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by hiroseto2004

イギリスとイランが大使を交換、事実上国交回復

イギリスとイランが大使を交換。2011年にいったん断絶していた国交を事実上回復しました。


イギリスとイランの大使任命

http://parstoday.com/ja/news/iran-i16144

イランとイギリスの関係向上の条件が整ったことを受け、両国は、互いの国に大使を派遣することを決定しました。

アミーンザーデ解説員

この決定を実施する中で、イランとイギリスの新大使は、両国の外務大臣に信任状の写しを提出しました。駐ロンドンのバイーディネジャード・新イラン大使と、駐テヘランのホプトン・新イギリス大使は、5日月曜、同時にそれぞれの赴任国の外務省に赴き、信任状の写しを提出し、外務大臣と会談しました。果たして、この関係の向上は、両国の関係悪化に終止符を打つものとなりうるのでしょうか?

イラン外務省のガーセミー報道官は、5日、記者会見で、イランとイギリスの関係レベルについて、「両国の大使レベルの関係が復活したことは、両国の見解の対立や問題が解決したことを意味するものではない」と語りました。

イランとイギリスは、2011年、イギリスの干渉に抗議した人々が、テヘランにあるイギリス大使館に侵入した事件を受け、国交を断絶していました。しかし、およそ1年前から、代理大使レベルでの関係を確立していました。イギリス政府は、数ヶ月前から、イランへの大使の派遣と、大使レベルでの関係の復活を求めていました。この問題に関する両国の協議の後、イランは、このイギリスのたびたびの要請に応じ、大使派遣の提案に同意しました。

イランとイギリスの関係は、紆余曲折を伴ってきました。実際、両国の対立は、19世紀にイギリスが地域に入ったときから始まっていました。イギリスはかつて、自分たちの植民地主義的な利益のために、イランに対して建設的な見解や信頼構築の意向を持ったことはなく、イランン人々に苦い記憶を残しています。

また、イランの石油国有化への反対や1953年のクーデターにおけるイギリスの行動、その後の政治ゲームにより、イランに対するイギリスの政治的な影響力が拡大しました。イギリスは、様々な陰謀を用い、「分裂を生じさせて統治せよ」という植民地主義的なスローガンを叫び、何度もイラン国民の権利を侵害しました。このような行動は、表面的にはイランの石油産業に集中しているかのように見えましたが、実際は、扇動的な行動により、イラン南部の分裂を促すためのものでした。

現在、イギリスの過去の植民地主義的な政策に対するマイナスの感情は存在するものの、両国の関係は、外交の時代の法的な関係に基づいたものです。とはいえ、両国の関係は、実際、過去の記憶の影響を受けています。

1979年のイスラム革命勝利後、80年代のイランイラク戦争でのサッダームフセイン政権への支援、10億人以上のイスラム教徒の感情を逆なでしたサルマンラシュディの著書『悪魔の詩』を巡る問題、イギリスはこれらの出来事の中で、自分たちの本質を明らかにしました。イランの大統領選挙後の暴動発生へのイギリスの関与が明らかになったことで、両国の関係はますます悪化することになりました。そして、その傷は、もしかしたら、決して癒えることがないかもしれません。

現在、イギリスのイランに対する行動は、イランの世論につぶさに観察、批評されています。イスラム革命後、両国の関係に生まれた緊張が国交の断絶につながったことは両国の関係の復活には時間が必要なこと、新たな状況に適応させることはまだ不可能であることを示しているのです。


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by hiroseto2004 | 2016-09-07 06:49 | 国際情勢 | Trackback