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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004
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復刻版広島瀬戸内新聞 2003年  インド・パキスタン青少年平和交流(報告)

広島ブログ

インド・パキスタン青少年平和交流(報告)

さとうしゅういち

もともと同じ国だったインドとパキスタン。
それが大英帝国の植民地戦略 を背景に分裂し、1948年以降、紛争や軍拡競争を
展開、1998年 にはとうとうお互いに核武装してしまいました。

ことにパキスタンにおいては軍事費が重石となって庶民生活や 経済を圧迫しています。

一方世界ではアメリカの身勝手な戦略が核戦争の危機を高め、そしてそこ までいか
なくとも軍事費の増大となって、暗雲を投げかけています。

今回の交流は、4回目。いつも「原水禁」のこどもひろば
と連携して8月6日前後ですが今年は秋に単独行事的
に行なわれるのが特徴です。

戦争や軍拡で利益を得るのは一握りの大会社や
政治家などです。庶民は苦しみのみを蒙るのが
古今東西の常ですが、政治家は、往々にして
国内政治の不満を逸らす為に、対外的緊張を
高めることがあります。

また国家レベルでモノを考えると、どうしても、国家の体面
あるいは、為政者の体面や私利私欲といったものも要因となって
ぶつかってしまうことがあります。

結果として、それが、平和を壊し、人権が侵害される事態を
招く。「人間の安全保障」に逆行した事態を招くのです。

個人レベルでは、逆にそうしたものが相対化することも期待
できます。「国家の安全保障」ではなく、「人間の安全保障」
の立場に立って考えられる可能性がより強まるのです。

国家間の外交と並行して、草の根での相互交流、
相互理解が必要な所以はここにあります。

軍備の重しをとり、少々古臭い言い方かもしれませんが
経世済民の政治を南アジアに実現するためにも、相互の
青少年が交流し、個人レベルで理解しあっていくことは
重要です。


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11月1日(土)

16時52分到着の列車から、印パ両国の若者と引率者
がつぎつぎと降り立ちます。

わたしも、中途半端な英語で挨拶を交わします。

一行は、広島駅から、東区の東方2001へと移動。
迷子が出ない様、大声で、誘導する一幕も。

そんなこんなで夕食交流会が始まりました。

森滝さんが歓迎の挨拶。

それから、印パのメンバーの自己紹介。

そして、日本の高校生、大学生が自己紹介。

その後、しかし、ゲスト側から、「日本人も自己紹介を
しないと公平性を欠く」との指摘があり(笑い)、
私も含む日本人も自己紹介をするはめに。

(なお、わたしは唯一「SATOH SHU-ICHI」と言いました。
私は、パスポートを申請するときもそのようにしてもらうよう、
書類に書きました。)

シュリプラカッシュ監督とは、ときどき荊尾さんに
補足してもらいながらも
「我々は、カレーをいろいろな料理に取り入れている。
ほら、これは、カレーで味付けした、鶏肉だ。
インド文化は日本に大変影響を与えている」
というと同監督は
「日本人は、寛容で、いろいろ受け入れるので、
そうなったのだ。」
と応じてくれました。

また、焼き蕎麦やお好み焼きについてもご説明
申し上げました。

インドのメンバーには
「食べる前にはこうやって頂きますというのですよ」
と説明しました。

あっというまに楽しい時が過ぎ、19時半になってしまいました。

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11・2(日)の記録

2日は、ガイダンスを国際会議場で朝9時から。

ゲストの12人も、日本人スタッフも自己紹介。生活上の注意や日程の説明を、 森滝
春子さん、スティーブさんから行いました。

続いて、一行は花輪を原爆慰霊碑に捧げに出発。NHKをはじめ、マスコミ
が取材につめかけました。NHKさん、今日は来てくださいました。

一行は、森滝さん、尾崎さんがガイド役となって、平和公園内の碑
めぐり。原爆の子像や、元安橋、爆心地、西向寺、動員学徒慰霊碑、原
爆ドーム、 韓国人慰霊碑、
先生と生徒の像などを最後は急ぎ足になりつつ巡りました。 さとうは、カメラマン
兼尾崎さんたちのアシスト(のつもりが足を引っ張 っていたか??(笑い))


一行は昼は、国際会議場地下で昼食。さとうとよしお・リーパーさんが、 ゲスト
の接待役。まずい、森滝さんも尾崎さんも別の席だ。自分が、カッコ をつけようとして、
引き受けた役だが。。自業自得だ、覚悟を決めよう。


なんとか、話せる。話題は、印パでの女性の地位。シュリプラカッシュさんと、 パキ
スタンの若者が活発な議論。これなら、さとうも話せる分野。早速 「インドも
パキスタンも女性の総理大臣がいたが、日本にはいまだかつていない。 情けない
限りだ」
と割ってはいる。するとシュリプラカッシュ監督、
「総理大臣と女性が自由かどうかは関係ない。日本の女性はインドに比べれば力があるのでは?」
とのこと。

また、アラブとイスラムは違うと、パキスタンの面々がいっているのに ふむふむと感心。パキスタン
人にとって、サウジアラビアとかは違う 世界らしい。

続いて、原爆資料館の見学。畑口実館長自らのご案内だ。心して聞
かねばならぬ。
通訳は、森滝さん、尾崎さん、そしてよしお君が縦横無尽の大活躍。さとうはあいかわらずカメラマン。

館長は、核実験の抗議文が貼り付けてあるコーナーにくると「イン
ドとパキスタンの大使がちょうどこられていたときだったので、直接抗
議した。インドの大使は 「中国が持っているから
仕方がない」パキスタンの大使も「持ちたくてもっている のではない」しかし、出口に来て、
感想を聞くと二人とも、ことばがなかった」 と回想。

また、インドの核実験がちょうどインドで初めて広島市が原爆展をしていて あとすこしで終わる
ときだったときに行われたことも、悔しそうにいいます。

その後、展示を見学。

見学を終えた若者たち。「やはり核をもつのは間違いだったと気づいた 。気づかせて
くれてありがとうございました」とのインドの若者。

館長は「気づいてくれてありがとう」と応じました。

午後4時からは高橋昭博前館長の被爆証言。スライドを交えながらのものでした。 質疑応答は
非常に活発でした。

「暴力の連鎖が起きているが高橋さんはどう乗り越えたのか」との質問には 「アメリカ
のこどもが来館したとき、原爆を落としたことを恥ずかしく思う、 ごめんなさい、ということ
ばが聞けた。また、宗教者の方が来館したときも アメリカのしたことを許してください、と
おっしゃてくれた。アメリカ国家が 原爆を投下したのは許せないが、国民に罪はない」

と応じられました。

最後に,高橋さんから,インドとパキスタンの国旗の色でつくった 折り鶴の首輪が,
ゲスト全員の首にかけられました。

また、5日18時半からメモリアルホールで公開フォーラムを開催し、印パ の若者と日本人が
ともに核問題を考える場を設けます。ぜひご参集を!

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3日(月)の記録

3日は、合宿

カザフスタンや中国からの留学生も参加しました。

午前中は、劣化ウラン弾(DU)問題について、NO DU プロジェクトヒロシマの嘉指信雄教授
から、講義。

続いて、緩急車雲助さんから原爆講談「黒焦げの弁当箱」。私は残念ながら、昼食を
ダネットさんのレストランに取りに行って、見ることが出来ませんでした。

昼食は、ベジタリアン用のもの。珍しいが、おいしかったです。

午後は、シュリプラカッシュ監督の「ブッダの嘆き」を上映。一般人も参加しました。
インドのジャドゥコダ周辺における先住民達の苦しみと抵抗運動についてのドキュ
メントです。

同地では、ウラン鉱山がある上、インド中の核のゴミが、どんどん、ズサンな
管理で廃棄されていきます。

国破れて山河あり、とは杜甫の詩。昔の戦争はそれでも、環境を
決定的には破壊することはなかった。しかし、今、核は、核兵器の
形で使われずとも「山河」を破壊してしまうのです。「国破れずとも
山河なし」でしょうか。改めて実感しました。

上映が終った後、討論を行ないました。

インドの若者は「この周辺の人は何も悪いことはしていないに。。」
と涙ながらに訴えました。

パキスタンの引率者ナスリ―ンさんは、
「識字率が低いようなところにどんどん廃棄物場が作られるなど
している。こういった根本原因も考えねば」
と、社会開発の重要性を指摘。

カザフスタンの留学生は、セミパラチンスクで、当初人々は
きのこ雲を美しいと思い込んでいた、が、今多くの人が
苦しんでいる、と情報不足の恐ろしさを訴えました。

中国の留学生は
「中国ではこう言う問題は情報管理されて伝わらないが、
広島に来て大変勉強になった。」
と。

緩急車さんは
「核に頼るものはかならず滅ぶ」
と持論を展開しました。

パキスタンの若者からは
「ヒンズーもムスリムも同じような人間。喧嘩になるような話題を
さけ、一緒にできることをやっていこう」
と頼もしい発言。

同じくパキスタンの若者からは
「ジャドゥコダの現状を国に帰って伝えたい。ここへ来て
自分がパキスタン人ではなく地球市民のように思える。」
と発言しました。

続いて、被爆者の山岡秀則さんの証言。

3歳で被爆し、その後、親戚に引取られたが、不遇の
日々を過ごしたことを話されました。

そして、死のうかと思って助けられたこと、森滝市郎さんに
助けられたことなどを振りかえりました。

そして、「どの国も核を1個づつなくしていけば良いではないか」
と述べられました。

夕食後は、音楽などで、交流を深めました。


私は、そのまま、皆さんと宿泊。翌朝、5時半に起床し、
バスセンターへ急ぎ、出勤しました。

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2015年4月2日 さとうしゅういち街頭演説 府中町庶民増税より格差是正・残業代ゼロではなくカープを家で楽しめる社会を
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広島市役所前演説
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by hiroseto2004 | 2015-05-12 23:51 | 反核・平和2003 | Trackback