エコでフェアでピースな世界をヒロシマから国政へ!成長戦略から成熟戦略。誰もが置きざりにされない社会を。核兵器も原発もない世界を。役人からヘルパーへ。庶民増税より格差是正。ヒロシマの心活かす市民発・政界再編。


by hiroseto2004
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カテゴリ:おくやみ( 47 )

  • マリヤム・ミールザーハーニー氏

イラン人数学者で、数学界のノーベル賞とも言われるフィールズ賞を受賞した、マリヤム・ミールザーハーニー氏が亡くなったことを受け、イランのローハーニー大統領が哀悼のメッセージを発表しました。

マルヤム・ミールザーハーニー氏は、がんのためアメリカの病院で治療を受けていましたが、15日土曜に亡くなりました。40歳でした。

ローハーニー大統領は、哀悼のメッセージの中で、「この数学者の功績はイランの名を世界の学術界に響かせ、さまざまな国際分野で頂点を極めようとするイランの若者や女性の努力における転換点となった」としました。

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イランのザリーフ外務大臣、サーレヒー原子力庁長官、ファルハーディ科学技術大臣、テヘラン駐在のルイス国連代表も、この優れた数学者の逝去に哀悼の意を示しました。

ミールザーハーニー氏は、1977年5月3日、テヘランで生まれ、イランのシャリーフ工科大学の数学科で学びました。その後、アメリカのハーバード大学に留学し、1999年にプリンストン大学で研究・教育活動に従事していた際に、ある数学の問題の解決法を編み出しました。

また、2014年には、数学界のノーベル賞とも言われるフィールズ賞を受賞し、女性として、またイラン人として、この賞の初の受賞者となりました。


by hiroseto2004 | 2017-07-17 13:59 | おくやみ | Trackback

【おくやみ】ヘルムルト・コールさんと大田昌秀さん

1998年に退陣を余儀なくされた二人の日独の政治家がこの6月中旬、相次いで亡くなった。

ドイツ首相・ヘルムルト・コール。
そして、日本の沖縄県知事・大田昌秀。

二人とも、1998年の不況を背景に、現職不利の状況が生じ、選挙に敗れ、余儀なくされた。

戦争中の悲惨さをよく知る二人だった。

その反省に基づいた政治を進めたという意味で二人に共通する点はあったと思う。

コールの着実な欧州統合。二度と欧州で大戦を起こさないという信念に満ちていたと思う。

そして、大田の基地負担を減らそうとした取り組み。そして知事退陣後も地道に取り組んだ平和研究。

大田とコール。二人が奇しくも、今月、ほぼ同時に亡くなった。

コールを失ったドイツを含む欧州では、反EUの動きも強まっている。
もちろん、EU自体が、新自由主義的で、格差を拡大したという問題、またEU諸国が中東を空爆しまくって難民を招くなどの失策もある。しかし、では、EUを解体してしまったらどうなるのか?という問題もある。反EUの動きが強まりつつも、最近では冷静になる動きも出ている。

他方、日本はどうだろうか?先の大戦の反省などくそ食らえと言わんばかりの総理が暴走を続けている。そんな中で日本は大田を失った。
いまいちど、先の大戦への反省を踏まえ、立憲主義に基づいた政治を再建していく地道な努力をしていかねばならないと思う。


by hiroseto2004 | 2017-06-20 12:30 | おくやみ | Trackback
肥田舜太郎先生が亡くなられました。

劣化ウラン弾禁止運動では本社社主もお世話になりました。

合掌。

肥田舜太郎さん 100歳=被爆者医療に尽力

広島原爆で被爆し、医師として被爆者医療に尽力した肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)さんが20日、肺炎のため亡くなった。100歳。葬儀は26日午前10時半、さいたま市浦和区瀬ケ崎3の16の10のさがみ典礼北浦和葬斎センターで営まれる。喪主は元全日本民医連会長の長男泰(ゆたか)さん。

     軍医として広島陸軍病院在勤中の1945年8月6日に被爆し、直後から被災者救護にあたった。戦後、東京や埼玉で低所得者向けの診療所を開設し被爆者を診察。30年にわたって日本被団協原爆被爆者中央相談所の理事長を務めた。海外の反核団体とも連携して核兵器廃絶を訴えた。

     2009年に医療の第一線から退いた後も、精力的に講演活動を展開。毎日新聞の記録報道「ヒバクシャ」でも反核や平和への思いを語っていた。




    by hiroseto2004 | 2017-03-22 19:03 | おくやみ | Trackback
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    イラクでおきたテロおよびアメリカ軍による誤爆での犠牲者の皆様に心から哀悼の意を表します。
    また、引き続き、911テロについてイラクに濡れ衣を着せ、イラク侵略戦争を行った合衆国元大統領・ジョージ・W・ブッシュ被疑者を満腔の怒りを込めて糾弾します。


    by hiroseto2004 | 2017-02-17 19:36 | おくやみ | Trackback
    事故の犠牲者の皆様を追悼するとともに、イラン国民の皆様に心からお見舞い申し上げます。


    イランのローハーニー大統領と閣僚数名が、テヘランのプラスコ・ショッピングセンタービルの倒壊現場を視察しました。

    19日木曜朝、テヘラン中心部のプラスコ・ショッピングセンタービルで火災が発生し、倒壊しました。

    この事故により、多くの市民や消防士が死傷しました。

    ローハーニー大統領は21日土曜朝、このビルの倒壊現場を訪れ、この事件に対する遺憾の意を表明するとともに、引き続き瓦礫の下敷きになっている人々の救出作業の継続を強調しました。

    これまでに、消防士3人の遺体が、瓦礫の中から発見されました。

    少なくとも消防士20名が、瓦礫の下敷きになっていると発表されています。

    この事故を受けて、イラン政府の閣僚は、21日土曜における正式な服喪を発表しました。

    国外のイランの大使館や領事館では、この事故により、半旗を掲げています。

    これ以前に、一部の国の政府関係者は、イランのザリーフ外務大臣など、政府関係者に対し、この事故に際して、イランの国民や政府に対する哀悼の意を表明しました。

    イラン各地の人々も、20日金曜、消防署の前に集まり、犠牲となった消防士の遺族に対する哀悼の意を示すとともに、ろうそくに火をともし、コーランを読み、犠牲者を追悼し、瓦礫の下敷きとなった消防士が救出されるよう、祈りました。



    by hiroseto2004 | 2017-01-22 12:41 | おくやみ | Trackback
    イラン元大統領のラフサンジャニ師が亡くなられました。82歳でした。
    穏健派として知られた方で、ロウハニー現大統領の後ろ盾でもある方でした。



    イラン公益評議会の議長を務めていたラフサンジャーニー師は、革命とイスラムに努力を注いでいた人生を送った後、8日日曜夜、82歳で死去しました。

    ラフサンジャーニー師は1934年、南東部ケルマーン州のバフラマーン村に生まれました。彼は1960年代、勉学を続けるためにテヘランの南の聖地、ゴムの神学校に行き、パフラヴィー王政との戦いに参加しました。

    イスラム革命の創始者ホメイニー師の古くからの盟友であるラフサンジャーニー師はまた、パフラヴィー王政に対する戦いにより数回にわたり投獄されましたが、自分の理想をあきらめたり、ホメイニー師を見捨てることはありませんでした。

    さらに、イランのイスラム革命の勝利により、内務大臣、その後、数期に渡り国会議長職にあり、またイラン・イラク戦争の時代には、長期にわたり副総司令官をつとめていました。

    ラフサンジャーニー師は、1989年から1997年、2期にわたりイラン大統領に就任し、その後、イスラム革命最高指導者のハーメネイー師の指示により、イラン公益評議会の議長を死去するまで務めました。

    また、専門家会議の発足当初から、この組織の代表として参加し、2007年から2011年には、議長を務めました。



    by hiroseto2004 | 2017-01-09 21:35 | おくやみ | Trackback
    キューバの革命指導者・カストロ元議長が11月25日、亡くなりました。
    90歳でした。
    キューバの親米政権を打倒し、「アメリカの裏庭」と呼ばれてきたカリブ海で社会主義・反米政権を維持してきました。
    1991年のソ連崩壊後も、社会主義政権を維持してきたことには驚かされます。北朝鮮とは違い、(気候条件の違いはあるにせよ)
    大規模な飢餓などを発生させることもなく、弟に政権を譲るも、一定の影響力を保ってきました。
    アメリカはオバマ政権が誕生し、キューバなど反米的な政権の国にも歩み寄っていきました。その過程で歴史的な国交回復も
    行われました。
    なお、反米の一方で親日政治家としても知られ、2003年には来広し、自ら慰霊碑に献花をしています。
    もう、こんな大物感たっぷりの方は登場しないのではないか、と思えるくらいの方でした。
    合掌。

    by hiroseto2004 | 2016-11-26 20:20 | おくやみ | Trackback
    なんと千代の富士の九重親方が61歳で亡くなられるとは?!
    最初は好きだったが、だんだん強すぎて憎らしくなった千代の富士。
    だからわたしは、安芸乃島とか両国とか、千代の富士をよく倒す下位力士のファンでしたよ。しかし、こんなに早くお亡くなりになるとは?!心からお悔やみ申し上げます!

    by hiroseto2004 | 2016-07-31 20:06 | おくやみ | Trackback

    故・藤田祐幸先生との会話の思い出 「環境と福祉については大きな政府であるべき」


    亡くなられた物理学者・藤田祐幸先生とはわたしも、一定の交流を持たせて頂きました。
    2005年の秋に広島に彼がイベントで来られたときも会話をさせていただきました。
    そのときわたしは自分自身について、内心びくびくしながら
    「環境と福祉についての大きな政府論ですけどね。」
    と申し上げました。

    すると、藤田先生は
    「そりゃそうだ、環境と福祉については大きな政府であるべきと思います。」
    とお答えになったのを覚えています。

    反原発とか、反核の方の中で往々にしてある傾向は、権力への反感の勢い余って、新自由主義に回収されてしまう点です。

    増税とか、財政出動と言うだけでアレルギーを感じてしまうわけです。


    今、都知事選で民進や共産の支持層の少なくない部分が新自由主義のチャンピオンである元女性閣僚に流れていることとも通底します。

    わたしも、実は、藤田先生におしかりを受けるかと思ってたのです。
    しかし、同じ考えでしたので、ほっとしたのを覚えています。


    さすがは、反原発を貫いてこられた方です。


    むしろ、「先生にお叱り頂くか?」思ってひやひやしたことを、恥じ、先生に申し訳ない思いをしたのを覚えています。

    改めて藤田先生のご冥福をお祈り申し上げます。

    そして、戦争でも原発でもヒバクシャをこれ以上出さない日本、世界をつくるため邁進します。


    by hiroseto2004 | 2016-07-20 19:33 | おくやみ | Trackback

    エントロピー学会でも本社社主がお世話になった藤田祐幸先生が亡くなられました。

    まだ73歳なのに!?心からご冥福をお祈りいたします。

    http://www.asahi.com/articles/ASJ7M53R6J7MTOLB010.html

     藤田祐幸さん(ふじた・ゆうこう=物理学者)が18日、がんで死去、73歳。葬儀は20日午後1時から長崎県西海市大瀬戸町雪浦下郷1217の真光寺で。喪主は妻弘子さん。

     元慶応大助教授で、脱原発を訴えた。86年に起きた旧ソ連チェルノブイリ原発事故による放射能汚染の調査に携わった。03年のイラク戦争で米軍が使ったとみられる劣化ウラン弾による被曝(ひばく)の危険性を訴えた。07年に「全ての原発の風上に行こう」と神奈川県から長崎県西海市に移住していた。


    by hiroseto2004 | 2016-07-20 06:49 | おくやみ | Trackback