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ヒロシマとフクシマ・・被爆医師・肥田舜太郎さんの講演 

http://www.isana.ne.jp/blog/archives/2011/04/post-33.php#primaryLIn

【 ISANAレポート 】 「被爆医師」肥田舜太郎さんの講演 

2011/04/30

広島での被爆体験を原点に、医師として生涯をかけて原爆被爆者の診療と内部被曝の実態究明に力を注いできた肥田舜太郎さんの講演会が4月23日、広島市中区の市まちづくり市民交流プラザで開かれ、主催した広島県保険医協会の関係者を中心に約70人が聞き入った。





肥田さんは1917年生まれの94歳。1944年に陸軍軍医学校を卒業し、軍医少尉として広島陸軍病院に赴任した。翌年、広島で被爆し、被爆者救援にあたってきた。全日本民医連理事、埼玉民医連会長などを歴任し、著書に『ヒロシマをいきのびて』(あけび書房)、ドキュメンタリー映画監督の鎌仲ひとみさんとの共著『内部被曝の脅威』などがあり、同監督の作品『ヒバクシャ―世界の終りに』には中心的な登場人物として出演している。


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広島にはいろいろ縁があるんですが、皆さんからお招きいただいたのは初めてだと思います。

私は広島の段原で生まれたらしいです。らしい、というのは、1年しかいなかったからよく覚えてないんです。父親が銀行員をしてまして、私が生まれてから1年で大分に転勤してしまい、軍隊で広島に来るまでは来たことがありませんでした。招集されて軍医になりまして、仲間はみんな方々に行ったんですが、どういうわけか私は広島の陸軍病院付になりまして、ちょうど爆弾が落ちる1年前の8月1日に赴任してきました。あの戦争中のことですから、ろくなことはできませんでしたが、それでも医者として戦地から帰ってくる兵隊を一生懸命治療しました。



まさかあの爆弾が落ちるとは夢にも思いませんでした。不思議だったのは、他の日本の都市がずっと空襲で焼け野原になっていたのに、広島だけは飛行機は来るのに爆弾は落ちなかったんです。病院にいますと空襲警報が鳴るたびに看護婦さんが70キロもあるじっとして重たい兵隊を担架に乗せて、二階からそろそろ降りて庭に掘ってある防空壕に入れます。これは体力に自信のある人でないと、一回やるともう腰がたたないくらい重労働です。それを朝から晩まで何回もやらされるから、看護婦はへたばっちゃう。爆弾が落ちれば緊張しますけど、いっぺんも落ちませんから、そのうち空襲警報が鳴って「退避!」と言っても防空壕の入口まで行くと担架を置いて寝転がっちゃう。そういう状態が続いていました。



ところが8月6日の朝、空襲警報が鳴って、そのあと解除になり、みんなが壕から上がってしばらくしたらいきなり落ちた。8時15分という時間きっかりに落とせ、というのが命令だったそうです。エノラ・ゲイは予定より少し早く着いたので、岡山の方まで飛んで行って時間を稼いで回って帰ってきた。最初行った時には空襲警報が鳴ったのに帰ってきたときには鳴りませんでした。

あれをずっと調べてみますと、8時15分に落とすというのは、広島の人間と周りから出勤してくる人間が遮蔽物のない表にいる時間を毎日、写真に撮って調べて決めたようです。兵隊は食後の体操で外に出ているし、一般人も通勤や通学でみんな外に出ていて遮蔽物がなく、放射線にじかに当たるような時間を知っていて、完全に人体実験だったということです。



そんなことがあって、私はもともと軍人でしたから、アメリカが憎かったです。最初、皮膚がドロドロになった人を診ていた時は感覚が麻痺していますから、人間という感じじゃなくて、機械的に応急処置していました。12月までずっといましたが、私が応急処置した人で一人も生きた者はいませんでした。私は広島で何千人診たかわかりませんが、誰一人助けることができなかったというのが正直なところです。



私が被爆者の問題に首を突っ込むようになったのは、広島を離れて方々で仕事をしたんですが、私が広島出身だということを伝え聞いて、そっちの方に逃げていた患者が「お医者さんにまともに診てもらえない」とやってくるようになったからです。米軍が「被爆者の症状は全部軍事機密で、他人に教えてもいかん、書いてもいかん」と言った。だから広島にいた人も故郷に帰った人もその枷に縛られて大変ひどい目にあったんです。

田舎に帰って皆に喜ばれ、仕事をしようと思っていると必ず道の角に刑事が立つという人もいました。米軍はそこまで手を回して原爆の実際の被害の模様が周りに知れ渡るのを厳重に管理しました。私の所にはいっぱい被ばく者が来ますから、憲兵ににらまれて二度、逮捕されました。反米活動のにおいがあるというのが名目でした。







放射線の影響をはっきり診断できる医学は現在もない




一番印象に残っているのは内部被曝です。火傷も何もない。聞いてみれば親を探して原爆の翌日、広島に入っただけで「先生、私はピカを浴びてないよ」と言うんです。そうはいってもやっぱり病気が出てきて、しかもその病気は私が今まで習ってきたような病気と呼べるような欠陥的な症状を見つけられないし、検査データがまったく出ないのが特徴でした。ですから他のお医者さんの所へ行った人はみんな「お前は病気じゃない」とか、昔の言葉で「神経衰弱だ」と言われた。治療法ももちろんありません。

現在もまだ、外部被曝であれ、内部被曝であれ、放射線の影響についてはっきり診断する医学はないんです。原子力発電所で事故が起こって被害を受ける労働者がいます。いくら検査してもカルテにちゃんとここがこういう風に悪いと書くことができない。いま東北にいる人たちの中からもう数ヶ月たつとたくさん初期症状が出てくると思います。それを診てこれを「放射線のせいだ」といえるお医者さんは日本には一人もいないんです。教育もありません。福島の原発事故で、あのあたりの人は山陰などにもたくさん避難して来てるんですが、その人たちがお医者さんに行きますと、医療機関から「うちには専門家がいませんから」と断られています。民医連でさえ断る状態になってしまっているんです。



今回の被曝は全部内部被曝です。テレビに出てくる専門家の顔をしている人たちは放射線が体にどういう影響を与えるか、誰も知らない。一人も医者はいませんから。みんな、原発を作る側で働いてきた学者なんです。だから放射線については明るいですが、これが人間にくっついたらどうなるかは全く知りません。とくに内部被曝についてはアメリカが一面的な宣伝をしていったために、あとを引き継いだ厚生省(現厚生労働省)が「内部に取り込んだ放射線は微量だからまったく害がない」ということをいまだに言っています。

(広島、長崎で相次いで「原告勝訴」を勝ち取った)原爆症認定集団訴訟で争ったのはその点です。内部に入った方が怖いんだ、ということを私たちは経験やいろんな文献を使って談判しました。残念ながら、日本で内部被曝について本を書いた人は一人もいません。私が訳した5冊は全部アメリカやスイスの学者で、よく調べている。私が知らないところまでどんどん研究が進んでいます。ですから、内部被曝は外国では当たり前の、普通の症状になっています。



今回、いろんな人が私の所にインタビューに来ました。外国ではアメリカ、ドイツ、フランスが来ました。みんな日本の駐在員ですが、その人たちは、3月11日のことがあってすぐに本国の本社から「東京から離れて大阪まで逃げろ」と言われたそうです。アメリカの場合は80キロ以遠に逃げろと言っている。つまり内部被曝の恐ろしさをよく知っていて、自分の国民はよく教育している。日本人には2キロ以内で爆弾を浴びなければ大丈夫と言っているのに。

私たち日本人は黄色い色をした下等な人間で、生意気にもパール・ハーバーを襲撃して爆弾を落としたから、爆弾で仕返しをされるのは当たり前と思われています。核兵器を持っている連中は我々を人間だとは思っていません。それに腹が立って、一生、この被害を調べ、一度、彼らを謝らせたいというのが私の生きている理由です。



広島にはたくさん被ばく者がいますが、ブラブラ病について身にしみて聞かれた方はおられないだろうと思います。これは説明しようと思ってもしきれないです。私は何千人も診ましたから今はよくわかりますけど、その私でも原爆から30年後にアメリカに行って初めてわかりました。病名もつかない、何の病気だかわからない、共通点は原爆のあと広島に入ったということだけ。でも何かあったに違いない、と。私はピカをよく知っていますが、何でピカにあっていない人がこういう症状になるのか、まったく分からなかった。わからないで患者を診ると言うのは悲しいことですよ。アメリカでは核実験の被害を受けた兵隊がブラブラ病とまったく同じ症状で食うや食わずの生活をしていました。病気じゃないと言われ、働くこともできず、すごい貧乏で、私が診てきた日本のブラブラ病と同じなんです。そういう人がいっぱいいました。



日本では核分裂に参加しなかったウランやプルトニウムの分子が空中に舞い上がり、それが雨の粒にとらえられて、いわゆる黒い雨として降ってきて、それにあたると病気になると被ばく者が騒ぎ出した。みんな黒い雨はよく知っているけれど、雨にならなかったほこりを知らずに吸い込んだり、水で飲んだり、畑の野菜にくっついたものを食べました。ウランやプルトニウムの分子が体内に入り込んで、外からピカにあったメカニズムとはまったく違うメカニズムで人間の体を侵していくんです。



その最初の軽い症状がブラブラ病だったんです。ブラブラ病とは一度患者に会えばなるほどと思うかもしれませんが、要するにだるいだけなんです。どこが悪いの?と聞くと「かったるくて、かったるくて、動けないんです」と言う。我々は疲労感やだるいっていうのはわかります。でも、それだけで医者に来るなんて普通は考えられない。でも本人はそれしかないって言うんです。最初は下痢などの症状がありますが。

農家の方が一番わかりやすいんですが、畑に行くと30分も作業するとだるくて立っていられなくなり、帰ったまま横になって起きてこない。人によって症状の出方も違って、ぜんそくみたいに4,5日発作のようにだるさが起こって動けなくなり、回復して1ヶ月くらい働くとまた症状が出て動けなくなる会社員もいました。当然、まともに働けないから会社をクビになっちゃう。



一人だけ、こんなだるさがあるのか、と思う人がいました。原爆から十数年たったころ、遠くからわざわざ私の診療所に来た人です。被爆者は受付で絶対手帳を出しません。私の前まで来て初めて、私の目を見て「先生はたくさんの被ばく者を診られた肥田先生ですね」と聞き「そうです」と答えると初めて手帳を見せるんです。

私はまず被曝した時の状況を聞きます。ピカを浴びたかどうか、あとから広島に入ったなら、原爆投下から何日後にどこに入ったのか、被曝した地点を聞きます。その人はそういう話をしながら、少したつと「先生ごめんよ」と言いながらほおづえをつくんです。そのうち座ってるのがきついからと、椅子から降りてあぐらをかいちゃった。最後にはそれもきつくなって寝てしまいました。初めて来た医者の前でそういう姿勢をとらなくちゃならないだるさなんて、私は経験したことがないからわからない。嘘をついてるとは思えない。それが彼らのだるくて仕方がないということの本体だと初めてわかりました。

彼らはみんな田舎に帰って、分家の人などだと本家の人などから「広島から帰ってから、あいつは怠けものになって畑に出ない」と言われ、一族の中で怠け者になってしまう。そのうち仮病だとまで言われ出す。医者にも「あんたは病気じゃないよ」と言われる。何人もの医者にそう言われて来たという人がいました。



放射線が非常に緩慢な形で人間の体を壊しながら、最後はひどい死で終わる。衰弱を重ねて寝たきりになって死ぬ人も少ないけれども出ました。内部被曝の症状は診たところ軽そうでも決して馬鹿に出来ないと思います。私は民医連の仲間にも、自分の住んでいる場所の医師会の仲間にもその話を何度もしました。先生方は「また始まった」と言う。自分は見たことも聞いたこともなく、アメリカが「何でもない」って言ったことはよく知っていますから、私が大げさにしゃべっているととらえてまともに聞いてくれなくなっちゃった。アメリカの学者が書いた本を訳してポケットマネーで30冊、50冊作っては仲間に配りました。それがだんだん回っていって肥田っていうのは内部被曝の気ちがいだと言われるようになりました。



しかし今、知らないで水を飲んだり、知らないでご飯を食べたりして放射性物質が蓄積して症状を出していくというメカニズムが、ある一部の人が進めているだけですが、ちゃんとした学問として出てきている。そうでないという側の学者も医者も、内部被曝の病気について全然説明が出来ないんです。基本は「アメリカが言ったから」というだけのことです。

日本人は世界で初めて戦争の最中に殺す目的で原爆を落とされて、22万人足らずの人が殺された。それはその年の暮れまでの話です。その後、死んできた数はもっともっと増えているはずです。生き残っているのはついこの間まで20万人でしたが19万人から18万人に減りつつある。ここ数年の間にまだまだ減っていくでしょう。広島で当時被爆してまだ現役でやっている医者がいると聞きましたが、私が訪ねてきたと言ったら「来てくれるな。私は寝たきりで人に会えないし、原爆のことを人に話すのは死んでもいやだ」と断られました。今生きておられるかはわかりません。だから当時、被曝した人に聴診器をあて、手当をやってきた医者は僕一人になったようです。長崎の方はわかりませんが、おられても私より年上でしょう。当時私は28歳でした。


Speach of Dr.Hida.jpg






「わからない」は恥じゃない




今日は皆さんにお願いに来ました。これから東北の人たちは散り散りになって全国の遠縁の所を頼っていきます。現にたくさんおられます。東北で微量であれ何であれ放射性物質の影響を受けて疎開をしなくちゃならなかった人が来るわけです。ところが、その人たちを皆さん方が今の医学の水準で一生懸命ごらんになってもこういう悪い所があったとカルテに書けるようなことはないんです。自分が話を聞いた症状しかない。そういう病気なんです。それを病人として扱って、本人に元気を持たせて自分が戦って生きるという根性を作ってやるのが一番、医師が役割を果たせることです。

「わからん」と言ってくれれば一番いいんです。「私にはあなたの病気がまだわからないよ。学校でも習わなかったし、今の日本では教えてないんだよ」と。「私の診たところ、あなたは病気ではありません」と言っちゃう先生がいっぱいいるんです。自分の知らない病気は世の中にないんだって顔をするんだが、知らない病気なんてまだいっぱいあるんです。知ってる病気の方が少ないくらいです。だから、それだけは慎んでいただきたい。そして苦しんでいる本人に力を付けて「みんな困っている、だけど生きるのはあなただから、気を強く持って、放射線に負けないで、頑張って生きようね」という励ましをしていただきたい。こういう治療をしなさいというのは何にもありません。

アメリカでは似たような病気で苦しんでいる人が新しく出てきました。慢性疲労症候群という名前を付けていますが、寝たきりで病気とも診断できない。政府の発表では400万人もいるという。私はこれはアメリカの「ヒバクシャ」だと思っています。アメリカの原発と、核兵器をつくるためのいろんなところで放射線を出しっぱなしにしていますから。



でも証拠があげられません。病名がわからないと医者がみんな言うから、一つの原因として放射線を考えてくださいということは言ってきました。でもまだそういう雰囲気にならない。私は今年の暮れから年を越すとあっちでもこっちでもいろんな訴えをする人が出てくると思います。早い人は(4月)17日の夜、私に連絡してきました。白河の西郷村というところの若い奥さんが5歳の子どもがいて、地震のときにすぐ親戚を頼って九州に行ったが、4月7日に帰ってきた。家でいろいろやっていたら5歳の坊やに下痢が始まり、しばらくして自分にも下痢がはじまった。私が書いた本の中に「初期症状として下痢がおこる」とあったものだからてっきりそうだと思いこんで、出版社の社長に電話して、社長さんから私を紹介してもいいかと電話がありました。本人がかけてきて切々と訴えるんです。「わたしはどうも放射線のせいだと思うがどう思うか」と。うっかりした事を言うとパニックになります。証拠がないから。とにかくあなたの近所で万一の場合は入院のできる病院を探してくださいと言いました。その後、白河にある大きな病院に行き、先生も「放射線との関係はわからないけれども、こういう時期だから、大事にした方がいい。もう一度いらっしゃい」と親切に扱ってくれたそうです。



放射線被害を受けた患者についてはアメリカでもカナダでも、誰が診断しても、細胞まで診ても全然それについての論文がない。今の医学は細胞病理学、つまり人間の最小単位は細胞であるというところに基礎を置く医学です。ところが放射性物質は細胞ではなくて直径1ミリの仁丹の粒、その60億分の1というのが分子の大きさなんです。これが体内に入って酸素分子や水素分子など似たような大きさの分子と作用して変化を起こす。分子間の取引なので今の医学には想像するしか手がない。幸いに遺伝子問題などを通じてそこに足がかかり始めている。しかし、放射線の人体に与えるメカニズムを解明するまでには至っていません。

「わからない」とおっしゃっても恥でも何でもない。できるだけ本人が立ち直って気力を出して、人一倍健康に気を配って生き延びるように励ましてあげてほしいんです。晩発性の障害は成人病が出てくるころから出てくる。被曝を経験した人には必ず、毎年一回、成人になった時代から全身の精密検査を受けてほしい。特に大腸や胃、甲状腺の検診を勧めてください。できるだけ早期に変化を見つけて対応するよりほか手はありません。皆さんのお力でこういう話を広げてほしい。いつどこでどなたがなるかわかりませんから。



私が広島にきた一番大きな目的は、私が一人で電話取ってやったってどうにもならないから、広島の被爆者の中で意志のある人に協力してもらうためです。私から話すより、実際被ばくにあった人から「私もそういう経験あるけど治って元気にやってるよ」と話してもらって安心させてほしい。自分はどうやって生きたかってことを話してあげてほしいという相談で来たんです。被曝者がこれからじかに役に立てるとすれば相談を受けて、自分が苦しんだ経験を話して「でも俺はこうやって70何歳まで生きてるから、心配しなくていいよ」って、被爆者に言われれば一番安心するわけです。そう思ってお願いに来たんです。


(講演おわり)



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by hiroseto2004 | 2011-05-08 21:18 | 東日本大震災 | Trackback