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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004

ヒロシマ・アキバ塾第二回目

広島ブログ

広大特任教授の秋葉忠利・前市長が市民にお話をする、ヒロシマ・アキバ塾の第二回が今日ありました。

前回の動画は以下です。
http://hiroshima.moe-nifty.com/blog/2012/06/post-e848.html

さとうしゅういちによるまとめは以下です。
ヒロシマ・アキバ塾


今日は「核のない平和な21世紀を創るための都市と市民の役割(第二回)」で、被爆体験を中心にお話をいただきました。





秋葉さんは、被爆体験を「自分達の年代と同じ枠組みで若者に伝えようとしても伝わらないこともある。若者に受け入れられるような形で伝えられているのがいわゆる右寄りのひとたち。学んだ方がいい点がある。」と話を始めました。

前回のおさらいは、「パッチワークキルト」を都市に例えたことについてです。人間同様違う一枚一枚の布を集めて暖かいかけふとん。共通の一辺で縫い合わせることで、折り合いをつける。それを都市に喩えたはなしを思い出しました。「都市が元気であるということはすなわち、多様で、大変美しい。」ということです。

続いて、「東日本大震災後の日本、被爆者、広島。」について、話は移ります。

震災時に、被爆者たちの反応は、
「あの時と同じだ」
「他人事とは思えない。」
でした。

そして、ひろしまは、ただちに医療の専門家、消防、水道などの支援をしました。
阪神淡路、その他の大きな災害の時にも同じ反応がありました。

それは「他人の痛みがわかる心」という高橋昭博さんの言葉です。

秋葉さんは、「(きのこ雲の写真ではなく)きのこ雲の下で起きたことが大事。」と強調しました。

「原爆はT字橋をめがけて目視で落とした。かなり正確に目標で爆発した。」と紹介。

一方で、「きのこ雲の下で写真をとった人は、御幸橋で、5枚撮影したが、悲惨なところが撮れなかった。残しても胸が痛まないことだけとった。坪井さんらは存命で、罹災証明を発行している場面がありました。」

市民が描いた様子、熱戦などの写真。
第一次大戦でイーペル市が毒ガスで壊滅した写真。同市では毎夕、追悼しているそうです。

こうした、内外の写真を次々と紹介。

東京大空襲も含め、共通しているのは「都市が廃墟」になっていることです。

その上で秋葉さんは、「廃墟の中でどう考えたかが大事。」「きのこ雲の写真は爆撃機からの視点であり、これは国家の視点からの写真」と指摘しました。

 女子中学生が顔を焼かれた写真も紹介。実は、原爆投下時に、最初に投下された観測機のパラシュートを見ていて顔を焼かれたひとが多いそうです。後で顔がケロイドになり、結婚差別にもつながった。そのことを、秋葉さんもかつて東京から広島にきた時、ショックだったそうです。

男子学生は、工場や兵士に行っていたので、残った女子中学生が建物疎開に動員された。空襲対策は延焼しない様に防火帯をつくるだけだったのです。ちなみに焼夷弾はナパーム弾としてベトナム戦争で使われました。

そして、さらに次々と写真が紹介されました。

着物の柄が染み付いた女性。目玉や内蔵が飛び出す。爆風で圧力が下がったためです。

放射線被害で出血や斑点。被爆後脱毛。やけどが安定した後、ケロイド。いまだにメカニズムはわかっていない。

上流川の惨状。子供を抱いた女性の黒焦げ。

熱線、爆風(秒速280メートル)。放射線。

やけどで皮膚が空気から浮き上がる。そこへ爆風がかさなり、幽霊のような有様でさまよう人が多かったのです。

 建物疎開には、町単位で応援にきていた人がおおい。そして、男性ばかりが亡くなった集落もあります。その絵には息を飲みました。

 原爆のエネルギーは、熱線35%、爆風50%、放射線15%でした。
 地上で3000度から4000度。
 騒音のマッハ効果=爆風の効果を最大限にするために600m地点で爆発するよう、選ばれたそうです。
また、「爆心から500mでは即死の放射線量であり、例外だけを持ち出して、たいしたことがないという人がいるが事実をもって反論したほうがいい。」と強調したのは印象的です。

年末までの死者14万人でした。

爆発前に人を殺し、67年たっても人を苦しめ続ける兵器
爆発前に人を殺す爆弾というのも特徴だそうです。
原爆は臨界量に達すると連鎖反応し、爆発しますが、爆発する前に、100万分の1秒の連鎖反応がおき、大量に放射線が降り注いでいるとくのが、その心です。

67年経っても人を苦しめ続ける兵器です。

兵器は巨大化することで、同じものも呼び方が凶器⇨武器⇨兵器。となります。戦争が無害であるかのような言葉になると、秋葉さんは、指摘しました。

「おいしいことがあると、取り組んで結果を出す。それをどう使うかはその後で考える。原爆もその調子でつくった。」とはオッペンハイマー博士の言葉でした。

プルトニウム爆弾は、爆薬で圧縮するのが難しかったので、「おいしかった」というわけです。

原発も基本原理は同じで、コントロールするのはもっとsweetだということもあったのではないか?そういうことも理解しておく必要だそうです。

67年間の軌跡=奇跡。

被爆者には多発性のガンが起きる。ただ、ガンの原因はなかなか分析するのは難しい。たくさんの医師が見ていて被爆者とがんの相関関係は観察はしている。

生活にはいろいろな要素があります。
医療、着るもの、食べもの、住い、仕事、結婚、子ども、教育、楽しみ、生きがい、移動手段、情報源、家族、隣近所。

医療についていえば、医療関係者の3分の2は死亡。生き残った関係者も被爆しました。
医薬品はほとんどなし。放射線の研究もまだ十分ではない状況で奮闘しました。

ようやく、1957年に原爆医療法制定されました。

研究はABCCで実施されていた。が、治療は全くありませんでした。
研究の柱のひとつは、低線量被曝の遺伝的な影響ーーあるともないともいえず。

1975年に放射線影響研究所となりました。

被爆者健康手帳。

手帳は以下の四類型の被爆者に交付されます。
1.直接被爆。
2.入市被爆
3.市外で救護や死体処理。一日10人以上。最近は撤廃。
4.胎内被爆。

3号被爆者についての判決は、2009年3月25日にありました。市としては被爆者の言い分をのみたかったが、国の指導で市が訴えられるかたちをとり、敗訴後控訴せず、という結果に落ち着きました。

胎内被爆者については、公的には1951年に調査開始されています。
研究者は把握していたが、ごまかしていた。1965年に山内幹子さんの内部告発で明るみになったのです。

空白の10年。

医療法が制定されるまでは、不十分な医療、生活苦、様様な差別に被爆者は苦しめられました。
「空白の10年」と言われるゆえんです。

おまけに、連合軍によるプレスコード=報道規制が1952年まであり、原爆の情報はありませんでした。

浜井市長=原爆市長の功績
1949年に広島平和記念都市建設法が制定され、広島市に国が特別待遇を実施。補助率を上乗せしました。この際、憲法95条にのっとり、住民投票が行われた上で、法が制定されました。地方自治の歴史にも刻印される事案です。今、広島市には常設型の住民投票条例があります。

また、行政による被爆者の調査は1951年からです。

箱物よりも人間への対応が遅かったことは謙虚に考えるべきです。

ただし、行政が不十分だった中で、過酷な状況で立派に生きていた人がいる。そこを認めた上で、行政を良くしましょう、という話にしたほうがいい、と秋葉さんはおっしゃいます。

立派に生きてきたその一人が高橋昭博さんです。被爆後、市職員となり、語り部をずっとされてきました。1970年に、山本亘さんに「あなたが語ってくれなければ私達には永遠に分からない」に触発されて語り部になったそうです。

ツッパリ少年のメンターになるなど活躍。

1980年には、エノラ・ゲイ号のポール・ティベッツ元機長と会見しました。
「戦争で命令されればまた原爆を使う」という元機長に対し、高橋さんは「ティベッツさんは戦争があってはならない。と言っていたのだから、核戦争起こさないよう協力できる」と握手の手を放しませんでした。

退職後も「ヒロシマのお父さん」として、国際会議などで首脳相手に話。

米国のペロシ下院議長が「you are beautiful.」とあいさつしましたが、これは、最高級の褒め言葉だったそうです。

高橋さんは、病気に倒れても、証言活動に復帰したいと考えていたそうです。

さとうしゅういちは、高橋さんとは2004年3月15日の衆院憲法調査会広島公聴会で公述人として同席しています。目の前で彼が迫力ある証言をされたのを記憶しています。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/kouchoukai09iken.htm#takahashi


「被爆者の血と汗と涙」
安らかに眠ってください。
こんな思いを誰にもさせてはならない。
という思いでやってきたのが被爆者です。

被爆者、三つの足跡
被爆者は、
・死を選んでも誰も非難できない状況で、生きる道を選んだ。
・被爆体験を語り続け、三度めの核兵器使用を阻止した。(ジョン・ハーシーさん)
・復讐や敵対という世界観を捨て、和解の哲学を創り出し、実践した。
(これを理由に、1995年当時衆院議員だった秋葉さんは、ノーベル平和賞に平岡さん、本島さんを推薦)

「核抑止力」は実は被爆者が持っている。被爆者の高齢化はそれだけに課題です。

今の若者は、被爆者から直接被爆体験を聞ける最後の世代です。

「どの世代も、自分がつくったのではない世界を引き継いでいる。
その世界を未来世代に渡す義務がある。その義務をいかに果たしたのかは、後からくるいく世代もの子どもたちが判断する事になる。」というケネディ大統領の言葉を秋葉さんは引いて、呼びかけました。

秋葉さんの著書「ヒロシマ市長」(朝日新聞)は7月20日発売されます。

次回のアキバ塾は7月26日(木)です。

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by hiroseto2004 | 2012-06-28 22:54 | 広島市政(広島市議会) | Trackback