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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004

復刻版広島瀬戸内新聞 広島市政編 田中康夫知事講演会―「さらなる変革・未来の創造」―を取材して

田中康夫知事講演会―「さらなる変革・未来の創造」―を取材して 

2002年12月29日

2003年の広島市長選挙を前に行われた講演会をさとうしゅういち社主が取材しての感想記事です。

さとうしゅういち

はじめに
きめつけではなく相手の目線に立った運動を
法は誰のためにあるか?
「脱ダム」でむしろ地域経済にプラス
見習うべき長野の健康作り
誰のための政治か?
これからの地方自治のあり方
秋葉市長の挨拶
広島への示唆(1)--行政のあり方の転換
広島への示唆(2)--学びたい平和へのとりくみ

はじめに


2002年12月29日(日)、長野県の田中康夫知事が来広、秋葉忠利市長とともに「さらなる変革・未来の創造」と題して
講演しました。田中知事は今回の広島市長選挙に当たっては推薦人にもなっています。市内の市民運動家を始め500人余りが参加しました。


きめつけではなく相手の目線に立った運動を


主催者挨拶のあと、田中知事は一時間余りに渡って熱弁を 振るいました。

今は非常な閉塞状態にある。なんとかしなければと多くの人 が思っている。しかし、そのわりには、市民運動なり、労働
運動なりが役割を果たさねばならないのに熱心に参加する人が少ない。

これについて、知事は。昔は、食うやくわずであったがために「人としての喜びを得るために」運動に結集していたが、今は
基本的には豊かであるということはあるとしました。

しかしながら、運動としても反省すべき点があり、それはやは り「これが正義だ」と決め付けるのではなく、相手の目線を大
事にしなければならないということです。これが正義だ!とい って決め付けてしまうと今の人はそれを鋭敏に嗅ぎ取って引
いてしまうというわけです。

法は誰のためにあるか?


次に、知事は、法律はだれのためにあるか、ということを考え る必要があるとしました。

今、滋賀県の豊郷町が小学校の改築問題でゆれています。
伝統的な価値があり、6億円かかけて改修すれば使用可能 な小学校を、21億円もかけて新築してしまおうという計画を町長が強行しようとし、住民が差し止めの仮処分を申し立て、 裁判所もそれを認めたのにまだ強行しようとしています。

この背景には新しく建物を作れば起債でまかなうことが可 能なのですが、改修にはそれが認められないという制度上 の問題があります。地方債の償還はの7割が地方交付税交付金の基準財政需要額に算入されますから、結果として純粋な町としての負担は改修より新築の方が少ないという おかしなことがおきます。

法律とは誰のためにあるかということを考える必要があるの ではないかということです。法律そのもののためでも、裁判 所のためでもない。行政のためでもない。市民のためにあ るのが本来の姿です。逆にいえばマスコミも「裁判所の命令を聞かない町長はけしからん」というのではなく、こういう部分こそ問題にすべきではないか、と注文をつけました。

「脱ダム」でむしろ地域経済にプラスつづいて「脱ダム」宣言について話が進みました。田中知事 が脱ダム宣言をめぐって議会と対立を深め、不信任をつきつ けられて失職、今年9月に選挙となったが圧勝したのは記 憶に新しいところです。

これについては、もちろん、「日本の背骨に当たる長野県に はダムはのぞましくいない」という持論もあります。しかし、もうひとつは、大型事業が地元経済の活性化に役立たない ばかりか、かえってマイナスの効果さえもたらしているとい うことです。

ダムを作れば地元にお金が落ちる。ダムを作らねば長野県の財政は破たんする。これが、共産党を除いた県議会のほぼ多数派や財界、一部労組などの主張でした。しかし、実は、 これは全く根拠のないことでした。

あるダムでは、補助金や地方交付税交付金のおかげで県 民は総工事費の27.5%しか負担せずにすむように見え ます。中央から72.5%のお金が来るのです。しかし、工事 の8割の部分は東京のゼネコンが請け負います。つまり地 元業者には2割のお金しか落ちないのです。なんということ はありません。長野県民は27.5%-20%=7.5%分、 「持ち出し」なのです。

長野県はこの他にも大型事業を次々行ってきました。おか げで「便利」になった部分もあります。しかし、起債制限比 率はなんと16.4%。県債残高は1.6兆円。規模が大き い広島県と肩を並べています。財政再建団体へぎりぎりの ところです。しかも便利になったおかげで東京への時間が 短縮され、長野県に泊まっていく人も少なくなりました。
長野五輪で多く出来たホテルはかんこ鳥が鳴いています。
「便利になった」ために東京に活力を吸い取られるという 現象が起きています。

これは別に広島県でも他人事ではありません。高速道路 ができるから便利になる、と思いきや、大都市圏に活力を吸い取られることにもなりかねません。市町村合併を推進 していますが、合併した場合には「特例債」の発行が認め られます。むろん、地方債の償還は7割が地方交付税交 付金の対象ですから、一見得なようです。

しかし、よくよく考えてみると、もし、大半が大都市圏の ゼネコンへお金が流れるものであれば、むしろ地域経済 にはマイナスではないでしょうか。

「合併しないと財政が持たない」と主張する向きもありますが、 むしろ合併したがゆえに地域経済の破たんを招いた、という ことに将来なりかねません。

見習うべき長野の健康作り


長野県は長寿社会であることは良く知られています。 であれば、老人医療費がかさみ、さぞ大変であろうと思わ れます。しかしそれが違うのです。老人一人当たりの医療 費はなんと全国最下位。全国が約75万円、最高の北海道は95万円ですが、長野県はわずかに59万円です。

政府・与党や経済界は、「高齢化社会だからこれから医療 保険は破たんする」などと脅し、医療費の自己負担増(健保 の3割への自己負担引き上げ、老人医療費への定率負担 導入)を強行し、また、老人への医療保険導入さえ計ろうと しています。どさくさにまぎれて所得税や消費税の増税など を図ろうとしています。

しかし、こうした脅しの論拠を打ち破る展望を長野県は示し ています。しかも行政の力ではありません。草の根の力で です。今年なくなった諏訪中央病院の今井澄医師(参議院議員) が主導して医師や保健師が地域をくまなくまわり、健康作りの ための教室を開くようになったそうです。食生活の改善を図って います。医師の役目がおおげさにいえば、「病気を治す人」では なく「病気を予防する人」になっているのです。

広島県北部でも高齢化率は3割を超え、4割を超えている 自治体もあります。この点は長野県を見習うことで、県民の 負担を結果として抑えることができるのではないでしょうか。
気候風土などもかなり長野県に似ており、参考になると思います。 健康づくりはもちろん、要介護度が悪化するのを防ぎます から、介護保険の負担の軽減にもつながります。サービス 基盤の充実はもちろん必要です。が、人間一人一人にとって みれば、なるべく元気でいられるほうが良いわけですから、 こうした視点を積極的に取り入れていくべきではないかと 思います。

誰のための政治か?


次に知事は、「誰のための政治か?」ということに話を進め ました。
知事の権限は何のためにあるか?それは県民のために判 断し、必要があれば軌道修正し、責任をとるためになるの です。「一人一人の市民のため」にやっているのです。

ところが、多くの政治家が「権威」を求めてしまっている。これ ではいけません。

田中知事は、支持者と握手するとき、バッジをつけている 「偉い人」からではなく、赤ちゃんを抱いているお母さん やお年寄りから握手をするといいます。これは、「権威」で はなく「一人一人の市民を大事にするというメッセージだとい うのです。一見些細なことですが、こういうところにも政治家 としてのセンスがあるのだな、と感心しました。

長野県はまた、40年間県庁出身者が知事を務めてきました。 知事は職員の言うことを聞かねばだめだ、などと田中知事は県会議員などから「注意」されてきたそうです。しかし、田中 さんはそうではない、職員は身分保障を与えられているが、 これはそもそも住民のために安心して奉仕する環境を与える ためのものだ、だから、その趣旨を理解して仕事をしてもらわ ねばならない、としました。

同時に、職員も県民、人間です。県民としての心、人間として の心を思い出してもらう、その触媒になりたい、といいます。

職員を「駄目だ」と決め付けて追い詰めるのではない、住民 としての視点、人間らしさを取り戻してもらい、元気に仕事を してもらうということです。この点が、「公務員制度改革大綱」 を強行しようとする小泉内閣との大きな違いです。ある種、 職員を敵視し、住民の不満をそらせようという手法をとる政治 家も見受けられる中、田中さんはさすがに民主主義のもとで の公務員の役目を理解していると感心しました。

これからの地方自治のあり方


田中さんは今後の地方自治のあり方について、欧州型を目指 すべき、とされました。

第一点は、「物質主義」から、「脱物質主義」です。大量生産、 大量消費、大量廃棄の社会が行き詰まっているのは明らか です。また、長野県でも見られたように、これ以上のおおがか りな箱モノを整備することが地元経済にとって、短期にも長期 にも東京にお金が流出するだけで、実は必ずしもプラスでは ないことがあります。福祉や教育、環境のように、地元の人が 地元の人の世話をする、こうしたことを育てていくことがこれか らの地域経済にとっても必要ではないか、といいます。

もうひとつは成長から成熟へです。これへの対応は重要です。 どんどん、成長していくことを前提とした仕組みは行き詰まります。広島県においても、工業団地の売れ残りなどがおきて います。インフラを整備すれば大企業が来てくれ、それで雇用 が増える、といった時代は終焉を迎えているのは、広島県でも 同じです。

第3番目に「集中型から分散型へ」です。

長野県の農家の戸数は14.9万戸。全国一位です。北海道が 面積では一番大きいのですから、小規模な農家が多いことが わかります。しかし、逆にいえば、小さいものがたくさんあること は強みにもなりえます。消費者に生産者の顔が見えるように できるなどです。

福祉にしても必ずしも立派な施設が住民ニーズにかなうとは限 りません。例えばデイ・サービス。大規模なところへ行くだけが本当に一人一人の幸せかどうか。近くに日常の生活環境と変 わらないような場所があった方が良いかもしれません。

長野県では、しもたやを改造して、「宅幼老所」にすることに500 万円、事業者に与える、ということをしています。そのかわり、
後の経営はきちんと自立してやってもらうのです。 第4番目に他律から自律へです。行政のほうも、住民と同じ目 線で仕事をする必要がある。しかし、住民のほうも行政任せに せずに、自分から提案していく、参加していく、こういったことが
必要です。

第5番目に問題調整型から問題解決型への転換、第6番目に は20世紀的重厚長大から福祉・教育・環境といった地元の人
が地元の人のために行うサービス産業で雇用を生む社会への 転換です。

長野県では「五直し」を「重点施策」としています。「水直し」 「森直し」「道直し」「田直し」「街直し」です。「水直し」は、もちろ
ん、脱ダムを含めた水政策の転換です。「森直し」は森林整備 予算の増額として現れています。2002年度には58.9億円、 2000年度に比べて152%です。田中知事はこれでも林務 予算の3割に過ぎず足りないといいます・森林の整備は非常に 手がかかります。逆にいえばそれだけ、雇用を生み出すという ことです。

「道なおし」とは、道路行政は維持補修を中心にして いくということです。しかも、入札には今まで参入できなかった 地元企業にも門戸を開放するようにしました。その結果、落札 価格は従来の75%に低下しました。別に「買い叩いている」 わけではなく、今まで下請け、孫受けでやってきたところが、 直接受注できるようになっただけのことです。

県内では、面白い行政をやっているところがいくつもあるそう です。ある村では、従来の10分の一で作れる村道を整備し ました。住民は最初、立派な道を通して欲しいと要望しました が、実際には、自宅の前まで直接宅急便がいける程度で用 が済むこと、それならば、金も十分の一ですむことを村長が 説明し、合意を得たのです。

またある村では、下水道はまったくありません。しかし、水洗 トイレの普及率は100%に近いのです。この村は集落が分 散しているので下水のネットワークを整備していたら村が破産 してしまう、というわけです。では、どうしたかといえば、合併 処理槽を導入した家には補助金を出すという政策をとったの です。はるかに安いコストで村民は衛生的な生活ができるよ うになったのです。

このことは、広島にとっても大きな教訓です。行政がきちんと 代替案も提示し、村民も行政に依存するのではなく、自分達 で判断する。これによって、自治が機能しているのです。合併 しないと財政が持たないといわれていますが、どれほどの市 町村がこうした検討をしているのでしょうか。自治が機能しな い限り、合併後もうまくいかない、むしろ状態は悪化してしま うのではないか、と危惧します。

田中さんはまた、行政には「智性」「勘性」「温性」が大事とい います。「智性」とあえていうのは、本で得た「知識」も現場で の「智恵も」大事という意味です。「勘性」は、法律や制度の 制約があってもこれを住民に説明した上で、対応していくと いうことです。「温性」とは、住民と同じ目線に立つということ です。子供におもちゃを与えるときでも、上から渡すのでは、 こどもはびっくりして怖がってしまいます。しかし、しゃがんで 同じ目線にたって渡せば反応も違います。患者さんを診ると きでも、上から声をかけるのではなく、しゃがんでベッドと同 じ目線で話しかければ患者さんも話しやすいでしょう。それ と同じことです。

最後に秋葉市長について、この人は右翼や市議会の心無い 議員らの妨害に会いながらも、私利私欲と無縁の人間であり、 確たる信念を持っていると持ち上げていました。

秋葉市長の挨拶


田中知事の熱弁のあと、秋葉市長が自身の市政の4年間を振り返りました。秋葉さんは青と赤の手袋を指し示し、知性 (青)と感性(赤)のバランスをとりながら勤めてきた、といい ました。また、赤は動脈であり青は静脈である。これからは 「静脈」=リサイクルなども大切にしていかないといけない
また、男女(青が女性、赤が男性という言い方をしました。 青は母なる海、赤は父なる山というわけです。)共同参画 社会を推進するという意味ももつそうです。

秋葉市長は、また、「平和ではめしが食えない」という批判 に対しては次のように答えました。

広島は外から見れば「元気の源」なのです。原爆による悲劇 の象徴でもありますが、目覚しい復興を遂げた希望の象徴でも あるのです。

テロで何をしたら良いかわからなくなった、アメリカの平和 運動の人たちに希望を与えたのは「ヒロシマ」でした。

そのヒロシマは、地元では「元気がない」などと良く聞きま す。しかし、本当にそうかどうか。展望はあります。例えば、 暴走族の問題。追放条例を作ったことが大きく全国に報じ られましたが、しかし、多くの市民が積極的にアリスガー デンに出て行って、少年達と対話したのです。そのエネル ギーには、市長として本当に誇りをもてた、といいます。

横川では今、広電の電停をJRと接続をよくするための工 事をしていますが、地元の商店街の人は、日本で初めて 公共バスが走った横川をイメージしたレトロ調の町並みつ くりへ向けてがんばっています。そこの人は、忘年会で「 市長さん、わしらがちゃんとやるけー、市長さんは後ろか らついてくればええんよ」と言ってくれたそうです。
高須ではマンション問題を契機に街づくり協議会をつくり、条例 による地域計画までつくろうとしています。あるスーパー では、お年寄りに配食サービスをするなど、地域に貢献 することを目的とした新しいビジネスを始め、好業績をあげています。

こうした市民の自主的な動きが、まだまだ点ではありますが、広島市内各所で起きているということです。これを、 線にして面にしていく、これがこれからの課題ということです。

秋葉市長はタウンミーティングやオフィスアワーで住民の 声をすくいあげるようにしています。最初は苦情や要望が 多かったそうですが、今はむしろ積極的な提案が多いそ うです。

職員の方も市民のほうを向いて仕事をするように なったということでしょう。また住民も行政に頼ってばかり ではなく自分から参加しようという自治意識が向上して きた、ということでしょう。

「広島に元気がない」という人たちは、往々にしてこれら の動きが目に入っていないか、目に入っていても、黙殺しているかではないかと、秋葉さんは言います。

私が補足するならば、「広島には元気がない」「それは経済 が駄目だから」「経済を活性化するためには大型事業だ」 といういってみればステレオタイプな主張をする人々が いるということです。そして、それを繰り返してきて、広島 県も広島市も膨大な県債を抱えることになったのでは ないでしょうか。

広島への示唆(1)--行政のあり方の転換


 今回の講演会は、今後の地方自治のあり方はどうある べきかの展望を示しているのではないかと思います。
住民の目線に立つこと、また、住民の力を引き出すこと の重要性を感じました。広島でもあちこちでおきている さまざまな住民の動きを受け止め、後押しできるような 行政が求められると思います。

長野県での日本一の長寿県にもかかわらず老人医療 費が低いことや、最小コストでニーズを満たす村道の 作り方、水洗トイレの普及などには、学ぶべき点は多く あります。

「水洗トイレがないと孫が遊びにきてくれない、でも村の 財政ではそれは不可能だ」、と諦めてしまうことは非常 にもったいないことです。「だから、合併して何とか特例 債で」となるとさらに悲劇ではないでしょうか。

また、大型事業に象徴される今までの「重厚長大型、 資源・エネルギー大量消費型の経済社会」のあり方 から、環境や福祉、教育など「地元の人が地元の人を 世話する産業」を軸とした経済社会へシフトすることで、 地域の経済をむしろ活性化するということも重要であり、
広島において求められることだと思います。

広島の場合は、ことに産業基盤の整備で企業を誘致し、 雇用や税収を増大させる、というモデルが、1975年頃 までは上手くいっていたと思われます。1975年には、 ひとりあたり県民所得は東京、京都についで第3位で した。

しかし、そのモデルは、深刻な環境破壊や、過疎 問題なども引き起こしました。1970年代のオイルショ ック、1980年代の円高不況などの影響で経済にも暗 雲がさしてきました。90年代には企業の立地数が減少 しても大型開発は続いたためにいわばインフラがだぶ
ついた状態に陥っているともいえます。

長野に比べれば財政状態は広島県の方がまだ「まし」 です。であるならば、今から舵を切ることができるならば、長野より住みよい県を作ることができるのではないで しょうか。まだ「十分」間に合うのです。

例えば旧国鉄跡地の利用問題などは本当に球場を立 てるのが良いのか?むしろ、広く市民に開放して、例え ばあるときはバザーをするとか、あるときは屋台村に するとか、あるいは、世界中から有名アーチストを呼ん でコンサートを開くなど「金のかからない」活用法はいく
らでもあります。「いまあるもの」を活かしきる視座が 求められると思います。

産業政策で言えば、下手に大型の事業を行って失敗 するよりは、福祉や教育など、地元の人が地元の人を 世話する方向へお金を使う方が良いということです。
人々が安心して暮らせるということを「平和」の定義と すれば、「国際平和都市」としての値打ちも上がります。

さらに補足すれば、国などとも連携してサービス残業の 撲滅など職場でのルールを守ることを行えば、健康増進にもつながり、県民負担の減少にもなります。行政 がワークシェアリングなど、よいもお手本を示すことが 必要です。現在、広島県内では教員が189人も病休
中であり、1,2%。これは、国家公務員の1.2倍です。

福山のある学校では15人中6人が休んでいます。 「はばたきプラン」「はつらつプラン」などで、少人数学 級への県教委も動いてはいますが、執行体制を確保 せねば教育崩壊にも繋がりかねません。

また、環境ということで言えば、広島には自動車産業 があります。エンジンの技術を生かせば再生可能エネルギーへの進出が考えられます。街のあり方も歩 行者や自転車優先とし、いわゆるユニバーサルデザ インを実現すれば、徹底的な環境破壊を受けたヒロ シマが、環境先進都市となります。

さて、今回は、首長の講演会でした。むろん、直接 選挙で選ばれる首長は大事です。しかし、首長一人 ではできることにも限界があります。住民が良い街を 作るために協力することが必要です。逆に首長が道 をはずせばそれを修正させることも必要です。

言い換えれば、首長を孤立させてはいけないという ことです。議会からの圧力など秋葉市長は大変だっ たそうです。

また、われわれ公務労働者の組合が、内部から的確 にチェック機能を果たしていくことも重要です。内向きではなく、住民のためになっているかどうか、点検し ていくことが重要ではないでしょうか。

また、忘れてはいけないのは「議会」です。二元代表 制をとる地方公共団体においては、議会と首長の関係はチェックアンドバランスでなければなりません。
議院内閣制とは違います。良い意味での緊張関係を 保ちつつ住民のための仕事をしていくのが役目です。

しかし、実際には、「与党」が大多数でチェック機能が 働かなかったり、「与党」大物議員が逆に行政に不当 な影響力を持ったり、議会の大多数が「野党」に回っ て首長をなかばよってたかって足をひっぱったり、とい う例が後を絶ちません。

 首長が提案する良いことは後押しし、また、住民の ためになることは積極的に提案し、首長に実行させていく。逆に首長が道を外れそうなときは修正させていく
こうしたことが議員の役目ではないでしょうか。 「開かれた議会」にしていく必要もあります。女性助 役問題では、市議会議長が投票方法を「無記名投 票」にして、各議員の態度がわからないようにしたう えで、採決に持ち込みました。これでは、有権者は、各議員や政党の評価をすることが不可能ではあり ませんか。

長野県議会では、代表質問を土日にして、傍聴しや すいようにした、といいます。アメリカのカリフォルニ ア州のバークレー市は、2001年10月のアメリカ政 府の報復戦争開始に対して反対の決議を行ったこ とで有名になりましたが、ここの住民参加システムは充実しています。議会開催前の30分間は、抽選で選ばれた市民一〇人が3分間、市政に関する 意見を述べるタイムとして確保されています。

また、議会には市民から公募された委員会が多くあり、自由に政策を立案し、条例化を求めることが出来ます。個人的には広島市くらい大きい自治体なら 「区議会」を設けても良いと思います。ただし、報 酬は日当と交通費だけでのボランティアとすれば経費もかかりません。「政治家業」ではなく、自営業、サラリーマン、教員などさまざまな職業の人が議員となるようにするのです。


by hiroseto2004 | 2014-10-24 20:59 | 広島市政(広島市議会) | Trackback