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県政にガツンとモノ申し、何があっても心配しないで良い広島を


by hiroseto2004
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明治、大正、昭和、平成初期も海外派兵・戦時体制強化の後に災害が半端ない!

小渕さんの周辺事態法、小泉さんのイラク派兵、第一次安倍総理改憲宣言時も災害が半端なかった!

これまで、小渕内閣の周辺事態法の後、広島豪雨災害や玄倉川事故、JCO臨界事故などの大災害が起きたこと、小泉内閣のイラク派兵の後、巨大台風に中越大震災まで起きたこと、安倍政権の改憲宣言の後、能登半島沖地震や中越沖地震が発生し、原発にも影響が及んだこと、第二安倍内閣が集団的自衛権行使容認の解釈改憲を強行した後、広島土砂災害や御岳山噴火、口永良部島噴火や、小笠原沖地震などの災害が頻発していることをご紹介しました。

日露戦争から平成初期にかけての日本ではどうだったか?
1905年に日露戦争の最大の「関ヶ原」ともいえる「日本海海戦」に日本が勝利した5月29日のわずか4日後の6月2日、瀬戸内地方をM7.2と阪神大震災並みの規模の大地震が襲いました(芸予地震)。
大日本帝国海軍の軍港・呉市と陸軍の軍都・広島市で震度6(烈震)、松山市、境港市、高知市、下関市、室戸岬市、浜田市、徳島市で震度5が襲いました。
呉市で6人、広島市で4人、安芸郡(府中、海田、熊野、坂町など)で1名の死者、広島・愛媛両県で177名の負傷者を出す大被害となりました。
たとえば1931年9月18日に関東軍が起こした満州事変。3日後の9月21日、埼玉県西部で大地震が発生しました。
大日本帝国憲法にも違反する暴挙でしたが処罰されず、ついに翌年には満州国まで建国。その直後の1933年3月3日、東日本大震災とほぼ同じ震源域の三陸沖地震(M8.1)が発生し、3000人以上の犠牲者を出しました。

1943年、太平洋戦争の戦局が悪化し、学徒出陣などが行われてきたころ、鳥取地震が発生し、多数の犠牲者が出ます。

1944年6月さらにサイパン島陥落の後、1944年12月の東南海地震、1945年1月の三河地震では軍需工業地帯の東海地方が大きな被害を受けました。
まるで、天が日本に「降伏勧告」をするがごとくの現象でした。しかし、日本は被害を隠ぺいして、戦争を継続、3月の東京大空襲、8月の広島・長崎への原爆へと破滅の道を歩んでしまいます。

1992年にPKO法が制定され、カンボジアなどに派遣されたあと、1993年に釧路沖地震=M7.5、北海道南西沖地震=M7.8、1994年=8.2に北海道東方沖地震、三陸はるか沖地震=7.6、1995年には阪神淡路大震災=7.3とコンボのように大きな地震が続きます。
また、1993年は各地で豪雨災害や台風が相次ぎ多数の死者を出していますし、米が大不作で米騒動が発生しています。

安全保障政策が転換された後に、大きな被害を伴う災害が続発する。

為政者に対して神が怒っているとは言いません。しかし、
「いい加減にせいよ。海外派兵でアメリカと一緒に外国にちょっかい出している暇があるなら、原発震災の危険性をなくしたり、被災者支援をしっかりやるのが先だろう」
「高度成長は、今まで東京・名古屋・大阪・広島・福岡などの太平洋ベルト地帯で大きな地震が起きなかったが故の僥倖と思え。これからはそうはいかないぞ。」
というメッセージを自然が発しているのではないか?

戦時中なら戦時中で「これ以上、戦争を続けている場合か?」
と為政者側が考えるべきだったのでしょう。
by hiroseto2004 | 2015-05-31 22:51 | 事故・災害・事件 | Trackback