女性の広場 被爆の惨状とドイツの脱原発運動を学ぶ
2009年 08月 05日
被爆64周年原水禁世界大会広島大会に参加しているわたしは、5日午後は「女性のひろば」に参加しました。
被爆64周年原水爆禁止世界大会広島大会、市内各地で分科会
http://hiroseto.exblog.jp/10782496/
池田精子さんが証言しました。池田さんは爆心地から1.5kmで学徒動員の建物疎開作業
の後片付けをしていて被爆しました。しかし、奇跡的に父に助けられたのです。
一生懸命看病してくれた両親のおかげで、回復しました。列車で通学しました。一生懸命母もお弁当を作ってくれたのです。
しかし、被爆で傷ついた自分の顔がいやになり、だんだん朝出かけても、嫌になって学校をサボりだしました。
しかし、ある日、「精子に何かあったら、精子を抱いて死のうと思っていた」という父の会話を盗み聞きして、恥ずかしくなりがんばって生きていくようになったそうです。
池田さんの50人のクラスメートのうち、10人も生き残っている人はいなかったそうです。
学徒動員された学生たちは、広島市内で9500人いましたが、うち6300人も亡くなっていたそうです。亡くなった学生たちは、物体のように、痛いが積まれていったのです。
「でも、一人一人にとっては肉親にとって大事な人だったのです」
と池田さんは力を込めました。
原爆投下直後に広島を訪問した米軍のカメラマン・オダネルさんははんだん日本への憎しみがなくなってきました。43年後、写真を公開したらすさまじいバッシングにあったそうです。今はだいぶ変わっているそうで、みんな見に来てくれたそうです。
オダネルさんは2007年8月9日に亡くなったそうです。
さて、池田さんは15回も手術させてくれたそうです。「それでも、あのとき、苦しんで亡くなった人に比べれば、私の苦しみは物の数ではない」とおっしゃいました。
アメリカは原爆を正当化しています。しかし、広島と長崎で違う種類の爆弾を落としています。これは実験だったのです。
20世紀の負の遺産は21世紀に生きる人が後始末しなければならない、とおっしゃいました。この後始末を間違ったら21世紀は地球最後の世紀になるかもしれない、とおっしゃいました。
続いて、緑の党国会議員(ドイツ)のシルヴィア・コッティング・ウールさんが「核のない未来を子どもたちに引き継ぐため原発反対運動から学ぶ」と題して問題提起しました。
ドイツでは、1998年以降、社会民主党と緑の党の連立政権となり、脱原発が加速しました。
2001年には、クリーンエネルギー(再生可能エネルギー)の固定価格買取制度などが導入されました。
これは、与党と、エネルギー会社なども参加して協定を結んだ結果です。
2040年には、全ての発電を再生可能エネルギーに置き換えるという野心的な目標も定めたのです。
そのおかげで、2001年に発電量の3割を占めていた原子力が2008年には23%に落ちました。その代わり、6.7%だった再生可能エネルギーが2008年には15.1%に躍進したのです。
ただ、ドイツでも、連立の構成が社民党とキリスト教民主同盟の大連立に変わってからは、抵抗勢力も復活しているそうです。
こうしたことを可能にした背景には市民による原発反対運動の強さがあったそうです。原発がいかに発電段階以外でも被曝や汚染をもたらすかなどを学ぶ活動も進めていたそうです。
「ドイツでもウラン鉱山の廃棄物処理は金がかかります。二つの鉱山では、それぞれ、2200億円、5400億円かかる。そして、原子力は制御できないと考えます。平和利用と軍事利用の区別もない。倫理的にも
許されない。」と語気を強めました。「再生可能エネルギー産業従事者は28万人で、自動車の三倍」ということで、いまや、ドイツでは、産業を引っ張っているのは再生可能エネルギーです。

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一生懸命看病してくれた両親のおかげで、回復しました。列車で通学しました。一生懸命母もお弁当を作ってくれたのです。
しかし、被爆で傷ついた自分の顔がいやになり、だんだん朝出かけても、嫌になって学校をサボりだしました。
しかし、ある日、「精子に何かあったら、精子を抱いて死のうと思っていた」という父の会話を盗み聞きして、恥ずかしくなりがんばって生きていくようになったそうです。
池田さんの50人のクラスメートのうち、10人も生き残っている人はいなかったそうです。
学徒動員された学生たちは、広島市内で9500人いましたが、うち6300人も亡くなっていたそうです。亡くなった学生たちは、物体のように、痛いが積まれていったのです。
「でも、一人一人にとっては肉親にとって大事な人だったのです」
と池田さんは力を込めました。
原爆投下直後に広島を訪問した米軍のカメラマン・オダネルさんははんだん日本への憎しみがなくなってきました。43年後、写真を公開したらすさまじいバッシングにあったそうです。今はだいぶ変わっているそうで、みんな見に来てくれたそうです。
オダネルさんは2007年8月9日に亡くなったそうです。
さて、池田さんは15回も手術させてくれたそうです。「それでも、あのとき、苦しんで亡くなった人に比べれば、私の苦しみは物の数ではない」とおっしゃいました。
アメリカは原爆を正当化しています。しかし、広島と長崎で違う種類の爆弾を落としています。これは実験だったのです。
20世紀の負の遺産は21世紀に生きる人が後始末しなければならない、とおっしゃいました。この後始末を間違ったら21世紀は地球最後の世紀になるかもしれない、とおっしゃいました。
続いて、緑の党国会議員(ドイツ)のシルヴィア・コッティング・ウールさんが「核のない未来を子どもたちに引き継ぐため原発反対運動から学ぶ」と題して問題提起しました。
ドイツでは、1998年以降、社会民主党と緑の党の連立政権となり、脱原発が加速しました。
2001年には、クリーンエネルギー(再生可能エネルギー)の固定価格買取制度などが導入されました。
これは、与党と、エネルギー会社なども参加して協定を結んだ結果です。
2040年には、全ての発電を再生可能エネルギーに置き換えるという野心的な目標も定めたのです。
そのおかげで、2001年に発電量の3割を占めていた原子力が2008年には23%に落ちました。その代わり、6.7%だった再生可能エネルギーが2008年には15.1%に躍進したのです。
ただ、ドイツでも、連立の構成が社民党とキリスト教民主同盟の大連立に変わってからは、抵抗勢力も復活しているそうです。
こうしたことを可能にした背景には市民による原発反対運動の強さがあったそうです。原発がいかに発電段階以外でも被曝や汚染をもたらすかなどを学ぶ活動も進めていたそうです。
「ドイツでもウラン鉱山の廃棄物処理は金がかかります。二つの鉱山では、それぞれ、2200億円、5400億円かかる。そして、原子力は制御できないと考えます。平和利用と軍事利用の区別もない。倫理的にも
許されない。」と語気を強めました。「再生可能エネルギー産業従事者は28万人で、自動車の三倍」ということで、いまや、ドイツでは、産業を引っ張っているのは再生可能エネルギーです。

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by hiroseto2004
| 2009-08-05 22:54
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