痛みに耐えて残ったのはやはり痛み 『小泉退場四年】
2010年 09月 30日
小泉純一郎さんの総理退陣から四年、引退表明から二年が過ぎました。
彼は総理時代、
「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」
「改革なくして成長なし!」
などと絶叫していました。
時代によって、また国の発展段階によって、産業構造が変わるのは当たり前です。
戦前の日本は、繊維産業などの軽工業がどちらかといえば主体でした。もちろん、重工業もそれなりにはあったが、アメリカなど他の先進資本主義国には及ばなかった。
戦後は、重厚長大型産業が発展。自治体などもその誘致のために道路や港湾を整備するなどしてきた。
そして、しまいには、自動車などでは国際市場でアメリカを圧倒するにまで至った。
「構造改革」というのは、実をいえば真新しいことではない。より収入がいい産業に人が流れて行く。当然のことです。農村で人が減り、都市へ流れたのもそういうことでしょう。
しかし、1990年代後半以降の日本の「構造改革」を巡る議論が変だったのは以下の点です。
・政府が景気を刺激すると、生産性の低い企業が温存され、生産性の高い分野に人材が行かなくなる。
・だから、緊縮財政だ!不良債権処理「加速化」だ!
そして、「労働力の流動化」と称して、派遣法が緩和された。有期雇用も拡大された。
結果はなにが起きたか?
デフレにより、本来なら優良なはずの企業まで、経営が苦しくなった。企業は、正社員のリストラ、それから、派遣や有期雇用への切り替えで乗り切ろうとした。
大手企業は、それでも、下請けにしわ寄せして儲けを回復した。小泉さんによる為替介入により恩恵も受けた。
しかし、多くの企業は、潰れるか、あるいは「ブラック化」することで生き延びるのが精一杯ではなかったか?
労働者も、以前よりもブラックな労働条件で働くことで失業を免れるしかなかった。
本来、一時は痛みがあるけど、その後は良い収入が得られる、というのが構造改革のうたい文句でした。しかし、続くのは永遠の痛みでした。
地方の若者は、地方で仕事がないために「仕方なしに」、東京や名古屋、広島などの大都市で派遣や契約社員として働く様になった。こういうことが、小泉さんが2004年に地方交付税をカットして以降、起きました。
景気は良くてもダメな企業は淘汰されます。景気が良いときは、労働者は、いい収入の得られる企業に移って行きます。労働者にいい給料を出せない企業は優秀な人材を確保できず、競争に負けて行きます。
同じ企業の淘汰なら、景気が良い時に起きる淘汰のほうが良いのです。
また、非正社員を増やしたのに、セーフティーネットは相変わらず、正社員にしか恩恵が行かない様な仕組みを放置した。だから、極めて格差が拡大した訳です。
今すべきは、小泉さんと正反対のことです。
・デフレ不況の脱却。そのための、一人年間100万円の政府紙幣給付など、思い切った需要サイドの拡大。
・教育や住宅、医療、介護などで、親の経済力や所属企業に左右されない様な、セーフティーネットの整備(滑り台社会からの脱却)
です。
もちろん、こうした政策をとっても潰れてしまう様な企業は退場は仕方がない。ブラックな条件しか労働者に提供できないなら当然です。
問題は、企業をブラックにせざるを得ない状況に追い込んだデフレ促進の緊縮財政、それから、ブラックにすることを可能にした規制緩和、そして、企業主義、保険料主義の古い日本のセーフティーネットのあり方です。
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時代によって、また国の発展段階によって、産業構造が変わるのは当たり前です。
戦前の日本は、繊維産業などの軽工業がどちらかといえば主体でした。もちろん、重工業もそれなりにはあったが、アメリカなど他の先進資本主義国には及ばなかった。
戦後は、重厚長大型産業が発展。自治体などもその誘致のために道路や港湾を整備するなどしてきた。
そして、しまいには、自動車などでは国際市場でアメリカを圧倒するにまで至った。
「構造改革」というのは、実をいえば真新しいことではない。より収入がいい産業に人が流れて行く。当然のことです。農村で人が減り、都市へ流れたのもそういうことでしょう。
しかし、1990年代後半以降の日本の「構造改革」を巡る議論が変だったのは以下の点です。
・政府が景気を刺激すると、生産性の低い企業が温存され、生産性の高い分野に人材が行かなくなる。
・だから、緊縮財政だ!不良債権処理「加速化」だ!
そして、「労働力の流動化」と称して、派遣法が緩和された。有期雇用も拡大された。
結果はなにが起きたか?
デフレにより、本来なら優良なはずの企業まで、経営が苦しくなった。企業は、正社員のリストラ、それから、派遣や有期雇用への切り替えで乗り切ろうとした。
大手企業は、それでも、下請けにしわ寄せして儲けを回復した。小泉さんによる為替介入により恩恵も受けた。
しかし、多くの企業は、潰れるか、あるいは「ブラック化」することで生き延びるのが精一杯ではなかったか?
労働者も、以前よりもブラックな労働条件で働くことで失業を免れるしかなかった。
本来、一時は痛みがあるけど、その後は良い収入が得られる、というのが構造改革のうたい文句でした。しかし、続くのは永遠の痛みでした。
地方の若者は、地方で仕事がないために「仕方なしに」、東京や名古屋、広島などの大都市で派遣や契約社員として働く様になった。こういうことが、小泉さんが2004年に地方交付税をカットして以降、起きました。
景気は良くてもダメな企業は淘汰されます。景気が良いときは、労働者は、いい収入の得られる企業に移って行きます。労働者にいい給料を出せない企業は優秀な人材を確保できず、競争に負けて行きます。
同じ企業の淘汰なら、景気が良い時に起きる淘汰のほうが良いのです。
また、非正社員を増やしたのに、セーフティーネットは相変わらず、正社員にしか恩恵が行かない様な仕組みを放置した。だから、極めて格差が拡大した訳です。
今すべきは、小泉さんと正反対のことです。
・デフレ不況の脱却。そのための、一人年間100万円の政府紙幣給付など、思い切った需要サイドの拡大。
・教育や住宅、医療、介護などで、親の経済力や所属企業に左右されない様な、セーフティーネットの整備(滑り台社会からの脱却)
です。
もちろん、こうした政策をとっても潰れてしまう様な企業は退場は仕方がない。ブラックな条件しか労働者に提供できないなら当然です。
問題は、企業をブラックにせざるを得ない状況に追い込んだデフレ促進の緊縮財政、それから、ブラックにすることを可能にした規制緩和、そして、企業主義、保険料主義の古い日本のセーフティーネットのあり方です。
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by hiroseto2004
| 2010-09-30 12:54
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