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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004

原水爆禁止世界大会女性のひろばに今年も参加

【被爆69周年原水爆禁止世界大会分科会】ドイツ緑の党・ステフィ・レムケさんら登場

【原水爆禁止世界大会女性のひろばに今年も参加】
8月5日午後は、被爆69周年原水爆禁止世界大会・女性のひろばに参加しました。
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わたくし・さとうしゅういちは、男性ですが、毎年8月5日は、この分科会に参加するようになりました。
 わたくし、さとうしゅういちは、小学校時代に広島出身の先生に担任をしていただき、被爆実態を聞いて、政治家を志しました。そして、社会人になってから、念願のヒロシマでの広島での平和運動にも携わりました。そのとき、小説「黒い雨」で、主人公の姪の矢須子の病状が悪化する有様を読んで、涙したことを思い出し、この分科会が目に留まったのです。

戦争が、核が女性に及ぼした惨状に思いをはせたことも、この女性のひろばへの参加動機となりました。また、男女共同参画の市民活動にも身を投じ、広島市の男女共同参画審議会委員をつとさめせていただいたり、クオータ制を党是とする緑の党に入党する背景にもなりました。

被爆者の切明千恵子さんは今年85歳。被爆当時は第二高等女学校4年生でした。まず「戦前は男女差別がひどく、多くの女性は、小学校、高等科を卒業したらすぐ花嫁修業だった。」と戦前の社会を振り返りました。そのうえで、「学校があった広島の宇品からは、兵士だけでなく、馬もたくさん出撃していき、馬は帰ってくることがなかった。そのことに心を痛めていた。」「学徒動員で行った先の兵器廠では、明治38年式の歩兵銃を取り出して、磨いているありさまだった。先生に『こんなことで日本は勝てるのか?』と聞いたら先生に『日本は神の国だから勝つのじゃ』と大目玉をくらった」など、戦時中の社会をリアルに語ってくださいました。

被爆時には、切明さんは、たまたま病院受診のため、比治山橋付近にいて被爆しました。市役所裏付近で動員されていた下級生の被害はもっとひどく、やけどどころか皮膚自体がはがれ、誰が誰だか判別できない状態で帰ってきました。そして、現場で亡くなり、帰ってこなかった生徒も多かったのです。また、現在の広島駅新幹線口付近でサツマイモの世話に行った生徒たちは、半身がやけどという状態だったそうです。

会場からは、すすり泣く声も聞かれました。

福島から来られた橘柳子さんは、原発事故以降の福島の現状を報告したうえで、「普段から勉強した上で、しっかりした議会人を送ろう。」「選挙前にコメツキバッタのようになる部分を見て投票していいのか?」「議会に送ったあとは、意見を国や当局に届けるよう、仕事をさせないといけない。」などと強調しました。

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by hiroseto2004 | 2014-08-05 23:39 | 反核・平和 | Trackback