祖父が診療所に勤務した福山市走島を訪問!
2013年 09月 21日
【走島公民館・高橋様と】
【離島でチャランケ!福山市・走島で祖父の活動の軌跡を訪ねて】
9月21日、ひろしま女性大学福山校同窓会の研修旅行で、福山市走島町を訪問しました。
走島は福山市鞆の浦から沖合へ7km。フェリーで30分くらいです。我々は、10時40分鞆港発のフェリーで、渡りました。
3月のお彼岸にはNHKの「家族に乾杯」で鶴瓶さんらが、この島に来られて放送されたことは、皆様もご記憶に新しいと思います。
走島の港に着くと、公民館の高橋松美さんらが出迎えてくださいました。島内の民宿で豪華な魚づくしのご馳走を頂きました。鯛やワタリガニ、そしてサバの造りなど、地元の水産物が満載。昔の海賊はこんなものを食べていたのだろうか、と思いを巡らせました。
食事の後、高橋さんのお話を伺いました。
走島は現在、320世帯ほど。子どもは小学校が島外の一名、中学校が島外の一名と島内の三名。幼稚園が一名という状態です。
島の小中・幼稚園は一体です。地域ぐるみで運動会をしているのですが、生徒がいなくなり、再来年には閉校になりそう、ということです。
その背景には、子どもを持つ世帯が最近結構福山市街地にでてしまうことがあるそうです。
親御さんの間には「高校・大学はどうせ、島の外になる。だから、将来のため、子どもに集団生活を覚えさせるため、市街地の学校へ」という志向も強いのです。
また、医療を心配している人も多いのです。現在は医師が市街地から診療所に、週一回、十一時から十五時までという短い診療時間で診てくださるそうです。以前は週三回だったので、そういう意味では心配する人もおおいそうです。一方で、尾道市の離島で開業されている先生が、フェリーで島を巡ることを計画中で、期待が集まっているそうです。
わたしの祖父は、五十年以上前にこの島に診療所に勤務していました。祖父は大日本帝国陸軍の切り込み隊長(少佐)から戦後、一転して人の命を救う医師として活動しました。
高橋さんの妹さんを祖父は特にかわいがっていたそうで、『佐藤先生には、島にとって神様のようにお世話になりました。』と言っていただきました。
また、『フェリーの値段は往復1100円。やはり、交通政策で離島に配慮が欲しい。』、とおっしゃいました。実際、フェリーは民間企業の経営です。じつは、欧州では移動の権利ということが交通政策の基本にあります。経済合理性一本やりではないのです。日本でも学ぶべきだと感じました。
ただ、高橋さんは、厳しい中でも前向きの心を失わないでおられました。高橋さんは、島の産業の再生や、若者呼び込み策など、目を輝かせてご自分のビジョンを語られました。
「もっと、世羅町でやっているように、産物に付加価値を付けたい。」「若者に対しても受け入れるような度量を持ったほうがいい」と。 自分は公民館を再来年退職するが、やれることをやりたい、とおっしゃいました。
また、かつては、ナンバープレートがないクルマ、ヘルメットなしのバイクが『名物』でしたが、外部の方を受け入れるためにも、守るべきルールは守るべく徹底しているそうです。
帝国陸軍の切り込み隊長から転じて、医師として、島の人たちに尊敬された祖父。
そして、いま島を良くするため、頑張っておられる高橋さん。
フィールドは違いますが、二人に負けないよう、頑張る決意を新たにしました。
また、ご縁のあるこの走島も含む全国の離島の皆さまにも、光が当たり、また離島の皆さまの知恵が活きる日本にしたいものです。
誰もが置きざりにされない日本、そして持続可能な日本をこの走島から!
わたくしは、実は、祖父が、戦後、市民の命を助けるため、活動したこの走島に、初めて来させていただきました。このような機会をつくっていただいた、ひろしま女性大学福山校同窓会の桑田さんや皆様には心から感謝申し上げます。
わたくし・さとうしゅういちは、緑の党・グリーンズジャパン全国協議委員選挙で公約の一番に以下のことを掲げています。
「1、声を届けにくい環境にある会員、サポーター、市民の皆様こそ政治に声を届けやすい環境を整備します。特に山間部や島しょ部などでこそ、「政治フェス」などを積極的に開催します。」
山間部や離島こそ、持続可能な日本への知恵が詰まっています。そして、そういう地域に住む人を見捨てないこと、そのことが、「誰もが置きざりにされない日本をつくる」と確信しています。こうした地域がいいところ伸ばしていければ、と思います。
by hiroseto2004
| 2013-09-21 15:14
| 政治フェス
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