戦前回帰運動と1980年代回帰運動の双方の側面を持つ安倍夫妻一派
2017年 03月 28日
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安倍総理ついては「戦前回帰」だという批判が左翼・リベラルからなされています。
自民党の新憲法草案についてはそういうことが妥当しますし、籠池のおっさんのような安倍シンパについても同様のことがいえます。
安倍昭恵さんについては、一貫性がないように見えますが、籠池のおばはんとずぶずぶになりつつ、脱原発を言うというのは筋は通っている。確かに戦前は原発はない一方で、籠池のおばはんのような建前で教育がされていたから。
他方で、なぜ、安倍自民党があれだけ票を集めるか問うことについては、むしろ「官民挙げての1980年代回帰運動だから」ということで説明はつく。
安倍夫妻や籠池のおっさん・おばはんらいわゆるバブル世代の若かりし頃を取り戻す。
そういうことです。
政治家の口利きで役所が甘くなる。そんなの当たり前だのクラッカーの時代でした。
新幹線もどんどんできて、世の中は沸いていた時代でした。
六本木で若者が踊り狂った時代でした。
1990年代、2000年代を通じて、特に橋本龍太郎さん、小泉純一郎さんの新自由主義政治は、世の中を一定程度クリーンにした部分はあったが、反面、貧困・格差を拡大しました。
若者は六本木で踊り狂うのではなく、奨学金でひいひいいって休日は閉じこもっている。そんな時代になってしまった。
民主党政権は、期待を集めたが、ぐだぐだになってしまった。そういうことから、1980年代的な安倍総理が期待を集めた面はある。
歴史認識はどうかといえば、実を言うと、1980年代以前、栗原貞子以外は、左翼も含めて日本が侵略したことへの反省って、あまりないのです。周恩来首相も「日本の民衆も被害者ですよ」と、勘弁してくれたことも大きいかもしれない。
左翼・リベラルの加害責任反省のシンボルは、経済界出身ながら社会党推薦でその年、市長に当選した平岡敬広島市長による1991年の平和宣言※でした。
そもそも、日本は、ナチスサイドで戦争に参加したために、連合国=国連で敵国のレッテルを貼られたままなんです。
1980年代までの日本の右派は、「本当はアメリカが悪いんだけど、おとなしく言うことを聞いておこう」という考え方。
同じく日本の左派は「戦争とは、爆弾が降ってきて日本人が殺されるもの」という考え方が主流。
どちらにせよ、世界的な視野で先の戦争を見直しているわけではなかった。
従って、実を言うと、戦前日本と1980年代日本にそんなに差異があったわけではないかもしれない。むしろ、労働争議とかデモとかが活発だった戦前の一時期に比べると後退している面すらある。
まとめると、
1990年代に、クリーンだが格差や貧困が広がる政治と、先の大戦への加害責任に向き合うことがセットでやってきた。
そのことへの反動が、今、安倍夫妻や籠池のおっさんとして、噴出している。
従って、安倍一派は戦前回帰運動としての建前と、1980年代回帰運動としての本音を持っている、ということでしょう。
※1991年の平和宣言。
平和宣言
8月6日のきょうは、広島市民にとって悲しく、つらい日である。そして、平和への決意を新たにする日であり、世界の人びとに記憶し続けてほしい日である。
46年前のきょう、広島は一発の原子爆弾によって壊滅し、数知れぬ命が失われた。それは人類が初めて体験した核戦争であった。ヒロシマはその体験から、核戦争は人類の破滅につながることを知り、苦しみや憎しみを乗り越えて、絶えず核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けてきた。
人類はきょうまで、かろうじて核戦争は回避してきたが、無謀な核実験の続行や原子力発電所の事故などで、放射線被害が世界の各地に拡がりつつある。もうこれ以上、ヒバクシャを増やしてはならない。
ヒロシマはいま、新たにチェルノブイリ原発事故の被害者らに医療面からの救援を始めたが、ヒバクシャはぼう大な数にのぼっている。ヒロシマは国際的な救援を世界に訴え、その先頭に立ちたいと思う。
先のイラクによるクェート侵攻は決して許されるべきことではない。しかし、湾岸戦争は、多くの死傷者や難民を続出させたうえに、地球の破滅を招きかねない環境破壊をもたらした。私たちは、武力によることなく紛争を解決する道を確立しなければならない。
日本はかつての植民地支配や戦争で、アジア・太平洋地域の人びとに、大きな苦しみと悲しみを与えた。私たちは、そのことを申し訳なく思う。ことしは、太平洋戦争が始まって50年に当たる。私たちは、真珠湾攻撃から広島・長崎への原爆投下に至る、この戦争の惨禍を記憶し続けながら、世界の平和をあらためて考えたい。
平和とは単に戦争のない状態を言うのではない。私たちは、飢餓、貧困、暴力、人権抑圧、難民生活、地球環境破壊など、平和を脅かすあらゆる要因を取り除き、人間が安らかで豊かな生活のできる、平和の実現に努力したい。
世界は冷戦後の新世界秩序の模索を始めている。核軍縮にも大きな進展がみられた。平和への重い扉は少しずつ開き始めた。それを開けるのは私たち一人一人の英知と努力である。
ヒロシマは世界に訴える。
核実験を直ちに全面禁止し、核兵器を一日も早く廃絶しよう。
戦争の空しさと愚かさ、平和の尊さを自覚し、人類の幸せを実現しよう。
ヒロシマの訴えは人類生存への叫びにほかならない。世界の指導者は、この声に耳を傾けてほしい。
私たちは、国際協力のあり方を真剣に考え、世界平和に貢献しなければならない。日本国憲法の平和理念を遵守し、平和の尊さを教える教育を推進しなければならない。国家補償の精神に基づいた被爆者援護法を速やかに実現しなければならない。朝鮮半島や米国など海外在住の被爆者にも、援護の施策を講じなければならない。これらの実現のため、日本政府の一層の努力を求める。
きょう、被爆46周年の平和記念式典を迎え、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の意を表するとともに、平和への不断の努力を市民の皆様とともにお誓いする。
1991年(平成3年)8月6日
広島市長 平 岡 敬