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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004
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どういう政治家にこそ敬意を払うべきか?

日本も民主党も、「成功体験」が変革を妨げ、焦りを招く

日本は高度成長期からバブルにかけて経済的に、極めて成功したように見えました。その残像が、年配の一定以上の地位の人には特に強烈に残っていると思います。

だが、なまじ、その成功体験が強すぎるために、その時代と同じような仕組みでなんとかなるだろう、という意識が特に年配のエライ人(政治家、官僚、財界人など)には強くあるように思われます。

そして、彼等は、ここまで貧困が広がっても、依然、貧困なのはその人の自己責任、という理屈で逃げ切ろうとしているようにおもえます。

そこまでの悪意がなくても、問題はある。

例えば、民主党は、政権獲得当初、低所得の家庭の子どもがどういう負担があって教育を受けにくくなっているか、想像ができなかったのではないか?

民主党の高校授業料無償化政策も、授業料無償化だけに留まれば、その謗りは免れない。幸い、民主党でも多くの議員が子どもたちの貧困問題に取り組もうとしてはいます。だが、新政権のスタート時点で、なぜ、低所得の家庭の子どもの問題にもっと配慮できなかったのか?という悔しさはわたしもあります。やはり、主には、中間層以上が基盤であった民主党の限界はそこにあった。やはり、バブル期くらいまでうまくいっていたように見えるシステムの受益者が支持基盤に多かった。

一方、庶民の暮らしは、デフレが続く中で、改善せず、失業率も悪化しています。お互い、他人のことをおもいやる余裕もなくなっている。さらに、NPOなど、新しい公共を民主党は重視しているが、一方で残念ながら、デフレの中で財政難のNPOも多いのです。

そうした中で、個人個人が孤立した状態になりがちです。そういう時代には、誰か叩きやすい人間を叩くような政治家が喝采を浴びがちです。例えば、名古屋市の河村たかし市長や、大阪府の橋下徹知事は、そういう傾向がある。プロが成功体験を捨てられぬ中で、素人くさい暴走を演出するのが、ウケるわけです。アメリカでいえば、ティーパーティーがそうです。自民党もダメ、民主党もダメ、という雰囲気がさらに広がれば、彼らが日本の政治で台風の目になるでしょう。

しかし、例えば河村たかし市長のいうとおりに市民税を減税しても、庶民には恩恵が少ないでしょう。
サービスの低下のリスクの方が庶民にとっては大きいのではないでしょうか?

一方で、このように、国内政治が不安定になったとき、権力を握っている側は、世の中の不安定さを見越して、無茶苦茶をやりたい誘惑に駆られることはある。特に、対外的にわざと緊張を高め、権力への求心力を高める手法は古今東西取られてきました。だが、それは、結局は亡国を招いたケースも多いのです。

刹那的に、何か叩きやすいものを叩いて溜飲を下げてもらうのは簡単です。

国外に敵をつくって求心力を高めるのも手っ取り早い。

しかし、こういう政治家は、勇気がある政治家とは言えないと思います。

国民生活を立て直そうとすれば、「自己責任論者」からの非難もあるでしょう。個別施策の実施に当たっては、施策の対象外となった人からも不満は出るでしょう。

例えば子どもへの施策は、子持ち家庭には支持されてもそうでない家庭にはウケないかもしれない。失業者への施策は、そうでない人の冷笑を買うかもしれない。それでも、やらねばならないのです。

また、デフレ脱却のため財政を出動させることにも、教条的な反対が多いのは確かです。マスコミが永年、財政赤字はけしからん、ばかりを言ってきたので仕方はないのですが。

刹那的な非難を浴びても、デフレを脱却し、国民生活を立て直す政治家。
弱腰と批判を浴びても、最終的には平和を維持できる政治家。


こういう政治家にこそ、敬意を払いたいと思います。というか、これだけできれば、まあ合格点ですよ。

そして、なるべく政治家をそういう方向に持って行かねばならないのです。
by hiroseto2004 | 2010-11-30 22:18 | 新しい政治をめざして | Trackback