敵に「ポピュリズム」とレッテルを貼るしか能がなくなった欧米ポストモダングローバルインテリ/日本マスコミと巻き添えになる人権・民主主義
2016年 12月 18日
敵に「ポピュリズム」とレッテルを貼るしか能がなくなった欧米ポストモダングローバルインテリ/日本マスコミと巻き添えになる人権・民主主義
最初に、グローバルインテリないしポストモダニストの特徴を以下に述べます。
格差拡大には冷淡ないし放置=経済的新自由主義。政治的にはそこそこリベラル。ただし、途上国(中東、アフリカ)などには、気に入らないと空爆しまくり。代表的政治家=ヒラリー・クリントン、ブッシュ父子、メルケル、シュレーダー、トニー・ブレア、橋本龍太郎(首相時代)、小泉純一郎、前原誠司(00年代前半、現在は社民主義寄りに転向)。
2016年のアメリカでは、大統領選挙でクリントンがトランプに敗れ、「ポストモダンのグローバルインテリ」の時代が終了しました。
イギリスでも、EU離脱で、これまた、グローバルインテリが敗北しました。
トルコでは、アメリカ寄りの軍人によるクーデター未遂事件にエルドアンが巻き返し、親露嫌米化(ここでの米はグローバルインテリの米)が進みました。
仏独当たりのグローバリインテリないしポストモダニストたちは、こうした動きに「ポピュリズム」などとレッテルを張っています。
現実の政治では敗北しているのに、敵に「ポピュリズム」のレッテルを貼って「勝利宣言」するのが彼らの現在の特徴です。
安倍晋三さんは、「グローバルインテリ」とプーチン、エルドアンの間を日和っているというのが実情でしょう。
日本のマスコミの場合は、実を言うと、欧州のグローバルインテリの敗北については、仏独あたりのグローバルインテリの基準で、米英の動きや他のEU諸国内における「グローバリインテリ」や「ポストモダニズム」を打ち破った動きについては「ポピュリズム」と悪罵しています。
他方で、立憲主義を破壊する安倍総理については、持ち上げまくっているのです。
日本マスコミは、海外報道と国内報道での二重基準になっています。
グローバルインテリないしポストモダニストがなぜ、敗北しているかについては、以下の理由が挙げられます。
1,冷戦終結で西側だけが勝ったと思い込み、調子ぶっこいた。
2,1により、経済格差を放置しまくり、先進国内庶民の生活を奪っている。
3,1により、気に入らない国を空爆しまくる戦争で、途上国民の人権を奪いまくっている。
4,2と3により、イスラム国の台頭を招いた。
5,3により難民問題を悪化させた。
6,2と6により、先進国内庶民が難民に怒りを向けるようになってしまった。
根本原因は、彼ら(グローバルインテリ、ポストモダニスト)が調子ぶっこいて、一定の人権や民主主義を掲げてお上品ぶりつつも、経済格差を放置しまくり、空爆しまくり、「ダブスタ」を露呈したことです。
人々は2016年、グローバルインテリ、ポストモダニストにこういった。
「王様(女王様)は裸だ!」
と。
そう。間違いなく、クリントンも、ブッシュも、ブレアも、オランドも、メルケルも人権だの民主主義だのをまとっているように見えていたが、現実は素っ裸だ!
庶民の敵でもあり、途上国の庶民の敵でもある。その事実は疑いようがありません。
問題は、彼らに対抗する有力な勢力が、「人権や民主主義がなんてくそくらえ。そのほうが、むしろ庶民にとってはメシが食えて良いじゃん」というスタンスであることです。
極論すると、以下のようなイメージが人々の脳内に強烈に広がってしまった。
グローバルインテリ/ポストモダニスト(西側):クリントン、ブッシュ、ブレア、オランド、メルケル、小泉=「人権や民主主義」&庶民の敵
反インテリ/ポピュリスト(新東側):トランプ、ドゥテルテ、エルドアン、モディ=強権的だが庶民の味方
「安倍」及び「日本マスコミ」は、グローバルインテリ/ポストモダニスト(西側)と反インテリ/ポピュリスト(新東側)の間で「日和見」をしているのです。
もちろん「新東側」が本当に格差を是正してくれるかどうかは別問題です。強権的な政治が、結局は特権階級に富の集中を招く、なんてことは、昔から良くある話ですから。
しかし、それよりも「民主主義者、人権主義者」のイメージ、言い換えれば「アメリカや英仏独辺りのグローバルインテリ、ポストモダニスト」のイメージが悪くなりすぎたのです。
イメージが悪くなりすぎた人たちが何を言っても、人々の耳に入りにくいのが現状です。
日本の場合は、欧米よりもさらに深刻です。
「ムラ社会+ポストモダン=権力への規制の崩壊」
という現象です。
日本古来のムラ社会では、「余計なことを言わない方が良い」、という伝統がありました。
それに、冷戦崩壊以降に流入した「何でもかんでも相対化してしまう」ポストモダンが合流。
政府への規制(立憲主義)や、大資本への規制(民主的規制)が必要ないかのような幻想を生み出したのです。
言い換えれば、ムラ社会ニッポンにおいて、ポストモダニズムは、「抵抗しない」ことの言い訳になってしまったのです。
その結果として、日本は西側と新東側の悪いところをハイブリッドしたような政治家、言い換えればヒラリー・クリントンとトランプの悪いところをハイブリッドしたような政治家が先進国に先駆けて隆盛を極める結果となっています。
いずれにせよ、「人権・民主主義」を「先進国民のそれでも途上国民のそれも守り」、経済格差を是正していくという勢力が出てこないと、不毛です。アメリカで言えばサンダースが、スペインで言えばポデモスが近いでしょうか。
日本では、野党・市民連合がそこを目指すべきでしょう。
by hiroseto2004
| 2016-12-18 17:37
| 思想・哲学
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