平和安全法制=戦争参加法案を考える上でーーアメリカにハシゴをはずされた被害者たち
2015年 06月 03日
1979年
イラン皇帝パフレビー2世
親米路線で鳴らしていたが、ホメイニのイスラム革命で、失脚。
革命政府と当初関係改善を図ったアメリカに見捨てられ、エジプトで失意の急死。
サッダーム=フセイン、イラク大統領
アメリカとソビエト、サウジアラビアなどがバックアップする体制でイランと戦う。
クウェートくらい併合してもアメリカは大目にみると勘違い。
1991年の湾岸戦争、2003年のイラク戦争でアメリカに攻撃され、最後は刑死する。
南ベトナム ゴディンジェム大統領。親米の独裁者。最後は惨殺される。
そして、日本の安倍晋三総理。平和安全法制でアメリカにさらなる忠誠を誓い、イランとの戦争に派兵。
しかし、ほとんど見返りはなく、イランが指示した原発テロで日本が危機に瀕しても、アメリカは兵士の被曝を恐れて何もしてくれなかった。
となりかねないのです。
by hiroseto2004
| 2015-06-03 19:44
| 国際情勢
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