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by hiroseto2004

核兵器は廃絶できるか?(まとめ編2)―オバマ大統領を呼ぶには覚悟が必要―

核兵器は廃絶できるか?(まとめ編2)
―オバマ大統領を呼ぶには覚悟が必要―

                                横原 由紀夫 

<はじめに>

 今年4月5日、オバマ大統領が「核兵器なき世界」を究極の目標とする包括構想を発表した(プラハ演説)。この演説をうけて日本国内には“オバマ演説に対する絶賛の声”が
溢れ、広島招聘の声が沸き起こった。“オバマ大統領を広島へ”の呼びかけは、広島市長、
著名な被爆者、被爆者団体、中学生などなど・・。

 今秋には、ノーベル平和賞がオバマ大統領へ授与された。オバマ演説の内容に対する問題点と批判は、東北アジア情報センター会報11号(09年6月1日発行)の拙論を参照されたい。オバマ大統領のノーベル平和賞受賞は、“核軍縮の実現に対する期待感の強さ”の表明であり、オバマ発言を後押しする意図の表れであろう。核超大国の政治リーダーとしての発言力の大きさを改めて認識した。
 だが、私は、今回のノーベル平和賞には違和感を持つ。もともと、ノーベル平和賞は政治的意図が強いと思っているので評価はしないが(過去の平和賞でも違和感を持った例は多い)。オバマ大統領の「核兵器なき世界」への呼びかけは、“核兵器廃絶”を国際政治の場における現実的な課題として浮上させた意味は大きいが、その一方で、米国が起こしたアフガニスタン戦争・イラク戦争は大量の犠牲者と被害者、難民を生み出しテロ行為の頻発を招いている。しかもオバマ大統領は、アフガニスタンへの米軍増派を明言し戦争継続による混乱をパキスタンにまで及ぼしている。米国の行為によって大量の血が流され続けているという現実を無視した“ノーベル平和賞”にどんな意味があるのであろうか。

 オバマ大統領を広島へ呼ぼうという声は、善意からの思いであり素朴な感情の表れである。そのような善意と素朴な感情には私も同意するが、しかし、果たしてそれでよいのか?という疑問と問題意識を持つ。オバマ大統領が広島を訪問したからといって核兵器廃絶の速度が速まるわけではない(オバマ大統領一人の力で核兵器廃絶ができるほど簡単な問題ではない、ことは自明の理)。現職の米国大統領が平和公園原爆慰霊碑に献花する行為が何を意味するのか、について深く考えてみることが大切ではなかろうか。アジアの人々は何を思うのか、米国内では何が起きるのか・・、それがもたらす影響までをも考慮しなければならない。

 10月、広島市長は突然、“2020年広島でオリンピック開催”を発表し動き始めている。私はこの考え方にも違和感を持つ。言うまでもなくオリンピックは、過去の一時期
を除いて、“商業主義”の垢にまみれ平和の祭典ではなく“国威発揚”の場として政治的に利用される場となっている。被爆地で開催するから意義があるという人が多いが、100億円もの税金を費やして招致運動をする意義が本当にあるのであろうか?市民が大いに議論すべきである。その場限りの「平和」を謳うことに大した意味があるとは考えないし、被爆地の聖地化という発想はますます心地よい被害者意識を醸成することになるのではなかろうか(被害しか強調しない日本人に対する批判的ことば:誰の言であったか)。被爆地といえども被害と加害がセットになっていることを忘れてはならない。

Ⅰ 「テロ」への恐怖から出された核軍縮論

1 テロ脅威論は米国の対外政策の誤りが起因

 2008年から急速に動き出した“キッシンジャー氏ら米国元政府高官(4人)”の提言は、核兵器をテロ組織が取得し使うのではないかとの恐怖から発したものであり、核拡散拡大の懸念から出されている。そうであるならば、本来的には、直ちに核兵器を廃絶するための措置(例えば、強制力を持った「核兵器即時廃絶条約」など)を提言すべきであるが、核抑止力そのものを否定しているものではないので非人道的兵器の廃絶と戦争根絶という発想がその根っこにない、ということを認識しておく必要がある。それでも、核軍縮が進むことは歓迎すべきとの声もあるが、核抑止論そのものが否定されての結論でない限り、私たちが求める「真の核兵器廃絶」には遠いと言わざるを得ない。米国が「悪の枢軸」と決めつけた北朝鮮、イランの核開発(イランはまだ製造していないが)を止めることを目的として動いているが、核拡散のそもそもの原因は米国の対外政策にある。

 ブッシュ大統領時代に北朝鮮、イランなどを悪の枢軸と決めつけ、米国一極主義政策に基づく“予防戦争論:先制攻撃論”がその根本的な原因である(米国の起こしたイラク戦争を教訓として「米国に対抗するためには核武装が必要」との論もあるが、イラク戦争の口実と真の狙いを考えると「核武装対抗論」は一面的な発想である)。北朝鮮の場合は、90年代米国による北朝鮮軽視と圧力(軍事的圧力、経済的・政治的制裁)に対抗する手段としての核開発である。また、米国が一貫して採り続けてきた中東イスラム圏に対する政治的・経済的圧力(自国の利益のためにのみ利用する:イスラム圏への抑圧・軽視・蔑視など)の基本政策とイスラエル擁護(イスラエルは善、イスラムは悪)の基本政策に問題の根源がある(テロの大きな要因は、抑圧・弾圧政策と軽視・蔑視に対する反発がその根本にあると考えられる)。
 米国の対外政策を根本から見直して共存・共栄・協力を原点とする対話路線への転換は緊急かつ重要な課題である。

2 何が問題なのか
(1)オバマ大統領の発言が実行できるか?

 「核兵器なき世界」に向かって確実に歩み出すためには、米国議会(とりわけ上院)の動きが鍵を握っている。現状では、オバマ発言をすんなりと受け入れる状況にはなく、議会の反発は根強い。また、軍部の反発は強く“大統領が何を発言しようと我々は戦争に備え勝つために任務を果たす”という軍人の発言に象徴されている。
 第2の問題は、米国内世論の動向である。米国内は金融危機・経済危機の中で失業率が10%を越え、生活困窮者が増えている(このような状態が改善されることなく続くと、暴動すら起きかねない事態を招く)。
 緊急かつ重要な課題は、イラクはもちろんアフガニスタンから早期に撤退することであり(米軍増派では泥沼に落ち込む)、軍事費を削減して社会保障と経済活性化などに振り向ける政策に転換することである。このまま推移すれば、来年の中間選挙で民主党は敗北し、オバマ大統領の再選も危うい)。

(2)米国の財政・経済危機の克服が課題

 現在、国際基軸通貨として役割を果たしてきた「ドル」は崩壊に向かって進んでいる。ドルが基軸通貨としての地位を保ってきたのは米国の巨大な国内総生産と強大な消費市場に支えられてきたからであり、米国はドルをどんどん印刷していれば良かった。しかし、80年代以降、経常収支の膨大な赤字と財政の赤字(現在は、約120兆円もの赤字)を抱え危機的状況は深刻化している。かつては、日本が“米国財務省債(国債)”を買うことでドルを支え、現在では中国が最大の債権国になっているが、それも限界にきている(米国に追随するのは日本だけで、ロシア・中国をはじめ非米・反米諸国が力を強めEUも米国一辺倒ではない)。今や米国は、核超大国として世界に君臨する存在ではなく、核大国ではあっても政治・経済大国ではない。世界は、米国一極主義体制から多極化へ向かって確実に歩んでいるのが現実の姿である(日本の政治家は日米関係しか見ない)。

(3)ロシア・中国の同調と協力が不可欠

 ロシアは、今や、資源大国として経済大国になっているが、それに伴いロシア大国意識が再現している。米国が、ロシア・中国に対する軍事的圧力を弱め、米ロ中での共存・共栄・協力関係を強める道を歩むことが求められている。その関係を通してロシアの軍事大国化意識を転換させ得るのではなかろうか。
 中国は、政治体制を維持したまま「市場経済体制(資本主義経済)」を導入した。そのため経済は急速に発展したが(消費経済の拡大)、その影で格差が急激に拡大している(消費レベルは低くとも平等に安心して暮らせた社会ではなくなった。それに伴って犯罪も増加した)。国内経済の需要を充足し国際競争に打ち勝つために“国家戦略”として“資源獲得”への動きを世界各地で強めている。国際的にも資源獲得競争が強まっており、国際社会が歯止めをかけないと、21世紀の戦争の要因ともなる。

 私たちが“東北アジア情報センター”を設立し活動をはじめた動機は(06年4月)、日本の平和と安定、市民生活の維持向上のためには「東北アジアブロック」が共同の経済体制を構築し経済的安定の上に政治的安定をはかり「共存・共栄・協力(不介入・不可侵・不干渉の3原則)」を原則にした共通の安全保障体制を築くことが必要不可欠と考えたからである(脱亜入欧から「入亜協力欧米」への道へ転換)。私たちに求められているのは、日本の政治の基本と思考が防衛戦略構想の基本にある「ロシア・中国に対する敵視・警戒思考と北朝鮮敵視思想」からの脱却である。

(4)中東情勢の安定が課題(米国の責任大)

 世界各地には紛争状態が続いている地域が多く存在するが、核兵器廃絶と武力廃棄・戦争根絶に向けて歩むためにあえて優先順位をつけるとすれば“中東地域の安定”が不可欠である(印パ対立、東南アジア情勢、アフリカの状況など多くの課題があるが、国連を軸として政治・経済大国間の協調・協力が必要である)。とりわけ、イスラエルによる中東イスラム圏への軍事的圧力・脅威を取り除くことが必要条件である。そのためには、米国が一貫して採り続けてきた“イスラエル中心主義的な政策”を転換する必要がある(もちろんイスラエルの安全を保障しなければならないが、イスラエルの譲歩が必要)。
 世界を安定させるためには、国連を基盤として「共存・共栄・協力」路線を基本とする国際的なルールを確立しなければならない。そのためには、「自由・平等・博愛主義(友愛ではない)」を国際社会共通の哲学とすることを提案する。いずれにしても、武力による「国益の追求」が抑圧を生み抑圧に抵抗するための手段としてテロ行為が起きているのであるから、抑圧を排するためには自由・平等・博愛主義を原則とする政治哲学を定着させる国際輿論が強くならねばならない(ノーベル平和賞の本来の姿では)。

Ⅱ オバマ大統領を広島へ呼ぶ意味

 オバマ大統領が広島に来て、資料館を参観し原爆慰霊碑に献花しそれを通して被爆の悲惨な実態を知ってもらい、核兵器廃絶へと向かって欲しい-と考え願うことは善意の発想であり素朴な感情である(感情論)。そのこと自体は否定すべきものではないが、国際政治は善意と情緒だけでは動かない(性善説と性悪説が複雑に絡み合っているのが現実)。また、それだけでは、日本の責任は何処へ消えたのか?と疑問も生じる。

1. 米国大統領が広島へ来ることは何を意味するか

 米国の現職大統領が広島を訪れることは原爆を投下した国の元首が慰霊碑に献花し反省の意を表明することになる。いまだに、米国内の圧倒的多数意見は「原爆投下は日本とアジアの人々数百万人の命を救ったもので正当であった」という歴史観である。大統領が慰霊碑に参拝・献花し原爆犠牲者を追悼する行為は、多数の米国民からすれば正当化してきた歴史観を覆し“米国の過去の過ち”を認めなければならない(だからこそ意義がある)。保守勢力とりわけ右派勢力によるオバマ大統領に対する攻撃(暴力的行為も)強まるだろう(これは、日本でも同様に首相が中国の南京大虐殺記念館を訪れ反省とお詫び、償いをしたらどうなるかである。私は、中国やアジアの人々と和解するためには避けて通れない道であり、鳩山首相は実行すべきと考えるが)。オバマ大統領自らも、米国民の多くも“原爆投下正当化論に立つ歴史認識”を転換する覚悟が必要となる。米国民(国内世論)がどう動くかが問われている。

2. 呼ぶ側も覚悟が必要

 日本は自らの加害責任を果たすことが必要不可欠である。
 米国現職大統領が広島を訪問するには、歴史観の転換という覚悟が必要であるが、仮に覚悟もなしに訪問が実現したとすればそれは形式的な訪問であり途中下車でしかありえず、さほど重要な意味は持たない。
 一方で、招く側は覚悟ができているのであろうか?米国大統領に覚悟を求める限り、日本政府、政治家、広島市民(国民)も覚悟しなければならない。日本にとっての覚悟は、「日本自らが犯した過ちの責任(加害責任)を果たす」ことである。その覚悟もなしに簡単に招く声を上げるだけでは、アジアの人々から疑問を投げかけられ批判を浴びるだろう。
 政治家の多くは「村山首相談話」を踏襲すると発言するが、あれは“談話”であって(ないよりはましだが)、日本の首相自らが例えば南京なり重慶を訪れて日本軍による虐殺行為に対して反省と謝罪の行為を行って「和解」を求めてはいないのである。

 戦後64年を経過した今日なお、日本の戦争責任に基づく「戦後処理」は終わっていないのである。中国人・朝鮮人に対する強制連行・強制労働、「軍隊慰安婦」問題、捕虜に対する強制労働(国際法違反)、シベリア抑留問題、空襲被害に対する国家補償などなどである。生存している被害者たちの声は(私も過去直接聞いたが)“実際にどのような事実があったのか、行われたのか、日本人が事実を知り心に刻んで欲しい。また、きちんとした謝罪と償いをして欲しい・・”との強い思いである。生存している被害者たちが裁判で訴えても、国内法・国際法を振りかざして「請求棄却」と「すでに時効」という壁で撥ね返されている(一部は企業との和解もあるが、また、被爆者のケースでは最高裁まで争ったケースもあるが、国としての責任はとっていない)。
 政治家は、戦後処理問題解決をしてこなかったばかりか、歴史的事実を歪曲し「侵略と戦争を正当化する発言」まで繰り返してきた(反日感情の源泉となっている)。
 鳩山民主党基軸政権が、かつての植民地統治政策・侵略戦争を本当に反省するのであれば、反省を具体的な形にすることが必要である(談話を越えて)。その方法として、「植民地統治と侵略戦争の反省とお詫び」を国会決議(不戦の誓い)とし、「戦争被害者補償法(国籍条項なし)」を制定することである。
 そのような覚悟を固めた上で、国際社会とりわけアジアの人々へ「和解」を訴えるべきではないだろうか。そうしてこそ、真に、国際社会から尊敬と信頼を得ることができ、国際社会への発言力も飛躍的に高まり重いものとなる。
 オバマ大統領を広島に呼ぶことは、呼ぶ側にも「覚悟」が要るということである。この問題が含んでいる本質は、「招かれる側、招く側にも、過去の過ちを認め反省する覚悟」があるかを、国際社会から問われている-ということである。

<むすび>

 核不拡散・核軍縮に関する国際委員会(ICNND)広島会合が開催された。多くの人々が「広島会議」に期待し、市民団体も様々な催しを行ったが、最終報告書・概要の内容は期待を裏切るものであった。この時期に開催された広島会議(核軍縮の高揚、NPT再検討会議の6ヶ月前)で、「核先制不使用宣言と消極的安全保障(非核国に対する不使用宣言)」を提起できなかった事はICNNDの限界を露呈したものであり、有効性を疑わせるものである。また、被爆地で開催したからといって期待通りの結論が出るものではない、ということを示したものである。これでは、ICNNDが国際世論を作り出すことはできない。
 オバマ大統領発言に寄りかかった核廃絶運動では、米国内の状況を見る限り障壁の大きさを感じさせられる。
「被害と加害をセット」にした訴えと行動があってこそ、アジアの人々、米国民に「真の和解」を提起することが可能となる。
広島市民はもとより日本国民が歴史的事実を認識し和解に向かって行動するとき、オバマ大統領を自信を持って広島に招くことができる。日本の抱えている諸問題を解決する道でもある。
(2009年10月18日 東北アジア情報センター運営委員)
                      



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by hiroseto2004 | 2009-11-12 19:12 | 読者投稿 | Trackback