享楽主義的サブカルの帰結としての「安倍ジャパン」
2017年 03月 08日
享楽主義的サブカルの帰結としての「安倍ジャパン」
「安倍ジャパン」(安倍総理夫妻とお友達がやりたい放題出来る日本国の状態)と「戦中大日本帝国」の違いは、文化的には明らかです。
「戦中大日本帝国」と「安倍ジャパン」を一緒にしたら、たぶん、東條英機も激怒するでしょう。
「安倍ジャパン」の特徴は、「軽すぎる」ということです。
何ですか?!
こんな時に、平気でスキー三昧。そして講演では「戸惑っている」とか言い放つ「安倍昭恵」皇后は?!
そして、稲田「コスプレ」防衛大臣。それが、「戦地」を視察に行く格好か?!
軽い。あまりにも軽すぎる。
安倍総理=安倍皇帝ご自身も、公私の区別などないのではないか?感覚が麻痺しているのではないか?だから、悪いことの意識もなく、国を私物化しているのではないでしょうか?
だから、安倍皇帝や昭恵皇后に接近してしまた人にとっては、「良い人」に見えてしまうのです。そう。友達になった人にだけは「いい人」に見えてしまうのですよ。
当人たちがあまりに「軽すぎる」から、接する方も気をつけないと取り込まれてしまう。某若手市民派参院選候補が、昭恵さんに「騙された」とされる事件にも妙に納得してしまいます。
もちろん、「戦中」のように「大まじめで破滅に向かって」もらっても困りますが、「安倍ジャパン」の場合は、あまりにも軽すぎるのです。
そして、その軽すぎることの自覚すら、安倍総理夫妻以下、「安倍ジャパン」一派にはないのです。
その安倍ジャパンの文化的土壌は、安倍一派が若かりしころ、すなわち、バブルころの「サブカル」及び「享楽主義」に求められるのではないでしょうか?
サブカル系芸人が、ネタでやる分にはかまわないが、マジでやったら洒落にならない。
安倍一派には、「洒落にならない」という感覚がすっぽり欠落している。
一度目は悲劇。二度目は喜劇。その表現は、「安倍ジャパン」にこそ良く当てはまると思います。
by hiroseto2004
| 2017-03-08 21:56
| 安倍ジャパン
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