日本の1990年代はなぜ、「新自由主義ファシズム」の時代になったのか?
2016年 10月 09日
安倍晋三さんの暴走が大問題なのは確かです。
だが、わたくし、さとうしゅういちにとっては、1990年代の方がよほど恐ろしいファシズムでしたね。
規制緩和や小選挙区制度に異論を唱えると国賊扱い。
国際貢献論に基づく海外派兵にも異論を唱えにくかった。
そんな時代でした。
なぜ、それにしても、1990年代はそんな恐ろしい状況だったのでしょうか?
豊かさに酔いしれ、危機を見逃した90年代ポストモダン
新自由主義が1990年代に日本共産党と新社会党と一部のマニアックな左翼以外の抵抗を受けずに広がったのはなぜか?
第一には、1990年代は、就職氷河期にぶち当たった世代以外は不自由をあまり感じなかった人が多かったのでしょう。
ポストモダン知識人は、豊かさに酔いしれ、油断しまくったのです。
ポストモダン知識人は、「消費者の利益」などと称して労働者が直面する新自由主義の問題点も無視したのです。
その結果、反貧困運動などの形で新自由主義への反対がもりあがるのは、2000年代後半を始めとして待たなければ行けなかったのでしょう。
「消費者の利益」という「労組」が落ちた「陥穽」
1990年代がなぜ、日本共産党と新社会党とマニアックな左翼と西部邁以外は新自由主義に迎合したのか?
ポストモダンの労働組合が、新自由主義に取り込まれたのは大きい。
ポストモダン時代には、いわゆる民社党系の企業労働組合はもちろん、社会党支持組合も、新自由主義に取り込まれた。
具体的には、「医師や農民、商店主は、「消費者の利益」を阻む「逆賊」だから討伐せよ」というロジックに、自治労や日教組の組合員も染まったのです。
実際に、さとうしゅういちが、現役の公務員時代、商店主の皆さんとボランティア活動をさせていただいていたら、私に対して「地域の中小企業なんてつぶれた方がいい。」と言い放つ連合自治労組合員もいましたよ。
連合はしまいには、弁護士の既得権益打倒まで叫びだした。
医師や農民、中小企業や弁護士が打倒されれば、サービス価格が低下し、サラリーマンの暮らしは楽になる、という論調に自治労や日教組も含む組合員が染まり、自治労や日教組が支持する社民党まで、新自由主義法案に賛成しまくったのは当然でした。
しかし、最終的には、2000年代後半から2010年代前半に、小泉純一郎さん、橋下徹さんや松井一郎さんらによる公務員攻撃に、今度は1990年代にひどい目にあった医師や中小企業経営者ら、あるいは団塊ジュニアの氷河期世代が喝采を送ることになってしまったのです。また、今や、大手企業正社員も既得権益として打倒されようとしています。
こんな結末を1990年代に予測し、警鐘を乱打していたのは、日本共産党や新社会党、マニアックな左翼以外では、内橋克人と西部邁、そしてわたくし、さとうしゅういち(笑)くらいでしたよ。
「消費者の利益」論に肩入れし、自爆した労働組合の歴史的責任は重い。総括が必要です。