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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004
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結局は「ムラ社会」に屈服しているだけの「物わかりの良いポストモダンインテリ」

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最近、というか、1990年代以降、日本を駄目にしてきたA級戦犯の一つは、「物わかりの良いポストモダン系インテリ」ではないでしょうか?

彼らのおかしいところの第一は、大手企業や巨大な官僚機構と一般労働者・市民が対等であるかの幻想に立脚しているところです。












権力なんて、批判されるくらいでちょうどバランスがとれるくらいです。

ところが、「物わかりの良いポストモダン系インテリ」論客は、訳知り顔で、「批判ばかりしても駄目だ。」という。そして当たり障りのないことばかり言ってそこそこうまい飯を食うことに汲々とする。

「批判ばかり」どころか「批判すらもしない」のでは、怠慢でしかないでしょう。

第二に、彼らは事実誤認ないし、意図的にデマを流していることがある。現実には、野党や市民運動なども、具体的な提案をしている場合もそれなりにはあるのです。
しかし、野党なり市民運動がそういう提案をしても、マスコミも大きくは取り上げないし、自民党も、選挙前は聞く耳を一瞬持つふりをしておいて、選挙で圧勝すれば、知らん顔。なんてことも日常茶飯事です。

そして、上記のような「物わかりの良いポストモダン系インテリ」が、野党や市民運動にも悪影響を与えている部分もある。

「主張を薄めた方が、幅広い層にウケる」という幻想を彼らは広めている。
しかし、現実には、主張を薄めると、一般市民に「こいつら何がしたいのかわからない」と思われて却って票が伸びなかったりするのです。

そして「自分の意見を言うと、『偏っている』と思われ、居心地が悪くなる」という雰囲気を彼らは広めている。

 そうした結果、「物わかりの良いポストモダン系インテリ」は、かくのごとく、1990年代以降の日本を駄目にしてきたといわざるを得ないのです。

 はっきり言う。相対化、脱構築など、村社会ニッポンでは百害あって一利なしに近いと思います。

 まず、自分の意見をきちんと言える気風、自分を構築できる気風がないまま、相対化、脱構築など言っても、それは、村社会ニッポンの同調圧力と同じことにしかならない。

相対化、脱構築が大好きな「物わかりの良いポストモダンインテリ」は「村社会的空気」に屈服し、「意見を言えば、『お前は偏っている』と指弾される」社会をつくっている。このように断言せざるを得ないのです。

相対化、脱構築なんぞ100年早い。まずは日本は大正デモクラシーからやり直すしかないのではないでしょうか?



by hiroseto2004 | 2016-08-11 20:51 | 思想・哲学 | Trackback