復刻版広島瀬戸内新聞 2003年 インド・パキスタン青少年平和交流(印パの若者たちの感想)
2015年 05月 12日

<03 インド・パキスタン若者・ヒロシマの感想>
<インド>シャシ・ブシャン・クルリShashi Bhushan Kurli 18才 ジャムシェドプール市
Turamdigh出身
セミナーに参加するために来ました。広島に着いたのは11月1日でした。日本に来る前は、日本
のことなど何も知りませんでした。日本の科学技術が進んでいて、広島と長崎が被爆したという
ことしか知りませんでした。広島に来て、平和記念公園や資料館を見学し、被爆者に会いました。
被爆者に会えたことはすごい成果でした。被爆で多くの人々が殺され、生き残った被爆者も生き
るために闘ってきましたし、今も闘っています。被爆者は僕たちのりっぱなお手本です。被爆者
の話を聞いて、心の中が悲しみでいっぱいになりました。ときどき、人間はどうしてこんな兵器
を作るのだろうかと考えるようになりました。今でも作っていますが、よく恥ずかしくないものだ
と思います。資料館を見学した後も、とても悲しくなりました。僕には被爆の経験はありません
が、被爆によって都市が破壊されるということを学びました。
どうしても言っておきたいことがあります。日本人は親切ですばらしい人たちだということです。
帰国したら、国の人々にここで経験したことを話します。僕の話を聞いて、他のひとたちも
核兵器に反対するようになると思います
ショバ・ソレンShobha Soren 20才 ジャドゴダ
始めて日本へやって来た時、ここは自分がずっと来たいと思っていた場所だと感じました。
日本の方々がそれぞれ各々の方法で私たちを歓迎してくださり、私は本当にうれしかった
です。ここに来るまで、私は単に観光旅行に参加するのだと思っていましたが、ここを訪れ、
私は私たちがジャドゴダで黒い影に囚われていることを感じました。
多くのヒバクシャの方から話を聞きました。やすらぎ園にいる被爆者の方々は勇敢ですが
同時に病気にも苦しんでいて、孤独です。やすらぎ園にいる多くの方が子供もなく、一人
です。私たちが「さようなら」と彼らに言った時、泣き始める人もいました。私たちに会えて
幸せだったのだと思います。核兵器をなくすために行動を起こさなければならないという気持
ちを私たちの中に起こさせてくれました。なぜなら核兵器をなくすことこそ、有効だからです。
または、唯一の効果的方法だからです。私たちの次の時代へのギフトにもなるでしょう。
私たちの政府は核兵器を作るためにお金を投資しています。インドへ戻ったら、核兵器に
お金を投資しないことを彼らへ伝えたいと思っています。
広島は本当に美しい街です。広島の政府機関は自身の市民を大事にしていました。私は
再び日本を訪れたいと思います。何度も、何度も。
プラチュシュ・プラスンPratyush Prasun 17才 ラーンチ市
この度、広島訪問という素晴らしい機会に恵まれました。来日前、本を読んで前もって広島
について学んでいたのは、いくら開発された都市とは言え、おそらく通りには被爆者がいた
り、破壊された街角が残っていると思っていたのです。しかし来てみると、ここが原爆の被害
を受けたなんてとても信じられませんでした。しかし、平和公園や資料館、原爆病院、原爆
養護ホームを訪問し、被爆の実相はすぐにわかってきました。中でも原爆養護ホームに私の
心は打たれました。被爆者がそこで流した涙を一生忘れることはないでしょう。それに引き替
え、私の国の病院や養護ホームは、患者のための十分な施設も整っていませんし、どれだけ
遅れていることか愕然としました。日本のこれほどの病院を得ることは、インドではまさに夢
物語です。
私が広島でインドを誇りに感じたのは、平和公園の仏教のスローガンや宮島で仏教の教えに
従って建てられた建物を見た時でした。そしてまた訪問中、被爆証言、写真、本などから学ん
だことが私の心を完全に変えてしまいました。母国の原爆をどうしたら廃絶できるか考えるよう
になりました。また、放射線についての講義によって、これまで全く知らなかったことを学び、少
なくともそれがどんなに恐ろしいものかわかりました。そしてまた、小出教授の研究によると、
ジャドゥゴダやランチ周辺で高レベルの放射線が測定されたと知り驚きました。そこで生活する
上で、ただ想像を絶するばかりのことでした。しかし人々は実際そこで暮らし、ドキュメンタリー
「ブッダの嘆き」を見てのとおり、ひどい状況下で我々は暮らしているのです。ですから私の使命
は、ジャドゥゴダ住民を悲惨な生活から救うことだと悟ったのです。また、核の関連ビデオ「核の
影に覆われたイン・パ」を見て、核兵器は安全保障の兵器ではなく、逆に危険に陥れるものだ
ということが明らかになりました。
一方、パキスタンの学生と出会う夢も叶いました。思っていたとおりにフレンドリーな仲間です。
彼らがインドを敬愛してくれているのを知り感動しました。インド国民として、誇りに感じています。
彼らと多くの話し合いの機会を持つことによって、やっと気がついたのですが、両国の紛争に
携わるのは支配層であって、国民同志は常に互いを思いやっているのです。
もう1つ述べておきたいのは、日本の家庭にホームステイする機会を得て、お蔭様で美味しい和食
やインド料理を食べて本当に楽しく過ごすことができました。家族の皆さんが私を自分の息子の
ように接してくださり、心からもてなしてくださいました。洗濯やアイロンかけまでしていただき、
私のスーツケースは母がしてくれたのと同じ状態となりました。
最後に、将来の計画について述べておきたいと思います。ランチに戻ったら、スニハとまず会って、
彼女が勢力を注ぐ活動にボランティアで参加したいと思っています。一方、今回の体験を友人や
家族と分かち合いたいと思っています。彼らに写真、映画、本で実相を伝え、原爆の危険性を
認識してもらい、さらに我々のグループを大きく育てていきたいと思います。また、どうにかして
人々の注意をジャドゥゴダへ引きつけられるよう様々な方策を執りたいと思っています。
PRATYUSH PRASUN
Prat27yush@yahoo.co.in
追伸: 広島から期待したいのは、熱意を持って活動を続けていくことでジャドゥゴダの人々の
力強い支援となることです。広島の原爆資料館のような施設がジャドゥゴダ近郊に作られるべき
であり、そうすれば、原爆や放射線被害について人々に警鐘を与えることになると思います。
カルナ・バラ・ムルム Karuna Bala Murmu 21才 ジャドゴダ
広島、私の夢の地?。この美しい都市を訪れるチャンスがあろうとは思いもしませんでした。しかし
2003年11月1日、私たちはやって来たのです。街の美しさだけではなく、人々は言葉で言い表
わすことができないほどいい方ばかりで、とても礼儀正しくサポートしてくださっています。街同様、
本当に素晴らしい市民です。
今回の訪問は、広島の方々の尽力がなければとても実現しませんでした。友達は、私が日本に
行くと知り、「とてもラッキーね」と言いました。来日し、私もつくづく幸運を感じています。
広島を訪れ、平和公園から宮島に至るまで周囲のものすべてが美しく、とても楽しく過ごしました。
そして一番ワクワクする重大なことと言えば、パキスタンの友達と一緒に過ごしたことです。お互い
に意見交換もしました。彼らはとても真摯で友好的です。
このほか、被爆者を訪ね、被爆証言を聞いたのは貴重な体験で、多くのことを学びました。また、
中学校を訪れ一緒に給食を食べたのも楽しい思い出です。実は広島に来る前、私たちは世界で
孤立していると思っていました。なぜなら、私たちの政府は国民にあまり関心がないみたいだか
らです。しかし、ここに来て日本の人たちのやさしさに触れ、涙がこぼれ出ました。広島の大人
だけでなく子どもたちも、私たちのことを気にかけてくださっているのです。
当初は、今回のミッションを普通の旅と考えていましたが、来てみると結果的に多くのことを学び、
インド国民に伝えることを得たわけです。そしてまた、ホストファミリーの皆様には感謝の念に絶え
ません。私のことを気遣ってくださり、本当によくしてくださいました。
今、私は自分の行動に密かな自信を持っています。広島訪問によって平和と核兵器の知識を
たくさん得ることとなりました。今や、インド国民と世界平和のために何かが出来ると感じています。
「暴力は、問題の解決にはならない。それは人生を直接脅かすものである」。
Karuna Bala Nurmu
ケトゥキ Ketki 16才 ラーンチ市
まず最初に、森瀧春子さんをはじめ、他のメンバーの皆さんのインド・パキスタンへ、そして全世界
に向けて下さっている愛情に対し感謝したいと思います。皆さんは親切にもインド・パキスタン青少年
の平和交流を実現するために大変ご尽力下さいました。
今日、インド・パキスタンは核兵器の影に覆われていると言えます。しかし私はこれにもう一語付け
加えたいと思います。それは、インド・パキスタンは核兵器の悲痛な影に覆われているということです。
これは、科学者たちによってなされた全く衝撃的なことです。我々がこれらの核兵器について考え、
製造を始めるとき、それはただ我々自身を害することにしかなりません。採掘、精錬、とりわけ使用
については、採掘によるジャドゴダでの被害、そしてこれらの核兵器使用によるヒロシマ及びナガ
サキでの被害といった重大な実例というものがあります。その中で、これら核兵器に関する安全性
というものは一体どこにあるのでしょうか?人口を減らすということでしょうか?それともより多くの
孤児を生み出すことでしょうか、何世代にも渡って障害を持つ子どもたちを増やし続けるということ
なのでしょうか?核兵器とは科学者そして政府が持つ単なる夢でしかないと思います。核兵器に
正当性など全くありません。戦争という言葉がありますが、それによって作り出されるものは「最悪
の関係」を意味します。
地球(Earth)という言葉はもちろん誰もが知っている言葉ではありますが、それが何を意味するのか
考えたことがあるでしょうか。それは「心を通じた関係を促進する」ことを意味するのですが、そうでは
なく「憎しみを通じた関係を築く」こととして捉えられているように感じます。現在、我々は宗教の名に
おいて戦いを行っています。しかし、どの宗教が我々に戦うことを教えていると言えるでしょうか?
それは、貪欲という名の宗教でしかありません。それは、はちみつを持ってこさせ、最後には殺して
しまう蟻の貪欲さと同じです。それは、そのような破壊的な核兵器の火の中に人を投げ込む人間の
貪欲さなのです。我々は「地球(Earth)」とは、母のようにそれぞれが必要とするものを満たしてくれ
るものと考えます。では、その自分たちの母親をいくつかに分けてしまい、その上、そのもはや死ん
でしまっている母親のいくつかの部分を獲得するために満たされない生活を続けることを一体誰が
出来るのでしょうか?これは、すべての人にとって全く馬鹿げたことです。また、一体どのようにして、
すべてにとっての母親である地球を分けることが考えられるでしょうか?そして、それを分割した後
でさえ、どうしてそのすでに亡くなっている母親の一部を巡って戦うことが出来るのでしょうか?これ
が、核兵器製造の理由なのです。現在、インドでもパキスタンでも誰も人類愛ということを考えようと
しません。もし考えているのならば、3度にわたる戦争は起きていなかったでしょう。この世界では、
高価なものを贈り物として誰かに買ったり、与えたりしますが、お金のかからない、そして利己的で
ない愛を誰かに対して持つことはなかなかありません。
誰もどの瞬間がそれぞれの人生で最後の瞬間になるかなど分かりません。どうしてこの貴重な瞬間
を憎しみのために無駄にすることが出来るのでしょうか?どうしてこの瞬間を誰をも平等に愛すること
に使うことが出来ないのでしょうか?人間は善悪を判断する力を持っています。
これらが私がずっと思っていたことでした。しかし、広島を訪問し、被爆者の方々と会い、そして平和
資料館、原爆病院等を訪れた後、これらの考えが私の中で走り巡っています。広島内外の年長者
たちの恩恵をもって、私は私の国に平和をもたらすよう最大の努力をしていくつもりです。私は決して
一人ではありません。私を助けてくれるたくさんの日本人、パキスタン人、そしてインド人の友人がい
ます。特にインドでは、すでに平和のために努力しているスネハがいます。この大きなグループを
もって、いつか皆で友好に手を取り合うことが出来るでしょうし、必ず実現するつもりです。必ず我々
はこれを実現することが出来るのです。なぜなら「意志あるところに道は開ける」からです。
Ketki
E-mail: ketki2moon@yahoo.com
< パキスタン>
アシム・カーンAsim Khan 15才 ペシャワール市
この街の悲しい歴史を知ってはじめて、人間の野蛮さというものが理解でき、同時に、人間の寛容さと
献身ということが理解できました。米国は、核兵器を実験するために広島に原爆を投下し、多くの人々
の命を奪いました。人間がどうしてこのような残酷な決断を下せるのか理解できません。他方で、日本人
は、怒りと復讐心を平和への貢献へと転化し、偉大な勇気と寛容さをもって平和の道をたゆまず歩いて
きたのです。これもまた、私にはとても不思議なことではありますが、このことに対し、日本人に心から
敬意を表します。
かつて、ことごとく破壊された広島は、今、人々が豊かに暮らす世界有数の発展を遂げた都市に
なっています。これは、日本人のものすごい努力の賜物であり、地獄を楽園に作り変えることができて
も不思議ではありません。
この街は、私にとって平和の使節としてあるだけでなく、平和の達成をめざす私を励まし、支えてくれる
街です。ヒロシマで平和の意味を学んだ私は、平和の大使になります。被爆を体験したヒロシマとヒバクシャ
は、侵攻され、憎しみに燃えた心を平和の灯火で導くことができるのであり、ここに集まったグループ全員
は、ヒロシマの心を、世界中に広めてゆく決意にあることはいうまでもありません。
ザーラ・マルカニ. Zahra Malkani 16才 カラチ市
数週間前、パキスタンのタール砂漠に行きました。周囲に広がるどこまでも続く砂の海と、果てしない
砂丘の、そのどこかに国境があります。国境線はインドとパキスタンを地上で隔てるものです。この境目
に唯一見えるのは、国境線に向けて空にきらめく一連の光だけでした。ふと気がつくと、鳥の群れが国境線
を横切って飛ぶのが見え、あっという間に、パキスタンからインドに飛んでいきました。私は、突然、奇妙な
幸福感にあふれ、さわやかな気分になりました。鳥たちは、見事に、自由に、何にも拘束されず、国境
もなく、無限の空を飛び回ることができるのです。その美しさ、自由さ、純粋さに私は圧倒され、これは、
私たち人間にはとうていできないことだと思ったものでした。
ここで、この一週間で、私はついにそれを経験したのです。私の中ですべてのわだかまりが消え、
「自己」を乗り越え、今ここにいる私は、他のみんなと同じように、愛と平和、団結を渇望する謙虚な
一人の人間になりました。経験はとても得るところが大きく、地道で、啓発的で、あらゆる笑いから、
あらゆる涙、あらゆる瞬間、あらゆる言葉、あらゆる訪問まで私の脳裏に焼きついています。あらゆる
経験が、私を変えてゆくのがわかりました。私にこの機会を下さったみなさん、貴重なことを教えてくだ
さったみなさんに感謝し、この経験を生涯大切にするつもりです。この一週間に会った人それぞれが、
何か貴重なことを教えてくださいました。本当です。言葉では十分ではないので、みなさんが私を
変え、意欲を高めてくれたことを実行して証明します。みなさんから学んだことを、決して無駄に
しません。どんなに感謝しているか、言葉では言い表せないほどです。
ザーラ・マルカニからのメール(パキスタン帰国後、カラチでの会合で発表したもの)
人の心にあるもの、慈悲 哀れみは人の顔に
愛、人の形をした神の現れ そして平和、人自身が身に付けるもの
ウイリアム ブレイク
私は文章を書くのが得意だとはいえませんが、今、広島への旅について書いています。どこから
始めればいいのか、そして一度書き始めれば、どこで終わればいいのか。私の感じた衝撃は一
週間たった今も薄れることなく、私を圧倒し、感情をかき立てます。広島へと出発した時、決して
こんなことは想像できませんでした。17歳で人生を変えるような経験をするとは。ましては、この
旅がこんなにも大きな衝撃を私に与えるとは、想像もできませんでした。
広島に着いた早々から、平和公園を歩き、原爆資料館を見学し、やすらぎ園へヒバクシャを訪問
しました。その一瞬一瞬が有益で、学ぶべきものがたくさんあり、感動を与えてくれました。痛み
や苦痛、そして原子爆弾がもたらした何年にもわたる苦しみを抱えながら、その中で生きていく
人と話をし、話を聞くことで、私はまだそんな苦しみを抱える彼らの中に許す心や忘れようとする
気持ちがあることに気づきました。そんな美しい前へ向いた考え方や、自分たちの力をより良き
方向へ使おうとする姿は私の中の何かを目覚めさせる力があり、心を揺さぶられるものがあり
ました。そんなヒバクシャの方や、ともに過ごしたホストファミリー。そしてもっとも大事な、そこで
出会った友人や、この旅を可能にしてくれた関係者の方、多くの忘れられない人と出会いました。
今、本当に彼らを近くに感じ、大事に思います。私たちはお互い会った瞬間からインドの参加者と
友達になりました。私たちはもはやインド人、パキスタン人という区切りで分けられていないような
気さえしましたが、同時に私たちが抱える偏見や先入観も襲ってきました。しかし、私たちは平和、
そして母なる地球への愛という強い欲望と情熱で1つに結び付けられているのです。その2つをとも
に知っているのに、端と端に分かれて立ち、お互いが心を痛めているのです。他の人と同じように
感激したり、感動したり、奮い起こされたりするのに。私はここで築いた絆を大事にしていくつもり
です。彼らは私に人を愛する力と、信じることを教えてくれました。かつてマザーテレサは言いま
した、「私たちに平和がないのは、私たちがお互いに頼って生きているということを忘れている
からに過ぎない」と。広島で出会った人々は私たちがお互いに頼って生きていることを私に
思い出させてくれました。
すばらしいヒバクシャとの出会いから、私たちの会話や話し合い。被害者からの痛烈な話や
生存者の気持ちを聞くことは、私たち人類が持つ確信の回復へとつながりました。お互いに
肩を寄せ合い、泣き、笑い、そして歌い踊ること。全ての瞬間に感動し、奮い立てられました。
広島で私は、人がやってしまえる崩壊と裏切りというものを感じました。しかしそれだけでなく、
広島で私は人の持つ愛や許しの心も感じました。それはヒバクシャから学んだものです。平和
への切迫した道。今、私の中にある真実の基礎ともいえるこのような気持ちが人々へと伝わっ
ていくことを強く望みます。人が冷笑したような、あきらめのような第3者的立場を脱ぎ捨て、
愛や平和が唯一の道であることに気づくこと望みます。慈悲や哀れみ、そして平和と愛の力
こそが、私たちの存在の原点であることに気づくことを望んでいます。広島は私にとってそれら
のシンボルであり、慈悲や哀れみ、そして平和と愛といった全ての感情を意味するものです。
トゥーバ・アティーク Tooba Atique 16才 ペシャワール市
広島へ来るまで、私は戦争や核兵器、そして破壊行為は過去の新聞やテレビ、そして、
その他のメディアの中にだけ存在するものだと思っていました。私はこう思っていました。自分
は平和な家庭に生活し、お金で買うことのできるおいしい食事をし、良い服を着て、病気に苦
しむこともないと。私は与えられた完璧な生活の全てを楽しんでいました。だからなぜ私が
世界中で起こっていることに関心をもつ必要があるのだろうかと思っていました。なぜ誰か
の国で戦争が起こっていることを、誰かが家を失っていることを気遣う必要があるのでしょう
か?おなかをすかせながら眠りに就く誰かのことを、着る服がなく風邪をひいてしまった誰か
のことを、そして、病気で苦しんでいる人、世界中で死んでいく人、なぜ私が気遣う必要が
あるのでしょうか?
今、1つの答えを見つけました。私は彼らを気遣う必要があります。なぜなら私も人間です。
上に挙げたことは私に起こっていたかもしれないからです。人は自分の状況を選ぶことはでき
ません。それがそれぞれの運命なのだから。そしてまた、そのような状況が私にふりかかる
かどうかも、決して分からないのです。
この数日間で、私は他国で起こっている戦争を、家を失っている人々がいることを気遣う
ことを教えられました。飢えをなくすこと、病気で苦しんでいる人々のこと。そして特に強く、
世界平和を。
この旅は核兵器が引き起こす破壊行為について知ることのできる、大変有益なものでした。
核兵器が私たちに引き起こした損害は長く残ります。原爆資料館へ行ったとき、ガイドの方
が私たちに話してくれました。現在製造されている核爆弾は58年前、広島へ投下された
それの35,000倍もの威力を持つそうです。つまり今、核戦争が勃発し、核爆弾がどこかへ
落とされたら、1つ、再び世界のどこかにヒロシマができるのではなく、35,000ものヒロシマ
ができるのです。言い換えれば、核兵器がどこか1か所ではなく、世界の崩壊を招くという
ことです。
今日、私たちがやすらぎ園へ行った時、ある女性が彼女の経験した出来事を話しながら
泣き始めたのです。58年たった今も核兵器が運んでくる痛みを痛感した瞬間です。
二度とヒロシマを繰り返さない。二度とヒバクシャを作らない。 二度と涙を流す女性を
作らない。私はパキスタンの人々に、核兵器は私たちにとって有害であることを伝えて
いくつもりです。これらを繰り返さないために。
シャバナ アッバス アリ Shabana Abbas Ali 15才 カラチ市
どんな生き物も幸せと平和を求めます。そして人間は意識的にそれらに向けて計画を立
てます。これは私の状況にもあてはまります。今回の広島訪問は私にとって初めての
海外訪問でした。そして、ここを去ろうとする今、私は自分の旅がこのように平和な国から
始まったことを誇りに思い、そして広島を訪問し、人生において初めてこのような学習的な
経験が出来たことを大変嬉しく思っています。
まず日本に到着して最初に感動したことは、美しさと平和ということでした。私は自分の
人生でこのような平和な地を見ることが出来るとは想像もしていませんでした。もう一つ、
私の心を動かしたものは、日本の人々そして彼らのやさしさでした。基本的に平和について
学んだ後で私が考えていることは、世界では善悪の両方が生じるけれども、悪いことを良い
ことに変えようとする人々は多大な働きをしなくてはならないということ、そして大変な努力
をしなければならないということです。私は自分自身をパキスタンの平和大使であると感じ
ています。そしてこの平和学習を終えた後、大きな責任を感じています。私はグローバル
ピースメーカーズが行っている平和活動から本当に多くのことを学びました。平和な世界
をつくりだすために彼らがいっていることの重要さは言葉では説明できません。
もう一つの貴重な学習経験は、被爆者の方々をはじめとする非常に勇敢な人たちに会う
ことが出来たことです。彼らが体験したこと、そして世界に対する気持ちは私の想像を超
えるものです。ヒロシマの人々が行っている活動は、単なる歴史上のことではなく、非常
にすばらしい活動であり、この世界の天使のようだと感じます。
最後に、今回の学習経験を終え、私は今、人種差別をするのではなく、人類のために活動
しようと決心しています。そしてみんなと手と手を取り合って活動し、これらの小さな一歩が
核兵器のない、原爆のない平和な世界を作り出すことにつながるものと確信しています。
今、私は核兵器そしてそれがもたらす被害について理解しており、パキスタンに帰って、
これを自分の家族、友達、その他たくさんの人に伝えていくつもりです。
E-mail:Shabz_abbas@hotmail.com
2015年4月2日さとうしゅういち街頭演説安芸郡府中町 河辺たかふみ広島市長・中原ひろみ市議・つくだ守生県議で誰もが置きざりにされない広島を
https://www.youtube.com/watch?v=88BBNAKqq24
イオンモール広島祇園前演説後半
https://www.youtube.com/watch?v=Wffu16vS3KU
https://www.youtube.com/watch?v=cbQfoQcLTNQ
河辺たかふみ市長・つくだ守生県議で誰もが置きざりにされない社会を・イラク戦争12周年・災害7ヶ月「海外派兵より災害対策を」 3月20日古市橋駅前演説後半
https://www.youtube.com/watch?v=rGqlxEnptjo
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