飯館村の村上真平さん講演会
2012年 04月 22日
飯館村の村上真平さんの講演会が今日広島YMCAホールでありました。
村上さんは、2011年3月11日は、研修生と一緒に、家を建て終えた日でした。
棟上げを済ませ、屋根にくぎを打っているその時、大震災が発生。
ただ、飯館村は揺れによる被害はあまりなかった。物が倒れたり、瓦が落ちる程度でした。
これなら、大丈夫と安心していたら、福島第一原発の1号機が非常用電源もなくなったというニュースを聞いた。それでも、NHKで、安全だといっていたのでとりあえず寝ていたら、12日の未明、福島出張から帰ってきた妻に促され、インターネットを確認すると、再び、第一原発の一号機の水位が下がったとの情報を発見。研修生を起こし、最低限の準備で米沢市に避難しました。その後、米沢から妻の実家の浜松へ、そして、今の伊賀へと避難していったのです。
結局、飯館村は一時は100μシーベルト/時というすさまじい汚染になりました。
村上さんたちは、震災前は、自然にやさしい農業をやってきた。震災が起きた直後も、都会とは違い、食料に困ることもない。そんな生活をしてきたはずでした。
ところが、東京のために発電する福島第一原発の放射能が、一番環境にやさしい生活をしていた飯館村を襲ったのです。
このことは、本当に聞いていて、理不尽さに憤慨するよりありませんでした。
それでも、村上さんは、「福島原発の放射能は9割がたは偏西風にのり、太平洋に落ちた。これが、若狭湾や島根だったらどうか?福島原発事故が、日本の在り方を変えるきっかけになれば、喜ばしい。でも変わらなかったら・・」とおっしゃいました。
わたしたちは、この村上さんの言葉をしっかりかみしめないといけないと思います。
福島以外の若狭湾で事故が起きたら、それこそ、福島の風向きを当てはめれば、名古屋や岐阜は壊滅状態になります。
経済のために原発を、なんて嘘だ。そのことを考えないといけません。
そして、いまなお、被災者は避難先で農業を始めようにも、賠償制度の関係でなかなかできないそうです。そのあたりも政治はしっかりしなければなりません。
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-0aed.html
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結局、飯館村は一時は100μシーベルト/時というすさまじい汚染になりました。
村上さんたちは、震災前は、自然にやさしい農業をやってきた。震災が起きた直後も、都会とは違い、食料に困ることもない。そんな生活をしてきたはずでした。
ところが、東京のために発電する福島第一原発の放射能が、一番環境にやさしい生活をしていた飯館村を襲ったのです。
このことは、本当に聞いていて、理不尽さに憤慨するよりありませんでした。
それでも、村上さんは、「福島原発の放射能は9割がたは偏西風にのり、太平洋に落ちた。これが、若狭湾や島根だったらどうか?福島原発事故が、日本の在り方を変えるきっかけになれば、喜ばしい。でも変わらなかったら・・」とおっしゃいました。
わたしたちは、この村上さんの言葉をしっかりかみしめないといけないと思います。
福島以外の若狭湾で事故が起きたら、それこそ、福島の風向きを当てはめれば、名古屋や岐阜は壊滅状態になります。
経済のために原発を、なんて嘘だ。そのことを考えないといけません。
そして、いまなお、被災者は避難先で農業を始めようにも、賠償制度の関係でなかなかできないそうです。そのあたりも政治はしっかりしなければなりません。
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私の今日は、もう何度もお知らせしているように、村上真平さんの講演会です。ここに
お知らせの記事を載せています。村上真平さんのプロフィールを記載しますね。
1959年福島県田村市生まれ。70年から有機農業を始めた農家の後継者であったが、82年インドに渡りガンジー・アシュラムに1年間滞在したのをきっかけに海外協力の道に入る。85年からバングラデシュに6年間、96年からタイに5年間、民間海外協力団体(NGO)を通じて自然農業の普及と持続可能な農村開発の活動に関わる。2002年帰国し、福島県飯館村で「自然を収奪しない農の在り方と、第三世界の人々を搾取しない生活の在り方」の探求と持続可能な生き方を目指し、自然農業、自給自足をベースにしたエコビレッジづくりを始める。2011年3月11日深夜、福島第一原発のメルトダウンを知り、12日早朝、飯舘村から避難。現在、三重県伊賀市に在住。
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by hiroseto2004
| 2012-04-22 22:07
| 東日本大震災
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