「ほっ」と。キャンペーン

エコでフェアでピースな世界をヒロシマから国政へ!成長戦略から成熟戦略。誰もが置きざりにされない社会を。核兵器も原発もない世界を。役人からヘルパーへ。庶民増税より格差是正。ヒロシマの心活かす市民発・政界再編。


by hiroseto2004

カテゴリ:反核・平和2003( 4 )

広島ブログ

<03 インド・パキスタン若者・ヒロシマの感想> 

<インド>

シャシ・ブシャン・クルリShashi Bhushan Kurli  18才 ジャムシェドプール市
Turamdigh出身

セミナーに参加するために来ました。広島に着いたのは11月1日でした。日本に来る前は、日本
のことなど何も知りませんでした。日本の科学技術が進んでいて、広島と長崎が被爆したという
ことしか知りませんでした。広島に来て、平和記念公園や資料館を見学し、被爆者に会いました。
被爆者に会えたことはすごい成果でした。被爆で多くの人々が殺され、生き残った被爆者も生き
るために闘ってきましたし、今も闘っています。被爆者は僕たちのりっぱなお手本です。被爆者
の話を聞いて、心の中が悲しみでいっぱいになりました。ときどき、人間はどうしてこんな兵器
を作るのだろうかと考えるようになりました。今でも作っていますが、よく恥ずかしくないものだ
と思います。資料館を見学した後も、とても悲しくなりました。僕には被爆の経験はありません
が、被爆によって都市が破壊されるということを学びました。

 どうしても言っておきたいことがあります。日本人は親切ですばらしい人たちだということです。
帰国したら、国の人々にここで経験したことを話します。僕の話を聞いて、他のひとたちも
核兵器に反対するようになると思います


ショバ・ソレンShobha Soren      20才   ジャドゴダ

始めて日本へやって来た時、ここは自分がずっと来たいと思っていた場所だと感じました。
日本の方々がそれぞれ各々の方法で私たちを歓迎してくださり、私は本当にうれしかった
です。ここに来るまで、私は単に観光旅行に参加するのだと思っていましたが、ここを訪れ、
私は私たちがジャドゴダで黒い影に囚われていることを感じました。

多くのヒバクシャの方から話を聞きました。やすらぎ園にいる被爆者の方々は勇敢ですが
同時に病気にも苦しんでいて、孤独です。やすらぎ園にいる多くの方が子供もなく、一人
です。私たちが「さようなら」と彼らに言った時、泣き始める人もいました。私たちに会えて
幸せだったのだと思います。核兵器をなくすために行動を起こさなければならないという気持
ちを私たちの中に起こさせてくれました。なぜなら核兵器をなくすことこそ、有効だからです。
または、唯一の効果的方法だからです。私たちの次の時代へのギフトにもなるでしょう。
私たちの政府は核兵器を作るためにお金を投資しています。インドへ戻ったら、核兵器に
お金を投資しないことを彼らへ伝えたいと思っています。

広島は本当に美しい街です。広島の政府機関は自身の市民を大事にしていました。私は
再び日本を訪れたいと思います。何度も、何度も。


プラチュシュ・プラスンPratyush Prasun    17才     ラーンチ市

この度、広島訪問という素晴らしい機会に恵まれました。来日前、本を読んで前もって広島
について学んでいたのは、いくら開発された都市とは言え、おそらく通りには被爆者がいた
り、破壊された街角が残っていると思っていたのです。しかし来てみると、ここが原爆の被害
を受けたなんてとても信じられませんでした。しかし、平和公園や資料館、原爆病院、原爆
養護ホームを訪問し、被爆の実相はすぐにわかってきました。中でも原爆養護ホームに私の
心は打たれました。被爆者がそこで流した涙を一生忘れることはないでしょう。それに引き替
え、私の国の病院や養護ホームは、患者のための十分な施設も整っていませんし、どれだけ
遅れていることか愕然としました。日本のこれほどの病院を得ることは、インドではまさに夢
物語です。

私が広島でインドを誇りに感じたのは、平和公園の仏教のスローガンや宮島で仏教の教えに
従って建てられた建物を見た時でした。そしてまた訪問中、被爆証言、写真、本などから学ん
だことが私の心を完全に変えてしまいました。母国の原爆をどうしたら廃絶できるか考えるよう
になりました。また、放射線についての講義によって、これまで全く知らなかったことを学び、少
なくともそれがどんなに恐ろしいものかわかりました。そしてまた、小出教授の研究によると、
ジャドゥゴダやランチ周辺で高レベルの放射線が測定されたと知り驚きました。そこで生活する
上で、ただ想像を絶するばかりのことでした。しかし人々は実際そこで暮らし、ドキュメンタリー
「ブッダの嘆き」を見てのとおり、ひどい状況下で我々は暮らしているのです。ですから私の使命
は、ジャドゥゴダ住民を悲惨な生活から救うことだと悟ったのです。また、核の関連ビデオ「核の
影に覆われたイン・パ」を見て、核兵器は安全保障の兵器ではなく、逆に危険に陥れるものだ
ということが明らかになりました。

一方、パキスタンの学生と出会う夢も叶いました。思っていたとおりにフレンドリーな仲間です。
彼らがインドを敬愛してくれているのを知り感動しました。インド国民として、誇りに感じています。
彼らと多くの話し合いの機会を持つことによって、やっと気がついたのですが、両国の紛争に
携わるのは支配層であって、国民同志は常に互いを思いやっているのです。

もう1つ述べておきたいのは、日本の家庭にホームステイする機会を得て、お蔭様で美味しい和食
やインド料理を食べて本当に楽しく過ごすことができました。家族の皆さんが私を自分の息子の
ように接してくださり、心からもてなしてくださいました。洗濯やアイロンかけまでしていただき、
私のスーツケースは母がしてくれたのと同じ状態となりました。

最後に、将来の計画について述べておきたいと思います。ランチに戻ったら、スニハとまず会って、
彼女が勢力を注ぐ活動にボランティアで参加したいと思っています。一方、今回の体験を友人や
家族と分かち合いたいと思っています。彼らに写真、映画、本で実相を伝え、原爆の危険性を
認識してもらい、さらに我々のグループを大きく育てていきたいと思います。また、どうにかして
人々の注意をジャドゥゴダへ引きつけられるよう様々な方策を執りたいと思っています。

PRATYUSH PRASUN
Prat27yush@yahoo.co.in

追伸: 広島から期待したいのは、熱意を持って活動を続けていくことでジャドゥゴダの人々の
力強い支援となることです。広島の原爆資料館のような施設がジャドゥゴダ近郊に作られるべき
であり、そうすれば、原爆や放射線被害について人々に警鐘を与えることになると思います。



カルナ・バラ・ムルム Karuna Bala Murmu    21才   ジャドゴダ

広島、私の夢の地?。この美しい都市を訪れるチャンスがあろうとは思いもしませんでした。しかし
2003年11月1日、私たちはやって来たのです。街の美しさだけではなく、人々は言葉で言い表
わすことができないほどいい方ばかりで、とても礼儀正しくサポートしてくださっています。街同様、
本当に素晴らしい市民です。

今回の訪問は、広島の方々の尽力がなければとても実現しませんでした。友達は、私が日本に
行くと知り、「とてもラッキーね」と言いました。来日し、私もつくづく幸運を感じています。

広島を訪れ、平和公園から宮島に至るまで周囲のものすべてが美しく、とても楽しく過ごしました。
そして一番ワクワクする重大なことと言えば、パキスタンの友達と一緒に過ごしたことです。お互い
に意見交換もしました。彼らはとても真摯で友好的です。
このほか、被爆者を訪ね、被爆証言を聞いたのは貴重な体験で、多くのことを学びました。また、
中学校を訪れ一緒に給食を食べたのも楽しい思い出です。実は広島に来る前、私たちは世界で
孤立していると思っていました。なぜなら、私たちの政府は国民にあまり関心がないみたいだか
らです。しかし、ここに来て日本の人たちのやさしさに触れ、涙がこぼれ出ました。広島の大人
だけでなく子どもたちも、私たちのことを気にかけてくださっているのです。

当初は、今回のミッションを普通の旅と考えていましたが、来てみると結果的に多くのことを学び、
インド国民に伝えることを得たわけです。そしてまた、ホストファミリーの皆様には感謝の念に絶え
ません。私のことを気遣ってくださり、本当によくしてくださいました。
今、私は自分の行動に密かな自信を持っています。広島訪問によって平和と核兵器の知識を
たくさん得ることとなりました。今や、インド国民と世界平和のために何かが出来ると感じています。
「暴力は、問題の解決にはならない。それは人生を直接脅かすものである」。
Karuna Bala Nurmu


ケトゥキ Ketki  16才                ラーンチ市

まず最初に、森瀧春子さんをはじめ、他のメンバーの皆さんのインド・パキスタンへ、そして全世界
に向けて下さっている愛情に対し感謝したいと思います。皆さんは親切にもインド・パキスタン青少年
の平和交流を実現するために大変ご尽力下さいました。
今日、インド・パキスタンは核兵器の影に覆われていると言えます。しかし私はこれにもう一語付け
加えたいと思います。それは、インド・パキスタンは核兵器の悲痛な影に覆われているということです。
これは、科学者たちによってなされた全く衝撃的なことです。我々がこれらの核兵器について考え、
製造を始めるとき、それはただ我々自身を害することにしかなりません。採掘、精錬、とりわけ使用
については、採掘によるジャドゴダでの被害、そしてこれらの核兵器使用によるヒロシマ及びナガ
サキでの被害といった重大な実例というものがあります。その中で、これら核兵器に関する安全性
というものは一体どこにあるのでしょうか?人口を減らすということでしょうか?それともより多くの
孤児を生み出すことでしょうか、何世代にも渡って障害を持つ子どもたちを増やし続けるということ
なのでしょうか?核兵器とは科学者そして政府が持つ単なる夢でしかないと思います。核兵器に
正当性など全くありません。戦争という言葉がありますが、それによって作り出されるものは「最悪
の関係」を意味します。
地球(Earth)という言葉はもちろん誰もが知っている言葉ではありますが、それが何を意味するのか
考えたことがあるでしょうか。それは「心を通じた関係を促進する」ことを意味するのですが、そうでは
なく「憎しみを通じた関係を築く」こととして捉えられているように感じます。現在、我々は宗教の名に
おいて戦いを行っています。しかし、どの宗教が我々に戦うことを教えていると言えるでしょうか?
それは、貪欲という名の宗教でしかありません。それは、はちみつを持ってこさせ、最後には殺して
しまう蟻の貪欲さと同じです。それは、そのような破壊的な核兵器の火の中に人を投げ込む人間の
貪欲さなのです。我々は「地球(Earth)」とは、母のようにそれぞれが必要とするものを満たしてくれ
るものと考えます。では、その自分たちの母親をいくつかに分けてしまい、その上、そのもはや死ん
でしまっている母親のいくつかの部分を獲得するために満たされない生活を続けることを一体誰が
出来るのでしょうか?これは、すべての人にとって全く馬鹿げたことです。また、一体どのようにして、
すべてにとっての母親である地球を分けることが考えられるでしょうか?そして、それを分割した後
でさえ、どうしてそのすでに亡くなっている母親の一部を巡って戦うことが出来るのでしょうか?これ
が、核兵器製造の理由なのです。現在、インドでもパキスタンでも誰も人類愛ということを考えようと
しません。もし考えているのならば、3度にわたる戦争は起きていなかったでしょう。この世界では、
高価なものを贈り物として誰かに買ったり、与えたりしますが、お金のかからない、そして利己的で
ない愛を誰かに対して持つことはなかなかありません。

誰もどの瞬間がそれぞれの人生で最後の瞬間になるかなど分かりません。どうしてこの貴重な瞬間
を憎しみのために無駄にすることが出来るのでしょうか?どうしてこの瞬間を誰をも平等に愛すること
に使うことが出来ないのでしょうか?人間は善悪を判断する力を持っています。

これらが私がずっと思っていたことでした。しかし、広島を訪問し、被爆者の方々と会い、そして平和
資料館、原爆病院等を訪れた後、これらの考えが私の中で走り巡っています。広島内外の年長者
たちの恩恵をもって、私は私の国に平和をもたらすよう最大の努力をしていくつもりです。私は決して
一人ではありません。私を助けてくれるたくさんの日本人、パキスタン人、そしてインド人の友人がい
ます。特にインドでは、すでに平和のために努力しているスネハがいます。この大きなグループを
もって、いつか皆で友好に手を取り合うことが出来るでしょうし、必ず実現するつもりです。必ず我々
はこれを実現することが出来るのです。なぜなら「意志あるところに道は開ける」からです。
Ketki
 E-mail: ketki2moon@yahoo.com


 < パキスタン>  

アシム・カーンAsim Khan     15才  ペシャワール市

この街の悲しい歴史を知ってはじめて、人間の野蛮さというものが理解でき、同時に、人間の寛容さと
献身ということが理解できました。米国は、核兵器を実験するために広島に原爆を投下し、多くの人々
の命を奪いました。人間がどうしてこのような残酷な決断を下せるのか理解できません。他方で、日本人
は、怒りと復讐心を平和への貢献へと転化し、偉大な勇気と寛容さをもって平和の道をたゆまず歩いて
きたのです。これもまた、私にはとても不思議なことではありますが、このことに対し、日本人に心から
敬意を表します。
 かつて、ことごとく破壊された広島は、今、人々が豊かに暮らす世界有数の発展を遂げた都市に
なっています。これは、日本人のものすごい努力の賜物であり、地獄を楽園に作り変えることができて
も不思議ではありません。
 この街は、私にとって平和の使節としてあるだけでなく、平和の達成をめざす私を励まし、支えてくれる
街です。ヒロシマで平和の意味を学んだ私は、平和の大使になります。被爆を体験したヒロシマとヒバクシャ
は、侵攻され、憎しみに燃えた心を平和の灯火で導くことができるのであり、ここに集まったグループ全員
は、ヒロシマの心を、世界中に広めてゆく決意にあることはいうまでもありません。


ザーラ・マルカニ. Zahra Malkani   16才    カラチ市

 数週間前、パキスタンのタール砂漠に行きました。周囲に広がるどこまでも続く砂の海と、果てしない
砂丘の、そのどこかに国境があります。国境線はインドとパキスタンを地上で隔てるものです。この境目
に唯一見えるのは、国境線に向けて空にきらめく一連の光だけでした。ふと気がつくと、鳥の群れが国境線
を横切って飛ぶのが見え、あっという間に、パキスタンからインドに飛んでいきました。私は、突然、奇妙な
幸福感にあふれ、さわやかな気分になりました。鳥たちは、見事に、自由に、何にも拘束されず、国境
もなく、無限の空を飛び回ることができるのです。その美しさ、自由さ、純粋さに私は圧倒され、これは、
私たち人間にはとうていできないことだと思ったものでした。
 ここで、この一週間で、私はついにそれを経験したのです。私の中ですべてのわだかまりが消え、
「自己」を乗り越え、今ここにいる私は、他のみんなと同じように、愛と平和、団結を渇望する謙虚な
一人の人間になりました。経験はとても得るところが大きく、地道で、啓発的で、あらゆる笑いから、
あらゆる涙、あらゆる瞬間、あらゆる言葉、あらゆる訪問まで私の脳裏に焼きついています。あらゆる
経験が、私を変えてゆくのがわかりました。私にこの機会を下さったみなさん、貴重なことを教えてくだ
さったみなさんに感謝し、この経験を生涯大切にするつもりです。この一週間に会った人それぞれが、
何か貴重なことを教えてくださいました。本当です。言葉では十分ではないので、みなさんが私を
変え、意欲を高めてくれたことを実行して証明します。みなさんから学んだことを、決して無駄に
しません。どんなに感謝しているか、言葉では言い表せないほどです。  

ザーラ・マルカニからのメール(パキスタン帰国後、カラチでの会合で発表したもの)
人の心にあるもの、慈悲      哀れみは人の顔に
愛、人の形をした神の現れ    そして平和、人自身が身に付けるもの      
ウイリアム ブレイク
 私は文章を書くのが得意だとはいえませんが、今、広島への旅について書いています。どこから
始めればいいのか、そして一度書き始めれば、どこで終わればいいのか。私の感じた衝撃は一
週間たった今も薄れることなく、私を圧倒し、感情をかき立てます。広島へと出発した時、決して
こんなことは想像できませんでした。17歳で人生を変えるような経験をするとは。ましては、この
旅がこんなにも大きな衝撃を私に与えるとは、想像もできませんでした。

広島に着いた早々から、平和公園を歩き、原爆資料館を見学し、やすらぎ園へヒバクシャを訪問
しました。その一瞬一瞬が有益で、学ぶべきものがたくさんあり、感動を与えてくれました。痛み
や苦痛、そして原子爆弾がもたらした何年にもわたる苦しみを抱えながら、その中で生きていく
人と話をし、話を聞くことで、私はまだそんな苦しみを抱える彼らの中に許す心や忘れようとする
気持ちがあることに気づきました。そんな美しい前へ向いた考え方や、自分たちの力をより良き
方向へ使おうとする姿は私の中の何かを目覚めさせる力があり、心を揺さぶられるものがあり
ました。そんなヒバクシャの方や、ともに過ごしたホストファミリー。そしてもっとも大事な、そこで
出会った友人や、この旅を可能にしてくれた関係者の方、多くの忘れられない人と出会いました。

今、本当に彼らを近くに感じ、大事に思います。私たちはお互い会った瞬間からインドの参加者と
友達になりました。私たちはもはやインド人、パキスタン人という区切りで分けられていないような
気さえしましたが、同時に私たちが抱える偏見や先入観も襲ってきました。しかし、私たちは平和、
そして母なる地球への愛という強い欲望と情熱で1つに結び付けられているのです。その2つをとも
に知っているのに、端と端に分かれて立ち、お互いが心を痛めているのです。他の人と同じように
感激したり、感動したり、奮い起こされたりするのに。私はここで築いた絆を大事にしていくつもり
です。彼らは私に人を愛する力と、信じることを教えてくれました。かつてマザーテレサは言いま
した、「私たちに平和がないのは、私たちがお互いに頼って生きているということを忘れている
からに過ぎない」と。広島で出会った人々は私たちがお互いに頼って生きていることを私に
思い出させてくれました。  

すばらしいヒバクシャとの出会いから、私たちの会話や話し合い。被害者からの痛烈な話や
生存者の気持ちを聞くことは、私たち人類が持つ確信の回復へとつながりました。お互いに
肩を寄せ合い、泣き、笑い、そして歌い踊ること。全ての瞬間に感動し、奮い立てられました。
広島で私は、人がやってしまえる崩壊と裏切りというものを感じました。しかしそれだけでなく、
広島で私は人の持つ愛や許しの心も感じました。それはヒバクシャから学んだものです。平和
への切迫した道。今、私の中にある真実の基礎ともいえるこのような気持ちが人々へと伝わっ
ていくことを強く望みます。人が冷笑したような、あきらめのような第3者的立場を脱ぎ捨て、
愛や平和が唯一の道であることに気づくこと望みます。慈悲や哀れみ、そして平和と愛の力
こそが、私たちの存在の原点であることに気づくことを望んでいます。広島は私にとってそれら
のシンボルであり、慈悲や哀れみ、そして平和と愛といった全ての感情を意味するものです。


トゥーバ・アティーク Tooba Atique 16才   ペシャワール市

 広島へ来るまで、私は戦争や核兵器、そして破壊行為は過去の新聞やテレビ、そして、
その他のメディアの中にだけ存在するものだと思っていました。私はこう思っていました。自分
は平和な家庭に生活し、お金で買うことのできるおいしい食事をし、良い服を着て、病気に苦
しむこともないと。私は与えられた完璧な生活の全てを楽しんでいました。だからなぜ私が
世界中で起こっていることに関心をもつ必要があるのだろうかと思っていました。なぜ誰か
の国で戦争が起こっていることを、誰かが家を失っていることを気遣う必要があるのでしょう
か?おなかをすかせながら眠りに就く誰かのことを、着る服がなく風邪をひいてしまった誰か
のことを、そして、病気で苦しんでいる人、世界中で死んでいく人、なぜ私が気遣う必要が
あるのでしょうか?

 今、1つの答えを見つけました。私は彼らを気遣う必要があります。なぜなら私も人間です。
上に挙げたことは私に起こっていたかもしれないからです。人は自分の状況を選ぶことはでき
ません。それがそれぞれの運命なのだから。そしてまた、そのような状況が私にふりかかる
かどうかも、決して分からないのです。

 この数日間で、私は他国で起こっている戦争を、家を失っている人々がいることを気遣う
ことを教えられました。飢えをなくすこと、病気で苦しんでいる人々のこと。そして特に強く、
世界平和を。

 この旅は核兵器が引き起こす破壊行為について知ることのできる、大変有益なものでした。
核兵器が私たちに引き起こした損害は長く残ります。原爆資料館へ行ったとき、ガイドの方
が私たちに話してくれました。現在製造されている核爆弾は58年前、広島へ投下された
それの35,000倍もの威力を持つそうです。つまり今、核戦争が勃発し、核爆弾がどこかへ
落とされたら、1つ、再び世界のどこかにヒロシマができるのではなく、35,000ものヒロシマ
ができるのです。言い換えれば、核兵器がどこか1か所ではなく、世界の崩壊を招くという
ことです。

今日、私たちがやすらぎ園へ行った時、ある女性が彼女の経験した出来事を話しながら
泣き始めたのです。58年たった今も核兵器が運んでくる痛みを痛感した瞬間です。
二度とヒロシマを繰り返さない。二度とヒバクシャを作らない。 二度と涙を流す女性を
作らない。私はパキスタンの人々に、核兵器は私たちにとって有害であることを伝えて
いくつもりです。これらを繰り返さないために。



シャバナ アッバス アリ Shabana  Abbas Ali    15才    カラチ市

どんな生き物も幸せと平和を求めます。そして人間は意識的にそれらに向けて計画を立
てます。これは私の状況にもあてはまります。今回の広島訪問は私にとって初めての
海外訪問でした。そして、ここを去ろうとする今、私は自分の旅がこのように平和な国から
始まったことを誇りに思い、そして広島を訪問し、人生において初めてこのような学習的な
経験が出来たことを大変嬉しく思っています。

まず日本に到着して最初に感動したことは、美しさと平和ということでした。私は自分の
人生でこのような平和な地を見ることが出来るとは想像もしていませんでした。もう一つ、
私の心を動かしたものは、日本の人々そして彼らのやさしさでした。基本的に平和について
学んだ後で私が考えていることは、世界では善悪の両方が生じるけれども、悪いことを良い
ことに変えようとする人々は多大な働きをしなくてはならないということ、そして大変な努力
をしなければならないということです。私は自分自身をパキスタンの平和大使であると感じ
ています。そしてこの平和学習を終えた後、大きな責任を感じています。私はグローバル
ピースメーカーズが行っている平和活動から本当に多くのことを学びました。平和な世界
をつくりだすために彼らがいっていることの重要さは言葉では説明できません。

もう一つの貴重な学習経験は、被爆者の方々をはじめとする非常に勇敢な人たちに会う
ことが出来たことです。彼らが体験したこと、そして世界に対する気持ちは私の想像を超
えるものです。ヒロシマの人々が行っている活動は、単なる歴史上のことではなく、非常
にすばらしい活動であり、この世界の天使のようだと感じます。

最後に、今回の学習経験を終え、私は今、人種差別をするのではなく、人類のために活動
しようと決心しています。そしてみんなと手と手を取り合って活動し、これらの小さな一歩が
核兵器のない、原爆のない平和な世界を作り出すことにつながるものと確信しています。
今、私は核兵器そしてそれがもたらす被害について理解しており、パキスタンに帰って、
これを自分の家族、友達、その他たくさんの人に伝えていくつもりです。
 E-mail:Shabz_abbas@hotmail.com



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by hiroseto2004 | 2015-05-12 23:56 | 反核・平和2003 | Trackback
広島ブログ

広島瀬戸内新聞経済部 さとうしゅういち

市長と会見

5日は、ハードスケジュール。

まず、9時50分に市役所ロビーに集合。
一行は10時10分より市長にお会いすることに
なりました。私自身は、市役所の友人に
夕方からのフォーラムの横断幕を頼んでいたので、
たずねる。

もういちど、1階へ降りると、スティーブ(リーパーさん)
、それから尾崎先輩が現れる。

が引率者がなかなかあらわれず、森滝さんが
10時少し過ぎに二人をつれて登場。尾崎さんは
午前中はお仕事のため、一旦離れた。

10階の市長室へ上がる。始めてである。
秋葉市長がお忙しい中、我らに時間を
頂いた。

市長にお会いするのは市長選の選挙運動のとき
以来だ。事務所で電話をかけたりしたのが
昨日のように懐かしい。政治を嫌う人もいるが、
私は政治はトイレだ、トイレ掃除は市民の義務と
心得ている。日本国憲法にも「不断の努力」
が謳われているではないか。

市長はあれから九ヶ月、本当によく頑張って
おられると頭が下がる。平和宣言は非常に良い。
過去の政治のシステムのつけから、広島市の
運営も厳しい。しかし、平和でも、町づくりでも、
市民が市長を支えて行かねばならないと思う。
将来のビジョンについても、市のメールマガジン
などで問題提起をされている。

市民が動かなければ総大将がいくら頑張っても
難しい。市政はよくならない。政治はトイレなのだ。
というか、むしろ市民がひっぱていかないと行けない
のではないか。自分自身はどれほど、できているか。
反省点も多い。

そんなことを考えていると、市長のご挨拶。
英語である。やはり世界に誇れる広島市長だ。

印パの一行からは、「日本は本当に美しい国だった」
という感想、原爆資料館を訪れての感想などが出された。

市長からは全員に記念品が渡された。逆に印パの
指導者からは市長に御土産が。

私もどさくさに紛れて市長と握手。カメラ片手で
大変失礼をしてしまった。

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高い関心、原医研

しかし、時間がなくなってきた。
市長室を出ると、今度は広島大学の原医研。

星先生が、原爆被爆者の放射線影響評価に
ついて、講義された。

結構、基礎知識の勉強になった。

レントゲン撮影などのリスクも実は原爆被爆者の
データから類推されるとのこと。

良く出てくる「シーベルト」の定義も。4000ミリ
シーベルトだと、半分の人がなくなるそうだ。
爆心地から1kmくらいだと、放射線の影響だけで
半分が亡くなるとのこと。

日米共同で、放射線の状況を調べなおした
結果、爆発の規模も従来の15Kトンから、16Kトン、
爆心地の高さも580mから600mに訂正されるなど
しているらしい。

短い時間だが最新の研究が聞けて、有意義であった。

印パの若者からも
「放射能はどうやって測定するのか」
など熱心な質問が出された。

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日本の若者と交流

続いて、佐伯区の五日市観音中学校へ移動。
急がないと大変である。尾崎さん、スティーブ、
鈴木さん、山岡さんの車に分乗してバイパスを西へ。

中学校1年生と交流。

5クラスに一行が分かれて生徒に混じって
給食をいただくことに。

まずいな、尾崎さんも森滝さんも他のクラスか。
俺一人では通訳は難しいか。しかし荊尾さんが
来てくれている。なんとかなろう。

しかし、ここでハプニング。私がなぜか、インドからの
若者やシュリプラカッシュ監督を指しおいて「人気者」
になってしまった。「さとうさん」「さとうさん」と握手攻めに。

給食が終ると体育館で国際交流集会。

それにしても手際が良い。夏原先生以下、先生方の
御かげだ。

生徒も、英語で歓迎のメッセージを作成し、読み上げて
くれた。

生徒からは
「インドやパキスタンが広島みたいに平和を大事にする
国になって欲しいか」
との質問。
「YES」
と、インドのメンバーもパキスタンのメンバーも
答える。

集会が終ると教室へ戻る。

掃除のはずだが、時間がない。
すぐに、みんなで折り鶴を折ることに。

私も、適当に折った。小学校から大学まで平和教育は
東京大空襲という私だが、なんとかなった。

折り鶴をインドのメンバーにプレゼント。

その後、校長室で休んだあと、御別れ。

続いて、女学院高校へ急行。

ここはキリスト教の学校。しかし、校長先生は
「宗教で差別することがあってはならない」
と。
3グループに分かれて討論。

ここまでくると私も少しつかれて眠い。

平和運動では先輩の荊尾さんがなんとか
リードしてくださっている。

短い時間だったが、楽しかった。

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核問題フォーラム・・・「核は絶対悪」改めて認識

続いて、メモリアルホールでの公開フォーラムのため、
原爆資料館へ急行。

湯浅さんが待っている。横断幕の準備を行なう。

人の集まりは、選挙期間中で雨と言うこともあり、
集まりは今1つか。まあ、仕方がない。ベストを
尽くそう。

まずは、京大の小出裕章先生からの発表だ。
ジャドゥコダの放射能汚染問題について
である。

ジャドゥコダは、ウラン鉱山が集中する上、
ウラン残土などが、捨て放題になっている
そうだ。ウランを積み出す駅では、ウランが
ばら撒かれて異常な高濃度の汚染に
なっているとのこと。また、道路も、ウラン残土
で舗装されるなど、大変な事態とのことだ。

人々は平気で、放射能で汚染された池の上を
歩く。処分場建設で追い出されて、住んだ先が
池の側とのことだ。そんな中で暮らさざるを得ない
こと。本当に構造的な暴力だと感じた。

ウラン鉱山での汚染は深刻とのこと。たしかに、
原発運転中や、核燃料再処理でのヒバク(主に
セシウム130などによる)もあるのだが、ウラン
の半減期はなんといっても、45億年。未来永劫
続くと言うことが深刻との指摘。

なるほどと、改めて合点。

日本でも他人事ではない。核のゴミ問題は
待ったなしの課題。また、日本はウランを
大量に輸入しているが、その周辺では
深刻な汚染が起きている。

原発は安価というイメージが振りまかれているが、
大量の核のゴミ、大量のヒバクシャの上に
成り立っているものなのだ。そのわりに、
今戦われている総選挙で争点になっていないのは
おかしな話しである。

ゴミ処理によるコスト、そしてヒバクシャを生じるという
人権問題。政治の根本の問題ではないか。もっと
真面目に議論してほしいものだ。

まったく、核とは絶対悪との認識を深めることが
できた。北朝鮮に対抗して核武装を、などという
人は、こうした問題をどう考えているのか。

そんなことを考えていると、小出先生の発表は
終り、印パ二人づつの若者が登壇、中国新聞の
田城明さんをコーディネーターに討論。

ヒロシマのイメージについては、ジャドゥコダから
来た女性はさすがというべきか、放射能被害について
あるていど想像できたとのこと。
その他の人は
「広島には障害者が多いと思ったが最初来てみた印象
は原爆の影響はないのかと思った。しかし、資料館で
恐ろしさを感じ、原爆病院でいまなおくるしんでいる人に
出会った。」
など。パキスタンからの女性はときおり、日本語を
披露するなど「成長ぶり」を見せてくれました。

また、彼ら、彼女らの友達や家族自体は広島にいくことは歓迎してくれ
ていたそうですが、世の中全般としては、核兵器の恐ろしさは知られ
ていないと言うことです。

最後に
「国に帰ったら、友達や村の人に核兵器の恐ろしさを伝えたい」
との頼もしい言葉。

「ヒロシマの人も、つらいことがあって(平和のための)運動を続けて欲しい」
と励ましの言葉も。会場から拍手。

また、久保浩之さんが「乱入」し、
俳句をプレゼントするパフォーマンスも。

それにしても、日本国内で一部にある核肯定論に対抗するためにも、こうした
核の悲惨さを冷静に科学的に示して行くことも重要だと感じる。

時間がオーバーしている。

そのまま、広島都心のレストランに。印パの引率者との食事会だ。
私にとって「原水禁」の大先輩の藤川さんも寝台列車ではるばる来られた。
東京でのことを仕切って下さったそうだ。
http://www.misatoya.net/gensuikin/

しかし、時間がない。尾崎先輩に、いきなり茶付けを頼んでくれるよう
たのむ。

飲み物と茶付けをいただくと、あたふたと森滝さんや湯浅さん、尾崎さん、
シュリプラカッシュらに分かれを告げ、席を立ち、家路についた。

帰ったのは夜中の0時半だった。

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楽しかった1週間もいよいよおわり

印パ青少年平和交流も、いよいよ、最終盤。

6日は、昼間は原爆養護ホーム見学と本県が
世界に誇る世界遺産・宮島見学。

ただし、経済部長は、仕事で欠席。
夕方、1時間休暇を取り、歓送会の会場、
アステールプラザへ。三次発16:30のバスで、
バスセンターは17:55ころ。プラザには、
18:10くらいにつきました。

若者は感想文を書いている途中。

秋葉市長が登場。

尾崎さんの司会で歓送会が始まる。先輩と
呼ぶのはやはり国際交流では、経験が
ゼロだった私を鍛えてくださったとい意味で
本当に感謝しているから。

森滝さんが挨拶。

両国の引率者からも感謝の挨拶。

市長からも御言葉。市長は英語で話された。
わたしも、市長くらい、流暢になれればよいが
そうもいかない。

「平和と愛の連鎖をつくってほしい、暴力の
連鎖を断ち切って欲しい、」
と訴え。

印パの若者だけでなく、日本の我らも頑張らねば。
北朝鮮の核問題、それを口実にした日本の戦争
協力。日本自身核のゴミ問題を抱えているし、
核利用の過程で他国のウラン鉱山の周辺
住民に迷惑をかけている。

そのことは、もちろん、今回の主要課題ではないが、
心に留め置き、頑張らないと行けない。

もちろん、そのとき、ジャドゥコダの問題をきちんと
伝えていくことが重要だろう。核が絶対悪であるという
反面教師だから。

料理は、宇品の新しいインド料理店のもの。
森滝さんが、市長に料理を勧められる。市長も
お忙しいのに本当によく来てくださった。天下の
広島市長である。感動している。

皆で、乾杯。

歓談した。

しかし、喋る方はともかく、聞くほうはなかなか苦戦。
ナスリ―ンさんの「american tiger and afghan cat」を
「medical tiger and---」と聞き違え、市長に「通訳」
していただく一幕も。

それでも、印パのメンバーと大変仲良くなれた。

しばらくすると、印パのわかもたちが前に出て、
歌を歌う。

インドの若者は市長にも歌うよう促す。

市長もそれに気軽に応じてナガサキの歌を歌って
くださった。

市長も、お忙しいのでしばらくするとおかえりになった。
エレベーターまで見送る。

「君も頑張ってください」と市長から声をかけていただき、
感動。

以降は日本の若者、インドの若者、アメリカの自称「若者」、
日本の自称「若者」が前に出て歌う、踊る。

なぜか、尾崎さんが日本語で話して、俺が英訳するという
異常事態も途中で生ずる。2度とないことだろう。逆は
これからもしょっちゅうだろうが。。

私も前に出る羽目に。すると、どこからか、「よしえ」
と尾崎さんを呼ぶ声が。たちまち、みんなで「よしえ」
コール。
結局「春が来た」を歌った。

楽しい時間もあっという間に過ぎた。

日本側からプレゼント。一方、ナスリーンさんからは
私はパキスタンの陶器をペン立てとして頂く。

この会場は九時までだ。大急ぎで片付け、下へ下がる。
名残は惜しいが御別れだ。私は明日の見送りはもちろん
行けない。後は任せた、リーパーさん。ジャームズさん。

ホストファミリーのみなさん御疲れ様。下準備に
活躍の益見さん、山岡さん。女学院生の諸君。
もちろん、森滝さん、尾崎さん。通訳のリーパーさん、
澤田さん。よしお君。御疲れ様でした。

広島瀬戸内新聞経済部としても、平和を草の根外交で作り出して
行くことを推進していきたいものだ。国家間でなかなか
難しいことも個人間ではやりやすいこともある。

なかなか、両国とも厳しいだろうが頑張って欲しい。
遠方からになるが励まして行きたいし、我々も
足元の課題に取り組んでいきたいものだ。




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by hiroseto2004 | 2015-05-12 23:54 | 反核・平和2003 | Trackback
広島ブログ

インド・パキスタン青少年平和交流(報告)

さとうしゅういち

もともと同じ国だったインドとパキスタン。
それが大英帝国の植民地戦略 を背景に分裂し、1948年以降、紛争や軍拡競争を
展開、1998年 にはとうとうお互いに核武装してしまいました。

ことにパキスタンにおいては軍事費が重石となって庶民生活や 経済を圧迫しています。

一方世界ではアメリカの身勝手な戦略が核戦争の危機を高め、そしてそこ までいか
なくとも軍事費の増大となって、暗雲を投げかけています。

今回の交流は、4回目。いつも「原水禁」のこどもひろば
と連携して8月6日前後ですが今年は秋に単独行事的
に行なわれるのが特徴です。

戦争や軍拡で利益を得るのは一握りの大会社や
政治家などです。庶民は苦しみのみを蒙るのが
古今東西の常ですが、政治家は、往々にして
国内政治の不満を逸らす為に、対外的緊張を
高めることがあります。

また国家レベルでモノを考えると、どうしても、国家の体面
あるいは、為政者の体面や私利私欲といったものも要因となって
ぶつかってしまうことがあります。

結果として、それが、平和を壊し、人権が侵害される事態を
招く。「人間の安全保障」に逆行した事態を招くのです。

個人レベルでは、逆にそうしたものが相対化することも期待
できます。「国家の安全保障」ではなく、「人間の安全保障」
の立場に立って考えられる可能性がより強まるのです。

国家間の外交と並行して、草の根での相互交流、
相互理解が必要な所以はここにあります。

軍備の重しをとり、少々古臭い言い方かもしれませんが
経世済民の政治を南アジアに実現するためにも、相互の
青少年が交流し、個人レベルで理解しあっていくことは
重要です。


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11月1日(土)

16時52分到着の列車から、印パ両国の若者と引率者
がつぎつぎと降り立ちます。

わたしも、中途半端な英語で挨拶を交わします。

一行は、広島駅から、東区の東方2001へと移動。
迷子が出ない様、大声で、誘導する一幕も。

そんなこんなで夕食交流会が始まりました。

森滝さんが歓迎の挨拶。

それから、印パのメンバーの自己紹介。

そして、日本の高校生、大学生が自己紹介。

その後、しかし、ゲスト側から、「日本人も自己紹介を
しないと公平性を欠く」との指摘があり(笑い)、
私も含む日本人も自己紹介をするはめに。

(なお、わたしは唯一「SATOH SHU-ICHI」と言いました。
私は、パスポートを申請するときもそのようにしてもらうよう、
書類に書きました。)

シュリプラカッシュ監督とは、ときどき荊尾さんに
補足してもらいながらも
「我々は、カレーをいろいろな料理に取り入れている。
ほら、これは、カレーで味付けした、鶏肉だ。
インド文化は日本に大変影響を与えている」
というと同監督は
「日本人は、寛容で、いろいろ受け入れるので、
そうなったのだ。」
と応じてくれました。

また、焼き蕎麦やお好み焼きについてもご説明
申し上げました。

インドのメンバーには
「食べる前にはこうやって頂きますというのですよ」
と説明しました。

あっというまに楽しい時が過ぎ、19時半になってしまいました。

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11・2(日)の記録

2日は、ガイダンスを国際会議場で朝9時から。

ゲストの12人も、日本人スタッフも自己紹介。生活上の注意や日程の説明を、 森滝
春子さん、スティーブさんから行いました。

続いて、一行は花輪を原爆慰霊碑に捧げに出発。NHKをはじめ、マスコミ
が取材につめかけました。NHKさん、今日は来てくださいました。

一行は、森滝さん、尾崎さんがガイド役となって、平和公園内の碑
めぐり。原爆の子像や、元安橋、爆心地、西向寺、動員学徒慰霊碑、原
爆ドーム、 韓国人慰霊碑、
先生と生徒の像などを最後は急ぎ足になりつつ巡りました。 さとうは、カメラマン
兼尾崎さんたちのアシスト(のつもりが足を引っ張 っていたか??(笑い))


一行は昼は、国際会議場地下で昼食。さとうとよしお・リーパーさんが、 ゲスト
の接待役。まずい、森滝さんも尾崎さんも別の席だ。自分が、カッコ をつけようとして、
引き受けた役だが。。自業自得だ、覚悟を決めよう。


なんとか、話せる。話題は、印パでの女性の地位。シュリプラカッシュさんと、 パキ
スタンの若者が活発な議論。これなら、さとうも話せる分野。早速 「インドも
パキスタンも女性の総理大臣がいたが、日本にはいまだかつていない。 情けない
限りだ」
と割ってはいる。するとシュリプラカッシュ監督、
「総理大臣と女性が自由かどうかは関係ない。日本の女性はインドに比べれば力があるのでは?」
とのこと。

また、アラブとイスラムは違うと、パキスタンの面々がいっているのに ふむふむと感心。パキスタン
人にとって、サウジアラビアとかは違う 世界らしい。

続いて、原爆資料館の見学。畑口実館長自らのご案内だ。心して聞
かねばならぬ。
通訳は、森滝さん、尾崎さん、そしてよしお君が縦横無尽の大活躍。さとうはあいかわらずカメラマン。

館長は、核実験の抗議文が貼り付けてあるコーナーにくると「イン
ドとパキスタンの大使がちょうどこられていたときだったので、直接抗
議した。インドの大使は 「中国が持っているから
仕方がない」パキスタンの大使も「持ちたくてもっている のではない」しかし、出口に来て、
感想を聞くと二人とも、ことばがなかった」 と回想。

また、インドの核実験がちょうどインドで初めて広島市が原爆展をしていて あとすこしで終わる
ときだったときに行われたことも、悔しそうにいいます。

その後、展示を見学。

見学を終えた若者たち。「やはり核をもつのは間違いだったと気づいた 。気づかせて
くれてありがとうございました」とのインドの若者。

館長は「気づいてくれてありがとう」と応じました。

午後4時からは高橋昭博前館長の被爆証言。スライドを交えながらのものでした。 質疑応答は
非常に活発でした。

「暴力の連鎖が起きているが高橋さんはどう乗り越えたのか」との質問には 「アメリカ
のこどもが来館したとき、原爆を落としたことを恥ずかしく思う、 ごめんなさい、ということ
ばが聞けた。また、宗教者の方が来館したときも アメリカのしたことを許してください、と
おっしゃてくれた。アメリカ国家が 原爆を投下したのは許せないが、国民に罪はない」

と応じられました。

最後に,高橋さんから,インドとパキスタンの国旗の色でつくった 折り鶴の首輪が,
ゲスト全員の首にかけられました。

また、5日18時半からメモリアルホールで公開フォーラムを開催し、印パ の若者と日本人が
ともに核問題を考える場を設けます。ぜひご参集を!

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3日(月)の記録

3日は、合宿

カザフスタンや中国からの留学生も参加しました。

午前中は、劣化ウラン弾(DU)問題について、NO DU プロジェクトヒロシマの嘉指信雄教授
から、講義。

続いて、緩急車雲助さんから原爆講談「黒焦げの弁当箱」。私は残念ながら、昼食を
ダネットさんのレストランに取りに行って、見ることが出来ませんでした。

昼食は、ベジタリアン用のもの。珍しいが、おいしかったです。

午後は、シュリプラカッシュ監督の「ブッダの嘆き」を上映。一般人も参加しました。
インドのジャドゥコダ周辺における先住民達の苦しみと抵抗運動についてのドキュ
メントです。

同地では、ウラン鉱山がある上、インド中の核のゴミが、どんどん、ズサンな
管理で廃棄されていきます。

国破れて山河あり、とは杜甫の詩。昔の戦争はそれでも、環境を
決定的には破壊することはなかった。しかし、今、核は、核兵器の
形で使われずとも「山河」を破壊してしまうのです。「国破れずとも
山河なし」でしょうか。改めて実感しました。

上映が終った後、討論を行ないました。

インドの若者は「この周辺の人は何も悪いことはしていないに。。」
と涙ながらに訴えました。

パキスタンの引率者ナスリ―ンさんは、
「識字率が低いようなところにどんどん廃棄物場が作られるなど
している。こういった根本原因も考えねば」
と、社会開発の重要性を指摘。

カザフスタンの留学生は、セミパラチンスクで、当初人々は
きのこ雲を美しいと思い込んでいた、が、今多くの人が
苦しんでいる、と情報不足の恐ろしさを訴えました。

中国の留学生は
「中国ではこう言う問題は情報管理されて伝わらないが、
広島に来て大変勉強になった。」
と。

緩急車さんは
「核に頼るものはかならず滅ぶ」
と持論を展開しました。

パキスタンの若者からは
「ヒンズーもムスリムも同じような人間。喧嘩になるような話題を
さけ、一緒にできることをやっていこう」
と頼もしい発言。

同じくパキスタンの若者からは
「ジャドゥコダの現状を国に帰って伝えたい。ここへ来て
自分がパキスタン人ではなく地球市民のように思える。」
と発言しました。

続いて、被爆者の山岡秀則さんの証言。

3歳で被爆し、その後、親戚に引取られたが、不遇の
日々を過ごしたことを話されました。

そして、死のうかと思って助けられたこと、森滝市郎さんに
助けられたことなどを振りかえりました。

そして、「どの国も核を1個づつなくしていけば良いではないか」
と述べられました。

夕食後は、音楽などで、交流を深めました。


私は、そのまま、皆さんと宿泊。翌朝、5時半に起床し、
バスセンターへ急ぎ、出勤しました。

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by hiroseto2004 | 2015-05-12 23:51 | 反核・平和2003 | Trackback
広島ブログ
2003・秋

核の国・インド・パキスタンの青少年をヒロシマへ

―南アジアと世界の平和のためご協力をお願いしますー

主催:インド・パキスタン青少年と平和交流をすすめる会

[後援:広島市、(財)広島平和文化センター]

 ◆1998年にイン・パ両国は核兵器保有国となり,ミサイルの開発競争を展開,昨年
5月には核戦争の危機まで達し、危うく数千万人の命と大地が破壊されるところでした。

◇アメリカは「対テロ戦争」と称して、2年前の10月、アフガニス タンへの攻撃を開始,さらに
今回のイラクへの不法な攻撃で多くの命を奪い、放射能兵器である劣化ウラン弾を撒き
散らしイラク国民と国土を取り返しのつかない放射能汚染にまみれさせた上,テロも撲滅できず,
今なお戦闘状態が続いています。また、アメリカは「悪の枢軸」を名指しし,核兵器
を使った先制攻撃をも辞さないと公言し、北東アジアをはじめ、世界中で緊張を高ま
っています。

◆一方で,2000年のNPT再検討会議では,世論の高まりの前に,アメリカも含めた核大国
が「核廃絶への明確な約束」に同意しています。2005年は被爆60周年でもあり、NPT再検討
会議が再び開かれます。いまこそ,核廃絶への国際世論を再び高めるべき時です。

◇イン・パ両国では圧倒的多数の国民が核保有を支持しており、平和のため
に活動を続ける人達の要請に応え000年8月以来これまで3回インド・パキスタン両国から
約10名の若者を多くの市民の皆様によるご支援を得て招待してきました。

◆若者たちは帰国後、困難な環境の中でヒロシマを懸命に伝えています。蒔かれたヒロシマ
の種は確実にインド・パキスタンで芽を出そうとしています。

◇21世紀を担う次世代に被爆の実相を継承し、核のない世界を実現する事は世界共通の課題
です。なかでも、敵対するインド・パキスタン両国の若者が、ヒロシマを学び、そこで真に理解し合い
核廃絶という共通の目的で結ばれる事は平和実現の大きな力になります。

◆インド・パキスタン・ヒロシマの若者が、核の真の恐ろしさを共に学び、手を握り会う機会を今年
もまた実現するため核廃絶を願う多くの皆様に是非ご協力下さるよう呼びかけます。

 インド・パキスタン青少年招待平和学習a交流実施内容

1.期間  2003年10月30日~11月8日

2.人数  インド・パキスタンから計11人の青少年と引率者 

3.内容  ●平和記念資料館、平和公園・碑めぐり他見学

      ●被爆証言、核・放射能問題に関する講話を聞く

       ●原爆病院・養護施設訪問

      ●反核フォーラムを開催し広島市民が共に核・放射能問題を考える

  • イン・パ・ヒロシマの若者との合宿等平和交流
 協 力 方 法
(ひとつでも結構ですのでよろしくお願いします)
1.趣旨に賛同し協賛する
2.募金へのご協力( 個人・団体による募金(金額は任意)目標額220万円)
3.ホームステイを受入れる
4.街頭募金活動等ボランティア
5.合宿、フォーラムなどへの若者参加、世 話人、接待

募 金 振 込 先 
<口座名義> 
「印パ青少年と平和交流をすすめる会」
① 郵便振替口座番号 
01370-8-27934
② 銀行口座番号   
広島銀行五日市支店
(普)2152236

 ■連絡先:世話人代表 広島市佐伯区海老園3-2-18 森瀧春子
・TEL&FAX O82-921-1263 ・(携帯)090-9064-4705 ・ E-mail mailto:haruko-m@f3.dion.ne.jp



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by hiroseto2004 | 2015-05-12 23:48 | 反核・平和2003 | Trackback