはなりません。

 このような中で、「脱原発」は確実に市民社会に根付いています。市民社会の声が、原発推進に戻ることはあり得ません。第4分科会では、環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長が、「世界は再生可能エネルギー時代を迎えつつある」として、再生可能エネルギーが指数・関数的に増加していることを明らかにしました。原発384GW、風力490GW、太陽光300GW、原発は漸減しているが太陽光発電は昨年1年で76GW増加していることを考えると、太陽光発電が原子力を上回るのは時間の問題です。当初、1Wあたり1万円もしていた、太陽光の発電コストは、今や1Wあたり40円となっています。地域分散型の再生可能エネルギーが、新たな地域再生の大きな力になり、日本のエネルギーを支えることを、私たちは、私たちの選択として実現しなくてはなりません。エネルギー・デモクラシーの時代を、私たち自身で切り拓かなくてはなりません。

 今年の国際会議は、「なぜ日本で脱原発は進まないのか」と言うテーマで、開催をしました。2025年までに脱原発を決めた「台湾」から、また、ムン・ジェイン新大統領が脱原発を志向し国民的議論に入ろうとする韓国からゲストをお招きしました。

 原水禁運動は、1955年のその発足から、核兵器問題と原発問題に、運動の両輪としてとりくんできました。様々な確執があったにせよ、私たちは、「核絶対否定」「核と人類は共存できない」ことを基本に運動を進めてきました。自民党政権は、195757日の参議院予算委員会で岸信介首相(当時)が「憲法は、核兵器保有を否定していない」と発言したり、また、201641日には、安倍政権が「必要最小限度の核兵器は合憲」の閣議決定をするなど、核兵器保有を否定しないできました。

 日本は、エネルギー基本計画に、使用済み核燃料を再処理し、プルトニウムを利用する核燃料サイクル計画を位置づけています。結果として47トンものプルトニウムを所持しています。日本は、常に瞬時に核兵器保有国に変貌できることを、再処理で担保しています。原水禁は、商業利用の名を利用した核政策としてのプルトニウム利用に反対してきました。脱原発が確定すると、結果として核燃料サイクル計画、再処理がその意味を失います。それは、日本が真の意味で核政策を転換するために、大きな意味を持ちます。核兵器禁止条約が採択された今、日本の条約批准が求められていますが、そのためには日本の核政策の転換を図らなくてはなりません。原水禁は、脱原発の視点から、日本の核政策の転換を考えようとしました。そして、フクシマを二度と繰り返さないことの、人権としての当然のとりくみとして、脱原発を考えました。

 パネラーのひとり、吉岡斉九州大学教授は、「日本の原発は動いていない。稼働可能な原発の内、現在稼働中は、5基、2017年中に稼働するとしている玄海原発を入れて7基である。2020年においても稼働できるのは15基から20基程度ではないか」とし、脱原発の実現に向けては、地方自治体からも、新潟の米山知事、静岡の川田知事など、再稼働を許さない動きが出てきている。今後、重要になるのは政治家の姿勢であると指摘しました。旧民主党政権が、「2030年代、原発ゼロ」の方向性を示したことも大きな動きだったとして、国会における多数派形成は、最重要課題としています。

 シュウ・グァンロン台湾大学教授は、台湾の脱原発が法律に規定されていることを報告されましたが、しかし、政治家を動かすには運動の力も重要であると指摘しています。イ・ユジン韓国緑の党脱核特別委員会委員長は、「これまで、韓国には原発推進の関係法律は存在するが、原発を止める方向での法律は存在していない。このことは重要な課題だ。現在野党が多数派を形成しており、野党の議員の理解を求めることも重要である」としました。

 オーストリアは、脱原発と核兵器不保持が、憲法に規定されていると聞きました。政権が変わっても重要な政策が変更されないようにすることが目的とされています。

 原水禁運動のとりくみを通じて、脱原発の方向を確固たるものにするために、私たちのとりくみの方向は明らかになっています。

 少し話を変えたいと思います。私は、北海道の本当の田舎町で育ちました。昼は蝉の声が、夜は蛙の声で眠れないことがあるほどの、自然の中で育ちました。夏は野山を走り回り、冬は雪の中を転げ回りました。

 北海道の冬の夜は、冷えます。深々と音もなく雪は、静かに降り積もります。子どもの頃、覚えた詩が頭に浮かびます。三好達治のたった2行の有名な詩です。

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。

次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

 詰めたい布団に入って、最初はじっと我慢しながら、ちょっとした不安の中で眠ってしまう。朝起きた後の、朝日の中の雪のキラキした輝きが、今でも目に浮かびます。

 自然の中で、泥だらけになって、雪まみれになって、育ってゆく。日本の故郷の子どもたちの姿です。

 福島第一原発の事故以降、フクシマの野山はどうでしょうか。フクシマの雪の中を、転げ回ることができるのでしょうか。

 フランスの文学賞を受賞した、福島市在住の詩人、和合亮一さんの詩をツイッター上で読ませていただきました。

「石の礫」と言う作品ですが、長文ですので、その中の「悲しみ」と題された部分を、抜粋させていただきながら、一部を紹介します。

  三月十一日 悲しい 揺れ 巨大な 揺れ あれから

  私の町の駅はまだ目覚めない。囲われて、閉じられて、消されている。

  あなたにとって、懐かしい街がありますか。私には懐かしい街があります。

  その街はなくなってしまいました。

  あなたは地図を見ていますか。私は地図を見ています。その地図は正しいですか。私の地図は、昔の地図です。なぜなら今は、人影がない。…。

  放射能が降っています。静かな夜です。

  ここまで私たちを痛めつける意味はあるのでしょうか。

  ものみな全ての事象における意味などは、それらの事後に生ずるものなのでしょう。ならば「事後」そのものの意味とは、何か。そこに意味あるものは。

  この震災は何を私たちに教えたいのか。教えたいものなぞ無いなら、なおさら何を信じればいいのか。

  放射能が降っています。静かな静かな夜です。

 私は、自然の中で、のびのびと育ってきたことが、私にとってかけがえのない素晴らしい贈り物であったように思います。

 放射能が降っている。静かな静かな夜です。皆さん想像してみて下さい。

 雪は見えます、が、放射能は見えません。雪の中を子どもたちは転げ回ります、が、放射能の中を転げ回ることはできません。雪を口にする子どもたちがいます、が、放射能を食べることはできません。

 私たちが、子どもたちに残し、受け継いでいくはずの自然を、放射能は奪い取っていったのです。

 基調提起で申し上げました、憲法には、健康で文化的な生活を営む権利、人間らしい生活を営む権利が、しっかりと決められています。フクシマは、憲法違反です。

 放射能が降っています。静かな静かな夜です。

 そんなところに、人間らしい生活があるはずはありません

この詩は最後を、こう結んでいます。

246分に止まってしまった私の時計に、時間を与えようと思う。明けない夜は無い。

 さあ、私たちは、明日のために何をしますか。昨日、今日の議論から、私たちは何をしますか。

私たちの生活の場から、答を出そうではありませんか。

 それは難しくありません。

 最後に、実行委員会の皆さん、参加いただいた講師の皆さん、海外ゲストの皆さん、そして全国からの参加者の皆さんに、心から感謝を申し上げて、まとめといたします。


by hiroseto2004 | 2017-08-07 10:11 | 反核・平和 | Trackback