聖人祭とリスボン大震災、そして近代の成立
2016年 11月 01日
本日はキリスト教の聖人祭です。
1755年の今日、ポルトガルのリスボン沖でマグニチュード9の巨大地震が発生しました。
リスボンではほとんどの家屋が倒れるか津波で流出するか火災で消失。
スペインや北アフリカ、さらにはイギリスやフランスにまで被害はおよびました。
カトリックに熱心な国で聖人祭の日に大震災に襲われたことで、「神様は絶対」という考えかたが以降の欧州では衰退します。
合理性を求める気風が広まり、現代にもその影響は及んでいます。
翻って、東日本大震災後の日本。
思想や哲学の面では由々しき事態になっているのではないでしょうか?
不安感から、勢い余って古い考え方や古いタイプの政治に回帰していく人々。
また、脱原発や脱被ばくはいいが、勢い余って、近代を全否定しかねない人々。
思想的にはかくのごとく後退しているのではないか。
不安感から、古い(といっても高度成長期)の考え方や古いタイプの政治に惹かれる皆さんに申し上げたい。
不安感はわかるが、だからといって、例えば「高度成長期と同じやり方」で上手く行くかどうかは、冷静に考えていただきたい。
一方、近代への反発の勢い余って、近代を否定しかねない人々に申し上げたい。
原発を生んだのは確かに近代です。
そうであるならば、新しい状況に合わせた合理性の構築こそ必要ではないかと思います。
1755年の今日、ポルトガルのリスボン沖でマグニチュード9の巨大地震が発生しました。
リスボンではほとんどの家屋が倒れるか津波で流出するか火災で消失。
スペインや北アフリカ、さらにはイギリスやフランスにまで被害はおよびました。
カトリックに熱心な国で聖人祭の日に大震災に襲われたことで、「神様は絶対」という考えかたが以降の欧州では衰退します。
合理性を求める気風が広まり、現代にもその影響は及んでいます。
翻って、東日本大震災後の日本。
思想や哲学の面では由々しき事態になっているのではないでしょうか?
不安感から、勢い余って古い考え方や古いタイプの政治に回帰していく人々。
また、脱原発や脱被ばくはいいが、勢い余って、近代を全否定しかねない人々。
思想的にはかくのごとく後退しているのではないか。
不安感から、古い(といっても高度成長期)の考え方や古いタイプの政治に惹かれる皆さんに申し上げたい。
不安感はわかるが、だからといって、例えば「高度成長期と同じやり方」で上手く行くかどうかは、冷静に考えていただきたい。
一方、近代への反発の勢い余って、近代を否定しかねない人々に申し上げたい。
原発を生んだのは確かに近代です。
そうであるならば、新しい状況に合わせた合理性の構築こそ必要ではないかと思います。
by hiroseto2004
| 2016-11-01 08:36
| 思想・哲学
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