失われた二十年?三十年?・・日本は大学で落第した「優秀な小学生」?
2010年 01月 03日
小学生、中学生、高校生、大学生。それぞれ、勉強の仕方は変わってきます。
もちろん、ずっと通用する部分もありますが、変えないといけない部分もあります。
政治も似ています。時代にあった政策を取らないといけない。
日本は「優秀な小学生」だったが、中学、高校、大学と進むにつれて、だんだんつまづいてきたのではないでしょうか?
いわば、小学生時代とも言える、高度成長期には、道路をどんどんつくり、クルマを普及させることは、確かに経済を発展させるには、あの時点では有効と思われました。
自動車産業自体は様々な産業が潤う「裾野が広い」産業です。とにかく経済成長を!という観点からは合目的だった。
しかし、1980年代はじめ頃、一通り、国内にモノが満ちた。
そこで、路線を転換すべきでした。すなわち、企業や地域、家族に依存しない先進国らしいセーフティーネットの構築に政府の役割をシフトすべきだった。
それができなかった。
1980年の衆参同日選挙で自民党は圧勝。翌年からいわゆる土光臨調行革路線がスタートし、1982年には中曽根内閣が発足しました。
中曽根総理(いわゆる土光臨調行革路線)は小さな政府を追求した。そして、アメリカに対する貿易黒字に活路をもとめた。これがアメリカの反発を招き入れプラザ合意後の円高、さらにバブルを招いたのです。
その失敗を生かせず、1990年代の橋本内閣もまた、行政改革による小さな政府路線を追求した。これまた、大不況を招き、失敗した。
それを2001年から小泉純一郎さんがラジカルな形で再現。労働者を使い捨てることでコストを圧縮する仕組みを整備しました。さらに、地方交付税をカット。穿った見方をすれば、地方で食えなくなった人を弱みにつけこんでこき使おう、という狙いだったのかもしれません。思い出せば、そもそも派遣法を作ったのは中曽根さんですし、労組潰しも中曽根さんが元祖のようなものです。
このように、アメリカ市場でトヨタなどが稼ぐ援護射撃に終始した。小泉純一郎さんは新しい雰囲気を醸し出しましたが、なんということはない。中身は中曽根総理で失敗した対米黒字依存路線のバージョンアップでした。
こうした中でどうするか?
次の三十年の経済政策が問われる年になります。
1950年から三十年間はとにかく、がむしゃらに経済成長。
その後の三十年は、それが頭打ちになるなか、グローバル企業のコストカットに終始しました。
しかし、その結末はご覧のとおり。日本の場合、ただでさえセーフティーネットが弱い中で、惨状が可視化されました。
次の三十年はどうするか?セーフティーネットの整備と、新しい産業政策、双方に日本は取りかからないといけない。さらに、冷戦思考も抜けないといけない。
「冷戦を前提にした、経済成長の分配のための反共団体」自民党が、高度成長終了で経済政策的に、冷戦崩壊でイデオロギー的に役目を終えていたといえます。
早ければ冷戦終結後、遅くとも21世紀がはじまるまでには、終わっておくべき体制だった。
しかし、自民党もしぶとく、公明党とくんだり、小泉純一郎さんをかつぐなど、しぶとく居座った。そのつけが噴出しているのです。三十年ないし二十年遅れのツケを取り戻すのは大変です。
セーフティーネットのあり方も古い、機能しない。産業政策も時代遅れ。とにかく、課題が多すぎる。
小学生としては優秀で、中学受験には成功したが、中学時代(80年代?)に苦しくなり、高校時代(90年代)にはついていけなくなりつつあった。
そして、21世紀に入る境目=大学受験では思った大学にいけず、小泉純一郎という悪友との遊びにはまり、それがさめた段階ではないか?
留年を繰り返し、就職のめども立たない。自分に自信がないものだから、友人関係(外交)も立ち居地が混乱している。このあたりが日本の実像なのかな、と思います。
くどいようですが、以下のブログ記事を参考までにリンクさせていただきます。
歴史と科学に学ばないから日本は停滞しているのではないでしょうか
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1569.html
【生活支援】年末年始情報(随時更新)
http://hiroseto.exblog.jp/11837057/
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以下の与党各党も参考に



「建設的野党」日本共産党
解散・総選挙にのぞむ基本的立場(日本共産党)
もちろん、ずっと通用する部分もありますが、変えないといけない部分もあります。
政治も似ています。時代にあった政策を取らないといけない。
日本は「優秀な小学生」だったが、中学、高校、大学と進むにつれて、だんだんつまづいてきたのではないでしょうか?
いわば、小学生時代とも言える、高度成長期には、道路をどんどんつくり、クルマを普及させることは、確かに経済を発展させるには、あの時点では有効と思われました。
自動車産業自体は様々な産業が潤う「裾野が広い」産業です。とにかく経済成長を!という観点からは合目的だった。
しかし、1980年代はじめ頃、一通り、国内にモノが満ちた。
そこで、路線を転換すべきでした。すなわち、企業や地域、家族に依存しない先進国らしいセーフティーネットの構築に政府の役割をシフトすべきだった。
それができなかった。
1980年の衆参同日選挙で自民党は圧勝。翌年からいわゆる土光臨調行革路線がスタートし、1982年には中曽根内閣が発足しました。
中曽根総理(いわゆる土光臨調行革路線)は小さな政府を追求した。そして、アメリカに対する貿易黒字に活路をもとめた。これがアメリカの反発を招き入れプラザ合意後の円高、さらにバブルを招いたのです。
その失敗を生かせず、1990年代の橋本内閣もまた、行政改革による小さな政府路線を追求した。これまた、大不況を招き、失敗した。
それを2001年から小泉純一郎さんがラジカルな形で再現。労働者を使い捨てることでコストを圧縮する仕組みを整備しました。さらに、地方交付税をカット。穿った見方をすれば、地方で食えなくなった人を弱みにつけこんでこき使おう、という狙いだったのかもしれません。思い出せば、そもそも派遣法を作ったのは中曽根さんですし、労組潰しも中曽根さんが元祖のようなものです。
このように、アメリカ市場でトヨタなどが稼ぐ援護射撃に終始した。小泉純一郎さんは新しい雰囲気を醸し出しましたが、なんということはない。中身は中曽根総理で失敗した対米黒字依存路線のバージョンアップでした。
こうした中でどうするか?
次の三十年の経済政策が問われる年になります。
1950年から三十年間はとにかく、がむしゃらに経済成長。
その後の三十年は、それが頭打ちになるなか、グローバル企業のコストカットに終始しました。
しかし、その結末はご覧のとおり。日本の場合、ただでさえセーフティーネットが弱い中で、惨状が可視化されました。
次の三十年はどうするか?セーフティーネットの整備と、新しい産業政策、双方に日本は取りかからないといけない。さらに、冷戦思考も抜けないといけない。
「冷戦を前提にした、経済成長の分配のための反共団体」自民党が、高度成長終了で経済政策的に、冷戦崩壊でイデオロギー的に役目を終えていたといえます。
早ければ冷戦終結後、遅くとも21世紀がはじまるまでには、終わっておくべき体制だった。
しかし、自民党もしぶとく、公明党とくんだり、小泉純一郎さんをかつぐなど、しぶとく居座った。そのつけが噴出しているのです。三十年ないし二十年遅れのツケを取り戻すのは大変です。
セーフティーネットのあり方も古い、機能しない。産業政策も時代遅れ。とにかく、課題が多すぎる。
小学生としては優秀で、中学受験には成功したが、中学時代(80年代?)に苦しくなり、高校時代(90年代)にはついていけなくなりつつあった。
そして、21世紀に入る境目=大学受験では思った大学にいけず、小泉純一郎という悪友との遊びにはまり、それがさめた段階ではないか?
留年を繰り返し、就職のめども立たない。自分に自信がないものだから、友人関係(外交)も立ち居地が混乱している。このあたりが日本の実像なのかな、と思います。
くどいようですが、以下のブログ記事を参考までにリンクさせていただきます。
歴史と科学に学ばないから日本は停滞しているのではないでしょうか
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1569.html
【生活支援】年末年始情報(随時更新)
http://hiroseto.exblog.jp/11837057/
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以下の与党各党も参考に


「建設的野党」日本共産党
解散・総選挙にのぞむ基本的立場(日本共産党)
by hiroseto2004
| 2010-01-03 15:28
| 新自由主義批判
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