これは上野先生KO負けだ・・「脱成長派は優し気な仮面を被ったトランピアンである――上野千鶴子氏の「移民論」と日本特殊性論の左派的転用」
2017年 02月 21日
北田暁大さんが、上野千鶴子先生の「脱成長論」を批判しています。
本社社主も全くその通りと思える文面です。
・移民による治安の悪化を心配する前に、経済不安により起こる治安の悪化を心配すべきである。
・経済が不安定になっても治安が悪化しないと思うのはそれこそ、ナショナリズムではないか?
・今の状況では、そもそも、日本から移民に来てくれと言ってもきてくれない状況である。
・上野先生は新自由主義者である。
まさに、上野先生を「完全KO」する論文となっています。
脱成長派は優し気な仮面を被ったトランピアンである――上野千鶴子氏の「移民論」と日本特殊性論の左派的転用
北田暁大 / 社会学
治安云々を言うのであれば、貧困や経済的な困窮と犯罪との関連のほうがよっぽど深刻に懸念されるべきだ。敗戦直後、日本の治安が良かったなんてどのデータをみたらいえるのか、「昭和30年代」がどれだけ貧しく犯罪の多い社会であったのか、お忘れになったのか。これだけ排外主義が許容され、多文化の事実にもかかわらず、最低限の多文化主義にすら「PC疲れ」と不平を言うような人たちが少なからず存在する現在、経世済民のコントロールがつかなくなったらどうなるか、考えただけでもぞっとする。
一見やさしさを装った「脱成長」の仮面の下には、根拠なき大衆蔑視と、世界社会における日本の退潮を直視できない団塊インテリの日本信仰、多文化主義への不見識と意志の欠如、選択できる/できないという線引きを前提とした――在日外国人をめぐる問題系とジェンダー問題とを分断する――無邪気な自己責任論、それらを包含した、多様性をみない平板な「社会理論」が根を張っている。それは「一国主義」で生きていけるというトランプの無根拠な信念と、語り方を変えただけで、まったく同型である。
脱成長派は、優し気な仮面を被ったトランプ主義者にほかならない――悲しいことではあるが、いまはそう考えるしかない。
安易に社会に絶望できるのは、現在進行形で紡ぎだされているマイノリティの声の複数性に耳を塞ぎ、無根拠に「日本社会の底力」なるものを信憑することのできるマジョリティの特権である。この特権を特権であると認め、自分の言葉が踏みつぶした複数の――日常的・恒常的に生み出されている――「絶望」の声に耳を傾け、自らの思想的・実践的な「襟」をただすこと。脱成長左派に求められているのは、そういう基本的な――むろん難しいことではあるが――ことである。
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by hiroseto2004
| 2017-02-21 14:15
| 思想・哲学
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