エコでフェアでピースな世界をヒロシマから国政へ!成長戦略から成熟戦略。誰もが置きざりにされない社会を。核兵器も原発もない世界を。役人からヘルパーへ。庶民増税より格差是正。ヒロシマの心活かす市民発・政界再編。


by hiroseto2004

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「ムラ社会」+「褒めて伸ばす」(甘やかす)教育→「建設的意見」も「悪口」に感じる若者+安倍政権


ムラ社会ニッポン(現代では「日本ブラック会社主義人民共和国連邦として進化)ではそもそも、何か問題点を指摘すること自体が忌避されてきました。


そうした中で、今の若い世代には「褒めて伸ばす」教育が導入されました。

このこと自体を悪いとは言いません。


しかし、問題は、ムラ社会を打倒しないまま、「褒めて伸ばす」教育を導入したことです。

「健全な批判精神の育成」と「褒めて伸ばす」を両輪のようにやればよかったが、前者をやらずに、後者だけを上っ面だけ導入した結果、若者たちは「建設的意見」すら、「悪口」だと感じるようになってしまったのです。


もちろん、パワハラも大問題ですが、一方で、上司がかなり優しく「こうすれば良いんじゃないかな」程度のことを言っても、切れてすぐ辞めていく若手労働者というのも、わたしも何人も目撃しています。


「ムラ社会打倒」なきまま、「褒めて伸ばす」を上っ面だけ導入した結果、「自分たちに意見を言う奴は例えその意見が建設的であっても聞く耳を持たない。」若者を大量製造してしまった。その結果、日本はかなりやばいことになっているのではないか?官民問わず、日本は急速にぼろぼろになりつつあるのではないか?


安倍晋三は、そうした、「ムラ社会」と「甘やかされて育った」の化合物の走りである。それが故に若者で安倍内閣支持率が高いというのも分からなくはないと思います。


by hiroseto2004 | 2017-06-30 15:46 | 安倍ジャパン | Trackback
「忖度」(そんたく)と言う言葉が流行語になりかねない昨今の日本。

やはり、根本的な問題は、「マスコミを先頭に、政治家も、人々も、「偏っている」との批判を恐れ、「公正中立」を装うとしている」ことがあるのではないでしょうか?

そうではなく、自分の立場をハッキリさせて、忌憚なくモノを言った方が潔いし、生産的ではないでしょうか?
お互いに「ああ、こういう考えでモノを言っているのだな」ということで「同意」はせずとも「理解」は進むのではないでしょうか?

そのことを強く感じる次第です。

日本では、古来からのムラ社会に加え、冷戦崩壊以降、ポストモダニズムが導入され、「マスコミを先頭に、政治家も、人々も、「偏っている」との批判を恐れ、「公正中立」を装うとしている」傾向が強まったのではないかと思います。

広島瀬戸内新聞は、今後とも、創刊以来「打倒GIANTS・脱GENPATSU(原発)社会・脱G(自)民党政治・CARP応援・C(市)民政治推進」を社是をハッキリさせた上で、忌憚なく情報を受発信して参る所存です。

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by hiroseto2004 | 2017-04-20 14:28 | 思想・哲学 | Trackback
「大震災で「格差」を忘れた日本人」。極めて鋭い問題提起です。
そのことは、本社社主・さとうしゅういちも痛感します。

左派・リベラルと言われる人たちの関心が一挙に、脱原発に向かったのは事実です。
それも、その当時は、選挙で脱原発政党を押し上げると言うよりは、デモ・集会中心でした。
さらに、脱原発でなら票を一定程度取れるというもくろみも、特に日本共産党と自公以外の野党勢力(2012年時点では民主党が与党)には
根強くありました。
こうした中で、「既成政党に天誅!」「既成組織に天誅!」というムードが盛り上がった。
「市民に政治を取り戻す」というかけ声だけは勇ましかった。
しかし、その結果はどうだったか?
2012年衆院選においては、「日本未来の党」と「民主党」が共倒れし、安倍総理率いる自民党が復活しただけでした。
2013年参院選においては、「緑の党」「みどりの風」「生活の党」などが乱立し、またまた、共倒れしてしまいました。

そもそも、リベラル陣営内部においても、2011年の4月以降、脱原発以外のテーマに取り組むことがタブー視された、特に格差や貧困に取り組むことにはタブーが強かった。
1,脱原発に3.11以降、参加してきた「新しい層」を遠ざけるのではないか?
2,原発事故の被害に比べたら格差などどうでもいい。
こういう雰囲気が、特に「市民派」の中に充満していたように思えます。

そもそも、2008年以降の反貧困・格差是正「ブーム」にしても、リーマンショックを経て、日本人の尻にようやく火が付いたから注目された面はあります。
ですから、ちょっとしたことで、下火になる危険と隣り合わせでした。
そう。「貧困は自己責任である」という日本人のデフォルトな考え方に戻ってしまう危険と隣り合わせでした。
もっと過激に言ってしまうと、植松被疑者のような「弱者は死ね」的な考えは、潜在的には、メジャーな思想であったのでしょう。
しかし、リーマンショック後の状況を見て、さすがにその考え方を改めかかっていた人も多かった。
ところが、3.11以降、原発問題に関心が集中することで、再び、「植松的」な考えが盛り返してきたとも言えます。
心の中では「そうはいっても、貧困は自己責任ではない」と思っている人も、職場や、家族や、場合よっては脱原発運動、市民運動内の仲間の中にいる「植松聖」に遠慮し、「反貧困、格差是正」を声高に言えなくなってしまった。

そして、多くのリベラルな政治家も、支持者の中にも伏在する「植松聖」に屈し、脱原発へ「逃げた」のではないか?
そのほうが「ムラ社会の意思」に反抗しないで済むから。

その結果、保育園の問題にせよ、介護の問題、下流老人の問題にせよ、注目されるのは、大幅に遅れたのです。

そうこうするうちに、安倍総理の方がむしろ、「経済を強くして生活を良くする」イメージを振りまき、票を固めていった。
そうして固めた「独裁体制」を背景に、原発を再稼働しまくり、輸出しまくりという方向へ暴走したのです。

本社(広島瀬戸内新聞)としても、貧困や格差の問題への言及が、特に3.11以降、2013年夏の参院選の手前辺りまで、少なくなっていたのは事実です。本社の「戦争責任」も軽くはないと考えています。

しかし、いわゆる市民派も「楽な方に流れた」結果として、「脱原発」に偏り、社会保障、教育と言った問題を放置したことの責任は重い。やはり、歯を食いしばってでも、「植松」的な思想に対して反撃していくべきではなかったか?

だが、いわゆるポストモダニズム(脱構築、相対化)を経てしまった市民派にはそれだけの覚悟もなかったのでしょう。

冷静に考えると、原発問題だって、地域間「格差」問題でもあるのです。
福島から避難したくても避難できない人がいるというのは、住宅政策の貧困でもあるし、雇用政策も含むセーフティネットの貧困でもあるのです。平時から福祉が充実していれば、もっとたやすく避難を決断できた人も多かったと思います。

そういうことも考えると、今後、日本において必要な政治家は「腰を据えてアホと言われようがバカと言われようが、格差是正を突き進む」政治家ではないでしょうか?別の言い方をすると、日本においては、脱原発とか、反戦運動についてはそれなりに充実しているが、「階級闘争(格差是正)」が絶対的に不足している、ということではないでしょうか?おそらくそれは20年から30年は続くと思うのです。



東日本大震災から、6年が過ぎた。この震災の前後で、日本の社会は大きく変わった。それとともに、人々の関心も大きく変わった。災害と原発の問題に人々の関心が集まるようになった反面、忘れられがちになった問題も少なくない。
そのひとつが「格差」の問題である。
思えば震災前は「格差社会」が流行語となり、「格差社会論」と呼ばれる言説が世に満ちあふれていた。毎月何冊もの本が出版され、中身は玉石混淆だったとはいえ、それぞれに一定の読者を獲得していた。格差と貧困が現代日本の解決すべき課題だということが、共通認識となりかけていた。
ところが震災の後になると、さっと潮が引いたように、「格差社会」という文字を見かけなくなった。どうでもいいことだが、震災前には私のもとにも格差社会に関する本を書いてくれという依頼が続々と舞い込んだのに、最近ではさっぱりで、こちらから提案しても渋い顔をされることが多い。
震災で格差を忘れた日本人
人々の意識に大きな変化があったことは、世論調査の結果からも明らかだ。一例として、内閣府が毎年行っている「国民生活に関する世論調査」の結果を見てみよう。
この調査は、「お宅の生活の程度は世間一般からみてどうですか」という設問を設けていることでよく知られている。回答は「上」「中の上」「中の中」「中の下」「下」の5つから選ぶことになっていて、マスコミなどでは「中の上」「中の中」「中の下」の合計が「中流意識」と呼ばれることが多い。
真ん中3つを合計するのだから比率が高くなるのはあたりまえで、これを「中流」とみなすのは問題だが、それでも人々の意識の変化をみるのには役に立つ。
たとえば「上」「中の上」と回答するのは自分を「人並み以上」、「中の下」「下」と回答するのは自分を「人並み以下」と考えているわけだから、その比率は格差の動向を反映する。実際、1990年代後半以降には、「中の中」が減少して、「人並み以上」と「人並み以下」がともに増加した。格差拡大が人々の意識にも表われたのである。
ところが震災後になると、「中の中」の比率が跳ね上がり、その分「人並み以下」が減少した。もちろん、震災後に格差拡大が縮小して低所得者が減ったわけではない。
2014年夏に行われた「所得再分配調査」によると、日本の経済格差は震災前の2008年に比べ、年金の支給額が増えたことなどから中高齢者の一部でやや縮小したものの、非正規労働者と失業者の増加を反映して若年層で明らかに拡大したため、全体としては高水準のまま横ばい状態にある。
それでは、何が起こったのか。
国民生活に関する世論調査によると、現在の生活について「満足」と答える人の比率は、21世紀に入ってから低迷を続けていたが、震災のあった2011年から顕著な上昇傾向を示し、2013年には70%を越えた。
震災があり、不景気も続いているのに、人々の生活満足度が上がったというのか。人々の政府への要望をみると、「防災」が大幅に増えた反面、「高齢社会対策」「雇用・労働問題への対応」が大幅に減っている。
どうやら震災は、日本人の意識に次のような変化をもたらしたらしい。
震災で命を落としたり、家を失ったり、避難生活を余儀なくされている人々に比べれば、自分たちはまだまだマシだ。自分を「下」だなどとは考えないようにしよう。老後の生活や雇用、そして格差の問題などは、震災復興と防災に比べれば二の次だ、と。
格差社会論が広く受け入れられる素地は、こうして失われたのである。
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by hiroseto2004 | 2017-03-12 15:12 | ジェンダー・人権(反貧困) | Trackback(1)

「ムラ社会ニッポンのポストモダ二ズム死ね」

わたしが、声高に申し上げたいのは「ムラ社会のポストモダ二ズム死ね」ということです。

日本のムラ社会=異論を唱えにくい社会、「ジシュキセイ」社会=に、「相対化」「脱構築」を旨としたポストモダニズムが流入したために、とんでもないことになったというのがわたしの論旨です。

ムラ社会ではあったが、それなりに左派(左派内部にムラ社会を抱えつつも)が健在だった時代は、それでも、政府や大手企業と言った権力の暴走を押さえ込む力が働いたわけです。

政府に対しては立憲主義という形、大手企業に対しては民主的規制という形でです。

しかし、ポストモダニズムは、何でもかんでも相対化してしまった。
具体的に言えば、そこら辺の一般市民や一般労働者と巨大な官僚機構、巨大な企業がいかにも対等であるかのごとき幻想を振りまいたことです。

その結果、「権力」に「抵抗」し、「暴走」を押さえ込むという発想がなくなった。

そして、根本的にムラ社会だったニッポンにおいて、「ポストモダニズム」に便乗して口をつぐむことは、知識人たちにとって、安楽な道になった。

そういうことの結果が、「日本死ね」で注目された待機児童問題であり、介護問題であり、貧困問題であり、原発問題でもあり、政権による一連の非立憲主義的な立法の問題ではないでしょうか?

「日本死ね」と言った人は、おそらく「ポストモダン」だの「ムラ社会」だのといった哲学的な用語はとっさには浮かばなかったと思う。よほどのオタクでもない限りはそれが普通だと思います。

ただ、わたしは、ずばり申し上げる。

「ムラ社会ニッポンのポストモダニズム死ね」
と。


by hiroseto2004 | 2016-12-16 14:41 | 思想・哲学 | Trackback
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最近、というか、1990年代以降、日本を駄目にしてきたA級戦犯の一つは、「物わかりの良いポストモダン系インテリ」ではないでしょうか?

彼らのおかしいところの第一は、大手企業や巨大な官僚機構と一般労働者・市民が対等であるかの幻想に立脚しているところです。










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by hiroseto2004 | 2016-08-11 20:51 | 思想・哲学 | Trackback
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以下の論考を拝見しました。

「湯浅誠」が「いた」時代~水島宏明さんに聞く「反貧困」ブームとこれから

ただ。これらの動きより約七年も前、日本でも「貧困」「格差」是正をイシューとする市民運動が盛り上がった時期がありました。2007~2009年、「年越し派遣村」を象徴とした「反貧困」運動がそれです。当時確かにこの国には「貧困を解決しよう」「格差を是正しよう」という雰囲気が充満していました。

その当時、何故日本で「反貧困」が運動として盛り上がることが出来たのか? そして何故これといった成果なくブームはしぼんでしまったのか?
今回は、その時メディア側の人間として最先端に密着取材されていた水島宏明さんに、当時の状況と今だからふりかえることが出来る分析をお伺いしました。
仮にまた同じように世論が盛り上がった時、今度こそ一過性に終わることなく社会を変えるために、わたしたちはどう行動すればよいのでしょうか?





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by hiroseto2004 | 2016-04-13 21:56 | 思想・哲学 | Trackback
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Wikipediaによると、武道における「守破離」は以下のようなものです。

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