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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004
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本誌過去記事 「ヒロシマ平和運動の伝え方」(2004年5月29日)

ヒロシマ平和運動の伝え方
2004年3月29日

マスコミは「組織」を古いものと決め付け、「若者」や「新しい流れ」と対立的に捉えているように見える。

アメリカ軍によるイラク攻撃から1周年の3月20日。原爆ドーム前で行われた「世界同時行動 IN ヒロシマ」に3600人が集まりました。その様子をある地元紙は、「若者ら3600人が集まった」と報じました。

 実際、集会前の歌や音楽では若者が活躍しましたし、集会後のパレードでも若者が中心となって「やっぱり間違ってたじゃんブッシュの戦争」「日本をテロの危険にさらすイラク派兵」などと、リズム良くコールしながら歩きました。

 だが気になる点があります。往々にしてマスコミの方は、どうも「組織」をアプリオリに「古い」と決め付けているようなところはないでしょうか? そして「組織」と「若者」ないし、「新しい流れ」を対立的に捉えているようにも見えます。

 しかし、そもそも平和運動とは世界の人が仲良くやっていこうというものです。したがって、運動内のグループを対立的に捉えること自体が間違っています。例えば、集会当日を盛り上げた若者のうち少なくない人が、普段からそれなりに平和などを考える団体に入っています。これもひとつの「組織」です。また、労働組合からの参加者にも若者が目立ちました。

 むろん、既存の政党などは、往々にして自党や自党系列以外の団体などを侮蔑する悪習が古手を中心にあり、それが若者を敬遠させてきたのも冷厳な事実です。あるいは、「指導」「援助」と称して全体主義的「統制」をしてきた歴史もあります。

 だが、何かを継続的にしようとすると「組織」にならざるをえません。どんな運動でもです。例えば、私個人が文章を書く事でさえも、「JANJAN」というある種の「組織」でなければ多くの人には読んで頂けないでしょう。

 何かをみんなでいっしょに成し遂げることの喜びは、若者も感じているのです。「何のために何をするか」を忘れないことが出来るかどうかが問題なのです。繰り返します。「組織=古いもの」ではありません。そこを捨象したような報道はいかがなものかと思います。

 ともかく、草の根の市民と、労働組合・政党など組織がうまく共同していって大いに運動を盛り上げていきたいものです。労働組合のような「組織」でも、実は構成員が役員だのみになっては組織は衰退します。結局、「自立した個人」の「連帯」が必要という当たり前の結論になってくるのでしょう。
by hiroseto2004 | 2014-10-21 21:55 | 反核・平和2004 | Trackback