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エコでフェアでピースな世界をヒロシマから国政へ!成長戦略から成熟戦略。誰もが置きざりにされない社会を。核兵器も原発もない世界を。役人からヘルパーへ。庶民増税より格差是正。ヒロシマの心活かす市民発・政界再編。


by hiroseto2004
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ポストモダンにお札(立憲主義・民主的規制)をはがされたキョンシー=権力・資本=はもう手がつけられないのか?

 1989年の冷戦崩壊後(ないし1991年のソビエト崩壊後)、流行したポストモダニズム。

日本においては、権力を批判するのはダサいかのような雰囲気が充満していきました。

そして、官僚機構や大手企業と一般市民や一般労働者が対等な存在であるかのごとき幻想が広められていきました。

ポストモダニズムにおいては、モダン(近代)で軽視されてきたジェンダー、多様性の尊重や環境、情報公開などについて一定の前進があったのは無視はできません。

しかし、日本においてはポストモダニズムは、有り体に言えば、「権力や資本に規制をかけいない」ことと同義になっていった。

ただでさえ、日本というムラ社会で、異論を唱えることがしにくい状況があったのにポストモダニズムは輪をかけていった。

さらに、「経済優先主義批判」は良いが、いつのまにか、それが庶民、特に低所得者層に「健康で文化的で最低限度の生活」を希望することさえ諦めさせる方向に回収されていったのではないでしょうか?

そして、そうした権力や大手企業への批判がでにくいことを良いことに、安倍総理らが暴走していった。

そして、それが手をつけられない状態になり掛かっている。

そういうことではないでしょうか?

政府にせよ、大手企業にせよ、キョンシーのような性質をもっているのではないか?
すなわち、お札を貼られていれば暴れないが、お札をはがされると暴れ始める。
政府については立憲主義というお札。
大手企業については民主的規制というお札。
これが必要なのですが、そのお札をポストモダニズムははがしてしまったのです。

キョンシーにまともに立ち向かってお札を貼ろうとすると、命が危ないかもしれない。
しかし、なんとかどうにかしないと手がつけられなくなってしまう。
そういう状況に日本はあるのです。

それでも、キョンシーの攻撃を防ぎつつ、お札をつくっていくという作業は絶対に必要なのは間違いないのです!


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by hiroseto2004 | 2016-09-12 22:32 | 思想・哲学 | Trackback