竪川河川敷公園で何が起こっているの?―江東区の嘘に反論します!
2012年 02月 16日
(転送転載歓迎)
竪川河川敷公園で何が起こっているの?―江東区の嘘に反論します!
2012年2月11日付けの江東区報1面に掲載された記事「竪川河川敷公園を一部閉鎖中」には、竪川河川敷公園に暮らす野宿者やその支援者に対する悪意と偏見に満ちた誤情報が多く含まれていました。私たちはこのことを深刻に受け止め、強く抗議し反論したいと思います。野宿の仲間たちがどのような状況に置かれてきたのか、江東区が何をしてきたのか、1人でも多くの方に知っていただければと切に願います。
『平成18年より野宿者へ工事説明および相談活動開始』について
●一方的な排除通告から始まった工事
竪川河川敷公園改修工事について野宿の仲間たちが初めて知ったのは2006年。区報を見ると、区はこのときから工事説明や相談活動など真摯な対応を長年続けてきたかのようにうたっています。しかし当初、区は仲間たちへの説明や話し合いを拒否し、紙切れ一枚で立ち退きを迫ってきました。強引な姿勢でことを押しきろうとした区は結局、この時の工事計画を中止せざるを得なくなりました。そして2007年3月、仲間たちの前で「野宿者排除はしない」「(工事を行う際は)話し合いをする」と約束し、事態はいったん収束したのです。
●野宿者は工事に協力してきた
しかし2009年、工事計画は再開され、仲間たちは再び工事の「お知らせ」と称して立ち退きを求められました。2007年3月に「(工事を行う際は)話し合いをする」という言われていましたが、以来、この時に至るまで区から工事の話は一切ありませんでした。しかし仲間たちは区が「野宿者排除はしない」と明言していたため、工事そのものには反対せず、話し合いをしながら協力していくことにしたのです。
『改修工事に際し、現在整備工事中の五之橋の西側にテント等を設置し生活していた路上生活者に対し、区ではテント等の自主撤去や、区が指定する場所への移動等を再三勧告』について
●2010年「区の指示」により五之橋西側に集住
工事が本格化してきた2010年、多くの仲間たちが暮らす旧亀島橋~五之橋エリアが全面的に工事区域とされることになりました。このとき仲間たちは区の指示によって五之橋西側の一角に集住する形で移転させられました。不安を訴える仲間たちに対し区は「次の工事が始まるまでの数ヶ月間、皆さんと膝詰で話し合っていく」と答え、話し合いの合意にいたらなかったとしても強制的な手段はとらないと約束しました。
●裏切られた約束、繰り返された暴力
「膝詰で話し合っていく」はずの数か月間は区から何ら具体的提案のないまま過ぎていきました。そして2010年度工事直前、区は竪川河川敷公園の東側、丸八通~番所橋通のエリアへ移転を求めてきました。これが区報に言われる「区が指定した場所」です。しかし、その場所も1年後には工事区域となり再び立ち退きが迫られることがわかっていました。区はその先の見通しを一切示そうとしないばかりか、「工事完了後は野宿者をゼロにする」と公言していることが発覚。
仲間たちがこの提案を断ると、区は新たな提案を検討することも、話し合いを継続することも放棄し、戸別訪問によって立ち退きの圧力をかけたり、ガードマンを巡回させ早朝深夜に嫌がらせを行ったり、課長自らが「お前ら俺をばかにしているのか」などやくざまがいの態度で仲間を恫喝したりという方法で、次々と仲間たちを立ち退かせていきました。そして最終的に残った仲間たちに対し行政代執行の手続きが開始されたのです。
区は自らの指示で五之橋下に野宿の仲間たちを集め、「話し合いをする」「強制的なことはしない」という言葉で信用させておきながら、工事が差し迫るやその約束をいともたやすく覆し牙をむいてきました。このような嘘と暴力を目の当たりにして、再び区の指定する場所に移転することなどできるでしょうか。
『テント等での生活を余儀なくされている事情にかんがみ「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」を踏まえて、生活の相談、自立のための施設入所の相談、住宅への入居の支援等を積極的・継続的に行ってきた』について
●行われたのは差別と欺瞞に満ちたアパート事業
2009年に工事計画が始まった際「竪川河川敷公園路上生活者対策事業」という区独自の支援策が明かされました。民間アパートを1年間無料で提供するという内容で、実情を知らない人が聞けば手厚い支援のように思われるかもしれません。
しかし、実際は一般のアパート生活とは掛け離れた無権利な条件を突き付けられました。例えばアパートに住めるのは1年限りで更新なしの定期借家契約。それも本人と家主の間には契約関係はなく、区から事業を受託した業者が家主と契約する形です。区職員や業者が本人不在時に勝手に入室しても良いという同意書を書かされ、実際に部屋に入り込まれた仲間もいました。生活が立ち行かなくなり生活保護を申請したところ「事業利用者である」という理由で申請そのものをもみ消されたという事件も起こりました。「ホームレスに部屋を与えてやるだけありがたいと思え」と言わんばかりの差別的まなざしが透けて見える上、1年後には再び野宿に戻るしかないこの事業、利用実績はほとんどありませんでした
。2010、11年度にいたっては事業説明すらされていません。
毎年2000万円近い税金を使って野宿者の生活のためにならない事業を行い、福祉利権に群がる受託業者を肥え太らせ、「江東区は野宿者の人権に配慮している」という対外的アリバイを作ろうとしている。これが実態です。
●支援策が野宿者排除の道具として使われてきた歴史
「ホームレス自立支援法」は2002年に成立し、以後、大都市などを中心にこの法に基づく自立支援施策などが展開されました。東京では自立支援事業や地域生活移行支援事業などという形で運営されてきました。
しかし、これらは実際、多くの人々を野宿にいたらしめた失業・不安定雇用などの根本的な社会構造を見直すことなく、単に野宿者を一時的に施設または住宅に収容し、あとは個々人で努力せよというお粗末なもので、多くの仲間たちはこれを利用しても再び野宿状態に戻るか、野宿ギリギリの生活困窮状態を余儀なくされます。この過程で、野宿生活を支え合ってきた仲間たちとも分断・孤立させられ、テントや小屋も失い、施策を利用する前よりも劣悪な状況に追い込まれる人も少なくありません。
このような行政施策は、厳しい社会経済情勢を背景に貧困が増大し、次々と仕事や住まいを失う人々が生み出されている現状、ほとんど無意味であると言わざるを得ません。それどころか、これらの施策は全国各地で野宿者排除の道具として利用されてきました。行政はこの施策を理由に「支援を行った」「人権に配慮した」などと主張し排除を正当化してきました。多くの仲間たちは「行政の支援を拒んで居座っている」「わがまま」「怠け者」と批難を受け二重三重に差別されてきました。本来、生活に困窮する人々、野宿する人々の暮らしを支えるために講じられるべき施策が、まったく支援にならないばかりか、逆に野宿者の人権侵害を助長し苦しめるために使われているのは明らかに間違っています。
●テントや小屋こそが命をつないできた
野宿の仲間たちの多くは、建設、土木、製造などの現場で長年働き、この社会を根底から支えてきた仲間たちです。日雇いなどの不安定・無権利な立場ゆえに、景気の変動や産業構造の変化によっていともたやすく使い捨てられ、福祉施策からも切り捨てられ、自力で生き抜いてこなければなりませんでした。路上にたたき出され、生きるか死ぬかの極限の状況のとき、行政も企業も市民社会もすべてが彼らを見殺しにしたとき、その命をつないできたのはテントや小屋を建てること、アルミ缶集めなど自前の仕事で収入を得ること、仲間同士で支え合い暮らすことでした。
行政が行おうとしている支援は、野宿の人々の生活を支えるためのものではなく、彼らの命をつないできた確かなものを奪い、その生き方や文化を否定し、尊厳を踏みにじるものです。行政は目の前にあるテントをなくすことばかり見ていて、その人を見ていません。テントをなくすということは、人々を搾取し貧困のただ中に叩き落とすような社会の矛盾を覆い隠そうとするものです。そして、一度見殺しにした人間を行政や資本の管理下に置き、再び安価な労働力として回収しようというものです。
『テントが自主撤去されなかったため、区は、今年1月12日には都市公園法に基づく除却命令、1月20日には行政代執行法に基づく戒告を行いました。しかし、数件のテント所有者が区の要請を拒み、現在、整備完了済みの多目的広場へ移動』について
●工事に支障のない場所へ移転したのに続く嫌がらせ
行政代執行手続きの開始を受け、五之橋西側に暮らす野宿の仲間たちの多くは、役所の強制立ち退きによってテントが破壊されるのを避けるために、2012年1月21日、工事の支障とならないエリアへの移住を行いました。ところが、移ったその夜にさっそく、30名近くの警官とガードマン、江東区の職員による嫌がらせがあり、その日から何度も、役所によって追い出しのための嫌がらせが続きます。1月27日には、100名のガードマンと 江東区役所の職員を動員して、抗議する人々に対して殴る、蹴る、引きずる、逆さ吊りにするなどの暴力によって、多数のけが人を出しながらフェンス設置を強行。それ以来、公園の西側三分の一は封鎖されてしまいました。
現在、新しく移転したテントに住む人々は、生活のためにアルミ缶や古紙集めを行うためのリヤカーが通っていた道も通ることができず、水場にも行けない。さらに24時間ガードマンにビデオで撮られて監視下に置かれる。というような、苦しく異常な状況が続いています。江東区は、まるで野宿する仲間に「死ね」と言うかのような、著しい人権侵害状況を、ただちに解除するべきです。
五之橋西側の人々が移った先は、もうすでに工事が終了した部分です。区が求めていたのは「工事を進めるための移転」でしたから、新しい場所にテントを移転した人々に対して区が働きける必要はもはや、ないはずです。にも関わらず、執拗な追い出しのための嫌がらせをやめないのは、竪川河川敷公園で行われている工事が、そもそも「野宿者追い出しを目的とした工事」だったということを、江東区自らが白状しているということにほかならないのではないでしょうか?
●2月8日行政代執行─江東区による暴力の数々
2月8日には、代執行の対象とされたエリアに一軒だけ残った小屋が破壊・撤去されました。その小屋でその日の朝まで暮らしていたAさんは、若いころから港湾の倉庫作業を20年以上もしてきた人です。食料、衣類、惣菜などの倉庫でフォークリフトや玉掛けなどの作業をこなしてきましたが、仕事が少なくなって会社がつぶれ、20年前から野宿するようになりました。 竪川での暮らしは15年以上。60才を越え体の具合があまりよくないAさんは、代執行の期限が迫っていることを気にしなが ら、毎日移動のため荷物の整理をしていました。
竪川河川敷公園で何が起こっているの?―江東区の嘘に反論します!
2012年2月11日付けの江東区報1面に掲載された記事「竪川河川敷公園を一部閉鎖中」には、竪川河川敷公園に暮らす野宿者やその支援者に対する悪意と偏見に満ちた誤情報が多く含まれていました。私たちはこのことを深刻に受け止め、強く抗議し反論したいと思います。野宿の仲間たちがどのような状況に置かれてきたのか、江東区が何をしてきたのか、1人でも多くの方に知っていただければと切に願います。
『平成18年より野宿者へ工事説明および相談活動開始』について
●一方的な排除通告から始まった工事
竪川河川敷公園改修工事について野宿の仲間たちが初めて知ったのは2006年。区報を見ると、区はこのときから工事説明や相談活動など真摯な対応を長年続けてきたかのようにうたっています。しかし当初、区は仲間たちへの説明や話し合いを拒否し、紙切れ一枚で立ち退きを迫ってきました。強引な姿勢でことを押しきろうとした区は結局、この時の工事計画を中止せざるを得なくなりました。そして2007年3月、仲間たちの前で「野宿者排除はしない」「(工事を行う際は)話し合いをする」と約束し、事態はいったん収束したのです。
●野宿者は工事に協力してきた
しかし2009年、工事計画は再開され、仲間たちは再び工事の「お知らせ」と称して立ち退きを求められました。2007年3月に「(工事を行う際は)話し合いをする」という言われていましたが、以来、この時に至るまで区から工事の話は一切ありませんでした。しかし仲間たちは区が「野宿者排除はしない」と明言していたため、工事そのものには反対せず、話し合いをしながら協力していくことにしたのです。
『改修工事に際し、現在整備工事中の五之橋の西側にテント等を設置し生活していた路上生活者に対し、区ではテント等の自主撤去や、区が指定する場所への移動等を再三勧告』について
●2010年「区の指示」により五之橋西側に集住
工事が本格化してきた2010年、多くの仲間たちが暮らす旧亀島橋~五之橋エリアが全面的に工事区域とされることになりました。このとき仲間たちは区の指示によって五之橋西側の一角に集住する形で移転させられました。不安を訴える仲間たちに対し区は「次の工事が始まるまでの数ヶ月間、皆さんと膝詰で話し合っていく」と答え、話し合いの合意にいたらなかったとしても強制的な手段はとらないと約束しました。
●裏切られた約束、繰り返された暴力
「膝詰で話し合っていく」はずの数か月間は区から何ら具体的提案のないまま過ぎていきました。そして2010年度工事直前、区は竪川河川敷公園の東側、丸八通~番所橋通のエリアへ移転を求めてきました。これが区報に言われる「区が指定した場所」です。しかし、その場所も1年後には工事区域となり再び立ち退きが迫られることがわかっていました。区はその先の見通しを一切示そうとしないばかりか、「工事完了後は野宿者をゼロにする」と公言していることが発覚。
仲間たちがこの提案を断ると、区は新たな提案を検討することも、話し合いを継続することも放棄し、戸別訪問によって立ち退きの圧力をかけたり、ガードマンを巡回させ早朝深夜に嫌がらせを行ったり、課長自らが「お前ら俺をばかにしているのか」などやくざまがいの態度で仲間を恫喝したりという方法で、次々と仲間たちを立ち退かせていきました。そして最終的に残った仲間たちに対し行政代執行の手続きが開始されたのです。
区は自らの指示で五之橋下に野宿の仲間たちを集め、「話し合いをする」「強制的なことはしない」という言葉で信用させておきながら、工事が差し迫るやその約束をいともたやすく覆し牙をむいてきました。このような嘘と暴力を目の当たりにして、再び区の指定する場所に移転することなどできるでしょうか。
『テント等での生活を余儀なくされている事情にかんがみ「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」を踏まえて、生活の相談、自立のための施設入所の相談、住宅への入居の支援等を積極的・継続的に行ってきた』について
●行われたのは差別と欺瞞に満ちたアパート事業
2009年に工事計画が始まった際「竪川河川敷公園路上生活者対策事業」という区独自の支援策が明かされました。民間アパートを1年間無料で提供するという内容で、実情を知らない人が聞けば手厚い支援のように思われるかもしれません。
しかし、実際は一般のアパート生活とは掛け離れた無権利な条件を突き付けられました。例えばアパートに住めるのは1年限りで更新なしの定期借家契約。それも本人と家主の間には契約関係はなく、区から事業を受託した業者が家主と契約する形です。区職員や業者が本人不在時に勝手に入室しても良いという同意書を書かされ、実際に部屋に入り込まれた仲間もいました。生活が立ち行かなくなり生活保護を申請したところ「事業利用者である」という理由で申請そのものをもみ消されたという事件も起こりました。「ホームレスに部屋を与えてやるだけありがたいと思え」と言わんばかりの差別的まなざしが透けて見える上、1年後には再び野宿に戻るしかないこの事業、利用実績はほとんどありませんでした
。2010、11年度にいたっては事業説明すらされていません。
毎年2000万円近い税金を使って野宿者の生活のためにならない事業を行い、福祉利権に群がる受託業者を肥え太らせ、「江東区は野宿者の人権に配慮している」という対外的アリバイを作ろうとしている。これが実態です。
●支援策が野宿者排除の道具として使われてきた歴史
「ホームレス自立支援法」は2002年に成立し、以後、大都市などを中心にこの法に基づく自立支援施策などが展開されました。東京では自立支援事業や地域生活移行支援事業などという形で運営されてきました。
しかし、これらは実際、多くの人々を野宿にいたらしめた失業・不安定雇用などの根本的な社会構造を見直すことなく、単に野宿者を一時的に施設または住宅に収容し、あとは個々人で努力せよというお粗末なもので、多くの仲間たちはこれを利用しても再び野宿状態に戻るか、野宿ギリギリの生活困窮状態を余儀なくされます。この過程で、野宿生活を支え合ってきた仲間たちとも分断・孤立させられ、テントや小屋も失い、施策を利用する前よりも劣悪な状況に追い込まれる人も少なくありません。
このような行政施策は、厳しい社会経済情勢を背景に貧困が増大し、次々と仕事や住まいを失う人々が生み出されている現状、ほとんど無意味であると言わざるを得ません。それどころか、これらの施策は全国各地で野宿者排除の道具として利用されてきました。行政はこの施策を理由に「支援を行った」「人権に配慮した」などと主張し排除を正当化してきました。多くの仲間たちは「行政の支援を拒んで居座っている」「わがまま」「怠け者」と批難を受け二重三重に差別されてきました。本来、生活に困窮する人々、野宿する人々の暮らしを支えるために講じられるべき施策が、まったく支援にならないばかりか、逆に野宿者の人権侵害を助長し苦しめるために使われているのは明らかに間違っています。
●テントや小屋こそが命をつないできた
野宿の仲間たちの多くは、建設、土木、製造などの現場で長年働き、この社会を根底から支えてきた仲間たちです。日雇いなどの不安定・無権利な立場ゆえに、景気の変動や産業構造の変化によっていともたやすく使い捨てられ、福祉施策からも切り捨てられ、自力で生き抜いてこなければなりませんでした。路上にたたき出され、生きるか死ぬかの極限の状況のとき、行政も企業も市民社会もすべてが彼らを見殺しにしたとき、その命をつないできたのはテントや小屋を建てること、アルミ缶集めなど自前の仕事で収入を得ること、仲間同士で支え合い暮らすことでした。
行政が行おうとしている支援は、野宿の人々の生活を支えるためのものではなく、彼らの命をつないできた確かなものを奪い、その生き方や文化を否定し、尊厳を踏みにじるものです。行政は目の前にあるテントをなくすことばかり見ていて、その人を見ていません。テントをなくすということは、人々を搾取し貧困のただ中に叩き落とすような社会の矛盾を覆い隠そうとするものです。そして、一度見殺しにした人間を行政や資本の管理下に置き、再び安価な労働力として回収しようというものです。
『テントが自主撤去されなかったため、区は、今年1月12日には都市公園法に基づく除却命令、1月20日には行政代執行法に基づく戒告を行いました。しかし、数件のテント所有者が区の要請を拒み、現在、整備完了済みの多目的広場へ移動』について
●工事に支障のない場所へ移転したのに続く嫌がらせ
行政代執行手続きの開始を受け、五之橋西側に暮らす野宿の仲間たちの多くは、役所の強制立ち退きによってテントが破壊されるのを避けるために、2012年1月21日、工事の支障とならないエリアへの移住を行いました。ところが、移ったその夜にさっそく、30名近くの警官とガードマン、江東区の職員による嫌がらせがあり、その日から何度も、役所によって追い出しのための嫌がらせが続きます。1月27日には、100名のガードマンと 江東区役所の職員を動員して、抗議する人々に対して殴る、蹴る、引きずる、逆さ吊りにするなどの暴力によって、多数のけが人を出しながらフェンス設置を強行。それ以来、公園の西側三分の一は封鎖されてしまいました。
現在、新しく移転したテントに住む人々は、生活のためにアルミ缶や古紙集めを行うためのリヤカーが通っていた道も通ることができず、水場にも行けない。さらに24時間ガードマンにビデオで撮られて監視下に置かれる。というような、苦しく異常な状況が続いています。江東区は、まるで野宿する仲間に「死ね」と言うかのような、著しい人権侵害状況を、ただちに解除するべきです。
五之橋西側の人々が移った先は、もうすでに工事が終了した部分です。区が求めていたのは「工事を進めるための移転」でしたから、新しい場所にテントを移転した人々に対して区が働きける必要はもはや、ないはずです。にも関わらず、執拗な追い出しのための嫌がらせをやめないのは、竪川河川敷公園で行われている工事が、そもそも「野宿者追い出しを目的とした工事」だったということを、江東区自らが白状しているということにほかならないのではないでしょうか?
●2月8日行政代執行─江東区による暴力の数々
2月8日には、代執行の対象とされたエリアに一軒だけ残った小屋が破壊・撤去されました。その小屋でその日の朝まで暮らしていたAさんは、若いころから港湾の倉庫作業を20年以上もしてきた人です。食料、衣類、惣菜などの倉庫でフォークリフトや玉掛けなどの作業をこなしてきましたが、仕事が少なくなって会社がつぶれ、20年前から野宿するようになりました。 竪川での暮らしは15年以上。60才を越え体の具合があまりよくないAさんは、代執行の期限が迫っていることを気にしなが ら、毎日移動のため荷物の整理をしていました。
by hiroseto2004
| 2012-02-16 12:17
| ジェンダー・人権(反貧困)
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