大学の自治が問われる東大生・慶大生の強姦被疑事件
2016年 10月 15日
東大生や慶大生の相次ぐ強姦被疑事件。
どちらの事件でも、結局、被害者を怒らせているのは、一つは、男子学生が東大生、慶大生という地位にしがみついていること、そして、東大や慶大当局が、処分を国家権力の判断任せにしていることにあるのではないでしょうか。
そもそも、国家権力が逮捕(警察・検察)し、有罪(裁判所)と判断したとしても、大学として、学生を信ずるに足りる理由があるなら、退学させなくていいでしょう。逆に、国家権力が無罪や不起訴と判断したとしても、大学として、処分に値すると考えれば、処分すればいい。
それが大学の自治ではないですか?
例えば、反政府活動(護憲や反原発、反基地など)に参加している学生や教授が、国家権力にでっち上げの犯罪で逮捕され、有罪になったとしても、学生や教授を信頼し、大学としては処分は下さず、彼らを守る。
これは立派な判断です。
わたしは、東大や慶大当局が、男子学生の処分を国家権力の判断待ちにしていることは、極めて危ないと思います。
それこそ、「天皇機関説事件」のようなとき、抵抗できるのか?
国家権力が「この教授は駄目だ」と攻撃してきたとき、守れるのか?
男子学生の処分を決められない東大や慶大当局は、美濃部達吉を守れなかった(15年戦争の)戦時中の東大(帝大)と同じではないのか?
そんな危惧を抱きます。
by hiroseto2004
| 2016-10-15 13:00
| 事故・災害・事件
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