自民党十八番「内ゲバ」で「求心力回復」は不発か?
2009年 07月 15日
14日、野党各党は衆議院で麻生太郎内閣の不信任決議案、参議院では麻生総理の問責決議案を提出しました。
皆さんも既に報道でご存知のとおり、自民党内では、中川秀直元幹事長、塩崎元官房長官らが、「麻生総理の元での解散」に反対し、『麻生下ろし」の動きを強めていました。
しかし、昨日の内閣不信任案に、対して、中川さんも、塩崎さんも反対でした。
彼らは、経済政策的にはネオコン色が強い方々ですから、小泉路線からの脱却を事実上宣言した麻生さんに対する不満もあるでしょう。しかし、内閣不信任案に賛成しませんでした。内閣不信任案に反対した以上は、麻生下ろしはもうできません。そんなことをしたら、笑いものです。おそらく、新党結成も難しいでしょう。
■「内ゲバ演出」と「総裁取替え」で、延命してきた自民党
自民党は、2005年のいわゆる「郵政選挙」では、野田聖子さん、保利耕介さん、堀内光雄さんら、郵政民営化法案に反対した議員に「刺客」を送りました。
そして、求心力を高め、圧勝したのはみなさんもご記憶に新しいと思います。ところが野田さんらも、2006年には復党しました。堀内さんにいたっては「自民党は殺された!」という本さえ出版しておられたのにです。
http://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E6%B0%91%E5%85%9A%E3%81%AF%E6%AE%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F-%E5%A0%80%E5%86%85-%E5%85%89%E9%9B%84/dp/product-description/4898310923
自民党は、郵政民営化反対票も賛成票も「両取り」したのです。
もっと歴史をさかのぼりましょう。1970年代、自民党から新自由クラブという政党が分かれて一世を風靡しました。しかし、実際には、自民党よりも、共産党など既存野党があおりを食いました(1976年総選挙で共産党は大幅後退、新自由クラブが躍進)。
そして、その新自由クラブのメンバーは次々と自民党に復党しました。中川秀直さんもそのお一人です。そして、1983年には自民党と新自由クラブは連立し、86年には吸収合併されたのです。
また、1980年にはいわゆる40日抗争で自民党は真っ二つに割れ、内閣不信任案が可決されましたが、大平総理の急死による「弔い合戦ムード」もあり、1980年同日選挙で圧勝しました。
「危なくなると内ゲバを演出し、世間の耳目を集め、求心力を高める」「参院選で負けると総理だけ取り替えて逃げ切る」。後者については、具体的には1989年の参院選の惨敗後に海部総理に取り替えたこと。そして、1998年参院選後は、小渕総理に替えたことです。
■延命は出来なくなった
以上が、自民党の歴史でした。しかし、今回はそれが働かなくなりました。
その原因の第一は、自民党の人気が低下していることです。自民党の人気が余りに低下しているので、総理を取り替えたり、内ゲバを演出するだけでは求心力にならないからです。
東国原知事を担ぎ出すという「奇手」を古賀選対委員長も取りましたが、東国原知事も自民党も激しいブーイングを浴びたわけです。
第二に、小選挙区比例代表並立制を軸とする現行の選挙制度です。この選挙制度でははっきり言って、二大政党でなければ事実上当選は難しい。政党要件がなければ衆院選では政見放送さえさせてもらえないなど、不利なこともたくさんあります。無所属では、企業献金も受け取れません。
そういう中で、総理に逆らって除名された場合、自分の政治生命が下手をしたら絶たれかねません。それこそ、2005年の郵政選挙でも、郵政民営化法案に反対した多くの議員が落選の憂き目に遭いました。
選挙制度が中選挙区制だった時代なら、自民党を飛び出して新党を作るのも比較的簡単だったでしょう。1976年の新自由クラブや、1993年の新生党(小沢一郎さん)、さきがけなどが良い例です。無所属出馬でも当選の可能性も高い。
しかし、今、新党を作っても自爆するだけですし、無所属で当選できるのは、既に離党している渡辺喜美さんくらいのものでしょう。
第三にそもそも中選挙区制だった頃のほうが、自民党も多様な人材が当選したことがあります。それがなくなってしまったのです。
記事へのご意見・ご感想はこちら(hiroseto(AT)f2.dion.ne.jp、(AT)を@に変えてください)へどうぞ!
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しかし、昨日の内閣不信任案に、対して、中川さんも、塩崎さんも反対でした。
彼らは、経済政策的にはネオコン色が強い方々ですから、小泉路線からの脱却を事実上宣言した麻生さんに対する不満もあるでしょう。しかし、内閣不信任案に賛成しませんでした。内閣不信任案に反対した以上は、麻生下ろしはもうできません。そんなことをしたら、笑いものです。おそらく、新党結成も難しいでしょう。
■「内ゲバ演出」と「総裁取替え」で、延命してきた自民党
自民党は、2005年のいわゆる「郵政選挙」では、野田聖子さん、保利耕介さん、堀内光雄さんら、郵政民営化法案に反対した議員に「刺客」を送りました。
そして、求心力を高め、圧勝したのはみなさんもご記憶に新しいと思います。ところが野田さんらも、2006年には復党しました。堀内さんにいたっては「自民党は殺された!」という本さえ出版しておられたのにです。
http://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E6%B0%91%E5%85%9A%E3%81%AF%E6%AE%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F-%E5%A0%80%E5%86%85-%E5%85%89%E9%9B%84/dp/product-description/4898310923
自民党は、郵政民営化反対票も賛成票も「両取り」したのです。
もっと歴史をさかのぼりましょう。1970年代、自民党から新自由クラブという政党が分かれて一世を風靡しました。しかし、実際には、自民党よりも、共産党など既存野党があおりを食いました(1976年総選挙で共産党は大幅後退、新自由クラブが躍進)。
そして、その新自由クラブのメンバーは次々と自民党に復党しました。中川秀直さんもそのお一人です。そして、1983年には自民党と新自由クラブは連立し、86年には吸収合併されたのです。
また、1980年にはいわゆる40日抗争で自民党は真っ二つに割れ、内閣不信任案が可決されましたが、大平総理の急死による「弔い合戦ムード」もあり、1980年同日選挙で圧勝しました。
「危なくなると内ゲバを演出し、世間の耳目を集め、求心力を高める」「参院選で負けると総理だけ取り替えて逃げ切る」。後者については、具体的には1989年の参院選の惨敗後に海部総理に取り替えたこと。そして、1998年参院選後は、小渕総理に替えたことです。
■延命は出来なくなった
以上が、自民党の歴史でした。しかし、今回はそれが働かなくなりました。
その原因の第一は、自民党の人気が低下していることです。自民党の人気が余りに低下しているので、総理を取り替えたり、内ゲバを演出するだけでは求心力にならないからです。
東国原知事を担ぎ出すという「奇手」を古賀選対委員長も取りましたが、東国原知事も自民党も激しいブーイングを浴びたわけです。
第二に、小選挙区比例代表並立制を軸とする現行の選挙制度です。この選挙制度でははっきり言って、二大政党でなければ事実上当選は難しい。政党要件がなければ衆院選では政見放送さえさせてもらえないなど、不利なこともたくさんあります。無所属では、企業献金も受け取れません。
そういう中で、総理に逆らって除名された場合、自分の政治生命が下手をしたら絶たれかねません。それこそ、2005年の郵政選挙でも、郵政民営化法案に反対した多くの議員が落選の憂き目に遭いました。
選挙制度が中選挙区制だった時代なら、自民党を飛び出して新党を作るのも比較的簡単だったでしょう。1976年の新自由クラブや、1993年の新生党(小沢一郎さん)、さきがけなどが良い例です。無所属出馬でも当選の可能性も高い。
しかし、今、新党を作っても自爆するだけですし、無所属で当選できるのは、既に離党している渡辺喜美さんくらいのものでしょう。
第三にそもそも中選挙区制だった頃のほうが、自民党も多様な人材が当選したことがあります。それがなくなってしまったのです。
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by hiroseto2004
| 2009-07-15 12:42
| 選挙制度・政治改革
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